私にとって貴重な宝庫である本書への第3回の応答として、第2章「活発な教区司祭」に焦点を絞りたいのです。この章で3つの項目がそれぞれ対比的な側面から描かれています。
1)昭和モダンの光と影の中で
2)伸びやかなカトリックに忍び寄る暗い影
3)司祭・戸田帯刀の実像
そして、第4として「信仰を弾圧する戦時体制の露骨」。
この2章の全体構造を私は鮮やかな対比の妙の実例として受け取りました。つまり、1についていえば、「昭和モダンの光」と「(昭和モダンの)影」の対比です。私などの親しんできた言葉は、大正モダニズムです。その大正に対して、昭和は初めから戦争の時代とのイメージを持ちやすいのです。しかし、佐々木氏が戸田帯刀神父の活発な教区司祭の活動背景を「昭和モダンの光」として積極的に描いている意味を、個人史的な背景からも正確に受け止めたいのです。
私の父は1913(大正2)年、2代目の深川生まれで、日本軍の一兵卒としてどんな権威にも圧迫されない、一人の下町の人間としての言い伝えを残しています。また、母親は1915(大正4)年、渋谷代官山生まれの文学少女、日本画家となりたい見果てぬ夢を抱いていたと伝え聞いております。この2人が始めた新婚家庭が、まさに「昭和モダンの光」の中で誕生した事実を、本書を読みながら実感しました。しかも、その光は「影」と隣り合わせであったのです。
また、ペンテコステ派、福音派の背景の中で信仰に導かれ、成長した私にとっては、「伸びやかなカトリック」との表現は、まさに目からうろこの新鮮さです。実際に大震災を乗り越えた「本所教会」のありさまが生き生きと伝わってきます。「任地は下町から山の手まで」とあるように、同じ東京でもそれぞれの地域の特徴が生かされている司牧・牧会の様子が佐々木氏の筆によって描かれています。
確かに、時代や地域の対比的描写は興味があります。しかし、何といっても私たちを引き付けるのは、「司祭・戸田帯刀の実像」と言い切られている個人の存在、その尊さです。そうであればあるほど、続く「信仰を弾圧する戦時体制の露骨」が重くのしかかります。
「昭和モダンの光」をも「伸びやかなカトリック」をものみ込んでしまう戦時体制の始まりと継続は、やがて第3章「破局への序章」へと崩れ落ちてしまうのです。現在から明日への日本教会の姿と二重写しではないか。
以上垣間見たような時代背景とその中での教区司祭・地域牧会者戸田帯刀。彼がどのようにカナダ・バンクーバの親族にキリスト信仰の証しをしているか(171ページ)、さらに教会の司牧者としての役割だけではなく、親族一般への証しを忠実にしているさまが「あの当時の戸田教区長は、東京での戸田一族の中心的な存在で、その精神的な支柱だったと思います。山梨から上京してきた親族たちは伯父を頼りにしていました」(277ページ)と証しされています。
上記のような魅力的な働き人が、どのような教育を受けたか、日本の現実とともにローマの留学時代の実情を子細に描写している部分は、それなりに多様な神学教育を受け、同時に神学教育に携わった者として、やはり興味を引き付けられました。
神学教育と一人の司祭の関係は、ただ戸田帯刀神父に限るのではない。戸田神父の実例が一つの座標軸となって、私の敬愛する神父方のさらなる理解の助けとなります。
今も手元にある『ペトロ・ネメシェギ神父卆寿祝賀会及び来日記念講演集(2011年・2013年)』(イシュテン・エスケゼ会発行)、ワレ神父遺稿集編集委員会編『住めば都』(カトリック松が峰教会発行、2013年)などが新しい意味を持って再読を促します。何よりも『ヨハネ二十三世魂の日記』(ドン・ボスコ社)が戸田帯刀神父の本書に続いて、私も読んでと呼び掛けている思いがします。感謝。
■ 佐々木宏人著『封印された殉教(上)』(フリープレス社、2018年8月)
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