長崎市にあるキリシタン関係の地を訪れた後、私たち一行は長崎市から北に足を延ばし外海(そとめ)という地方へ行きました。そこは江戸時代にキリシタン弾圧のため、長崎の多くのキリシタンたちが逃れていった場所です。
海岸から断崖が立ち上がり、そのまま山に連なっていくような地形で、平地が少なく、海からの風も強く、住みつくには悪条件の場所であることがすぐに分かります。そのような場所のわずかな土地を開墾して芋を作ったり、漁をしたりして生き延びていったのでしょう。キリシタンたちはそのような気候風土の厳しい所で外向きには仏教徒として暮らし、実際はキリシタンとしての信仰を親から子へ、子から孫へとつないでいったのでした。
作家の遠藤周作が『沈黙』を通してキリシタンの姿を描いたのは、この外海が舞台となりました。ロドリゲスというポルトガルの神父がたどり着き、山野を転々としながら信徒たちを励まし、宣教を試みたものの、わずかな月日のうちに捕縛されて、踏み絵を踏まされたときの彼の内面の心理を鋭く描き出しました。
遠藤周作は信仰の「英雄」たちを描くのではなく、踏み絵を踏まざるを得ない、少なくとも表面的には棄教せざるを得ない人間の弱さに光を当てたかったのでしょう。信仰の英雄ばかりがあがめられやすいけれど、ロドリゲス神父のように踏み絵を踏むことによって何人ものキリシタンの命が助けられる立場に立たされたとき、信仰の英雄として貫き通すか、それとも、(少なくとも表面的には)棄教して彼らの命を救うか、という極限の状況の中で棄教を選んだことは、キリストを否んだのではなく、むしろキリストがそれを望んでいたのではないか、という問い掛けをしたのでした。
外海の断崖絶壁の所に「沈黙の碑」があって、そこに「人間がこんなに哀(かな)しいのに、主よ。海があまりにも碧(あお)いのです」という遠藤周作の言葉が刻まれていました。
◇