高橋三郎・島崎暉久共著『仰瞻・沖縄・無教会』(1997年、証言社)への応答
3. 3つの応答
(3)無教会、聖書の契約構造に見る神の民の位置――聖なる公同の教会――
本書の著名「仰瞻・沖縄・無教会」の第三の部分、無教会に焦点を合わせ、応答をなしたいと願うとき、本書の中で特に注意を引く幾つかの箇所の記述があります。
(イ)神の民
注目したい第一は、内村鑑三自身についての大切な記述です。「内村は福音の原点への復帰をめざしつつ、あくまでも神の民の一人として生きることを重視した」(74ページ、アンダーライン、筆者)。内村は神の民の1人。素朴に響く把握の中に、無教会の自己理解にとり、また無教会外の者が無教会を理解するためにも重要な鍵が潜みます。
もう1つ、注目しなければならない記述は、本書が本来あるべき無教会の姿を体現していると見ている、那覇聖研についての記述です。1996年6月16日、那覇聖研主催の講演会の「参加者の中に教会の方がたくさんいた」事実の意味理解を明らかにして、「それは、那覇聖研が神の民として、教会と共に生きていることを意味する。沖縄無教会は、教会に接続している」(80ページ、アンダーライン、筆者)と述べている点です。
本来の無教会。それは神の民としての自覚を持ち、そのような生き方をなし、また他の人々にもそう見られ受け取られる。このことは、本来の無教会にとり不可欠であり、この中心点を明示していると理解します。神の民とは、神と民(人間)の関係を基盤とする理解また表現です。
(ロ)聖書の契約構造
神と人間の関係を基盤とする神の民の理解は、聖書の主題を契約構造と見る見方と重なると考えます。
聖書は、「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られました」(ヘブル1章1節)と、聖書自身が明言しているように、その各書が書かれた年代は多様で、また長期間に及びます。執筆場所もそれなりに多様です。さらに、目立つのは聖書記者たちの多様なことです。聖書記者各自が生きた時代、各自の性格、使命など多種多様です。その表現方法も多様で、さまざまな文学類型を含みます。
こうした聖書の多様性に直面する中で、しかも聖書全体を一貫する主題は何かと問われれば、「神と人との契約関係」と筆者は答えたいのです。
神と人との契約構造は、大きく見て2つの側面を含むと見ます。1つは、神は父、人は子としての、愛に基づく関係です。第二は、神は主、人はしもべとしての、使命に基づく関係です。この両側面を含む、神が呼び掛け、人が応答する呼応関係、契約関係こそ、聖書全体の一貫した主題です。
神の民との自己理解は、この聖書の主題に一致する理解で、自らを神の民として自覚し生き、神の民としての信仰共同体形成を目指すことは、聖書をその主題に従い読み、聖書を読んだように生きることを意味していると考えます。神の民としての自覚と実践、これは内村鑑三の自覚の中核であり、それは何より聖書の主題に深く結びつくものです。
「聖書を虚心に精読した内村の弟子たち」(70ページ)。それは、聖書の主題に基づいて聖書を読み、従い生きる道であり、それこそ神の民としての歩みです。
課題は、いかにして聖書を虚心に精読するか、どのようにして主題に基づいて読み従うかです。16世紀の宗教改革の1人が、以下の明確な意識を持ち、実践している営みは貴重な示唆を与えてくれます。
「この労作においてわたしの企図したところは、聖なる神学に志をもつ人たちを、神の御言葉の播読にそなえさせ、かれらを導いて容易にここに近づかせ、ここにおいて躓(つまず)くことなく歩みを進めることができるようにすることでありました。まことに、キリスト教の総体をそのあらゆる部分にわたって包括し、順序正しく分類したならば、だれでもこれを正しく把握するとき、聖書のうちに特に何を探ね求めるべきか、それの内容をどの目標点に向けるべきかについて、容易に判断がつくとわたしには考えられるのであります」(「ジャン・カルヴァンより読者の皆さんに」『カルヴァン キリスト教綱要Ⅰ』)
「聖書のうちに特に何を探ね求めるべきか、それの内容をどの目標点に向けるべきか」、これこそ、内村が「聖書の研究」の場を通し、長年にわたりなし続けてきたことではないか。それは、初版から五版まで20年余に及ぶ年月の中で、版を改め、多くの増補を行いながら、人々が自ら聖書を読み従い生きる備えをなし続けた16世紀の宗教改革者とまったく同じく、神の民の一員としての精神、生活、生涯から生み出される著作活動であり、決して聖書自体を読む代わりとなるものではない、まして絶対化されたりしてはならず、どこまでも著者自身をはじめ人々が聖書を正しく、深く、豊かに読むための備えなのです。
前記の16世紀の宗教改革者の1人が、読者への序文を結ぶに当たり、世紀を隔てて同じ歩みをなした先達の以下の言葉を引用している事実、またその内容を、20世紀の最後の年月を歩む者として、しっかり受け止める。これこそ本書に対する応答として不可欠な一事と理解します。
「アウグスティヌス 書簡集第7
わたしは進歩しつつ書き
書きつつ進歩する人の ひとりであることを告白する」
高橋三郎先生、島崎暉久先生は、本書を含めそのすべての文筆活動において、この道を示してくださっていることを感謝します。それは、一見自己主張に見えて、深い意味で、自己を神とする精神に対する、思索と表現を通しての「根源的プロテスタント」(73ページ)、己に死ぬ道なのですから。
(ハ)聖なる公同の教会
神の民との自覚と表現は、旧新約聖書を一貫する聖書の主題に深く根差すだけではなく、教会の歴史、さらには教会とは何か、教会の本質を理解する鍵です。
例えば、第二バチカン公会議の諸文書の中で、「神の啓示に関する教義憲章」と共に中心的なものといわれる「教会に関する教義憲章」に、大切な示唆を見ます。特に第二章「神の民について」、第七章「旅する教会の終末的性格および天上の教会との一致について」などに見る視点です。
この神の民との教会の自己理解は、その原点を使徒信条が告白している教会の姿に見ることができます。「我は聖霊を信ず」と、教会を生み出し育てるお方を明白に告白します。そして、「聖なる公同の教会」です。この「聖なる」と「公同」こそ、神の民としての教会が自分自身を理解してきた歴史(教会論史)全体を通観し得る視点と考えます。
神の民としての教会は、唯一の、生ける、真の神の御心・ご意志に基づき特別に選び分けられた群れです。その群れは、神の御心・ご意志が聖書を通し啓示されていると告白し、聖書を信仰と生活の唯一の規範として従う「聖書的」教会ともいえます。また、聖書に啓示された神の御心・ご意志に、聖霊ご自身の導きと助けにより、従い生きようとする群れこそ、真に「使徒的、歴史的」教会と呼び得るのではないでしょうか。
神は、天と地を創造なさったお方です。神の民としての教会は、全歴史、全世界の主なる神の御心・ご意志に基づく存在であって、ある特定の時代や地域のみに限定されるものではなく、歴史を貫き通し、全世界に広がり行く、同じ1つの公同の教会です。
本書における、「神の民」を中心とする2つの記述は、この公同の教会、教会の公同性を指し示す大切な記述と受け止めます。
(二)聖書的エキュメニズム
各時代の神の民が直接聖書に聞く努力を払い続ける道。この道を、例えば、ルターは彼の時代において歩み続けようとしたと見ます。
「ルターは、教会教父たちの著作を、聖書の講解として理解した。一方、ルターの論敵たちは、教父たちの著作を聖書の延長にしようと思ったのである。だから伝統主義に対してルターが反対を唱えたのは、伝統それ自体でもなく、神学における伝統の厳格な使用に対してでもなく、伝統の悪用に対してでした」(J・ペリカン『ルターの聖書解釈』98ページ)。
神の民の聖書解釈は、それがどれほど優れたものであっても、絶対化することは許されない。それを聖書を読む代わりにすることはできない。時代や場所の相違の中でも、神の民はいつも聖書に聴く。この共通の基盤に立つとき、真の交わり、対話が成り立つのです。
時代と地域。その他あらゆる違いを越えて、聖なる公同の教会の中に生かされている者同士の交わり、聖徒の交わりを、教会や内村鑑三がなしたように、直接聖書に聞き従うことを通し経験し得る、そう心より期待します。
現代の神の民について言えば、自分たちより以前にそれぞれの歴史的位置でその歩みをなしたすべての先達たちと、同じく聖書に聴従することにより、時代の隔たりを越えた交わりを持つ道が開かれている恵み。この交わりは、単に時代的隔たりを越えるだけでなく、同時代においても、地理や教派の隔たりなど、種々さまざまな隔たりを越えて、実に豊かに広がり深まり行く。聖書を信仰と生涯の唯一の誤りない規範とする道(仰瞻[ぎょうせん]の道)です。それはその狭さではなく、深さや豊かな広がりを本来特徴とするのです。
その道は、生活・生涯のただ中で聖書に聞き、聖書をもって人生、世界、宇宙を読む道であり、この道を歩む交わりを、聖書的エキュメニズムと呼びたいのです。
本書が指し示す仰瞻に踏みとどまるなら、沖縄において、聖書的エキュメニズムの道が確かに開かれる、この道を進みたい。これが筆者の本書に対する応答です。
4. 結び――高橋三郎先生、島崎暉久先生への感謝――
高橋三郎先生を、日本クリスチャンカレッジ(現東京基督教大学)の学生会主催の講演会にお招きしたい、先生の著書と共に提出した願いは、高橋先生が無教会だからと不許可でした。今から40年近く前の話です。
生涯癒やしの伝道者として見事な道を歩み抜いた万代恒雄先生が、開拓伝道中の東京小岩の教会、そこに導かれ、主イエスに従う歩みをスタートした筆者が直面し続けてきた課題の1つは、レッテル主義でした。
高橋三郎先生は、Ⅱコリント7章でパウロが繰り返し強調する「心を開く」「信頼を寄せる」道を、身をもって示してくださったお1人として、筆者にとり、特別な方です。例えば、沖縄で受け取ったお手紙の一通一通を通して、ここで、具体的な感謝を表す余裕がないのが残念です。
組織神学への目を開かせてくださった万代恒雄先生、生涯の恩師である渡辺公平先生、ゴードン神学校やハーバードで聖書学の訓練を与えてくださった諸教授、そして、文字通り一対一で組織神学の指導をしてくださり、いつもキリストにある兄弟として受け入れてくださったペテロ・ネメシェギ神父。キリストにあって心を開くとは何かを、身をもって教えてくださった方々です。
1986年1月、長男が在学中の愛農高校、そこで開かれた聖書研究会で初めてお会いした、昨年沖縄で再会した島崎暉久先生。再会後、島崎先生がご恵送くださる「証言」誌やお手紙は、深い励ましとなりました。レッテル主義と「心を開く」、この2つが自分自身の心の中で戦いをなしている、また周囲でも絡み合っている。それだからこそ、Ⅱコリント7章に見るパウロの勧めを心から受け入れたい。そう願い進むとき、高橋三郎先生、島崎暉久先生の存在がどれほどの恵みか、あらためて教えられ感謝します。
本書を通しても、新しい恵みを受けました。この小さな応答を、溢れる感謝のしるしとしてささげます。
今後の見通し
1959年、19歳の時、日本クリスチャンカレッジ2年生のレポート「教育者としての内村鑑三」を書き、それが私の生涯を貫き導きとなりました。同時に、無教会の立場にある方々をはじめ多くの方々との主にある交わりの恵みの道具になりました。
今また、同じ内村先生の生涯と著作が、今度は「ジャーナリストとしての内村鑑三」の課題を探る、78歳の私を先導してくれるのです。真実な導きに厳粛な思いを深めています。
ジャーナリストとは、定期的な刊行物を通して、時事的な報道や意見を伝える仕事に従事する人々の総称といわれます。そうであれば、内村鑑三は生涯の一時期新聞社で働いていたからジャーナリストの側面があるといった話ではない。1900年に創刊した「聖書之研究」を1930年まで専心継続した、いわばオーナージャーナリストであり、ジャーナリスト中のジャーナリスト。内村はジャーナリストをやめて、伝道活動へ転身したのでない。世の事実を報道するジャーナリストとして、聖書の恵みの事実を伝える伝道者です。そうです、真の伝道者であるから、志に生きるジャーナリストでもあるのです。
今、2つのシリーズを身近なところに置きました。
(1)『内村鑑三英文著作全集』全7巻、教文館
(2)鈴木範久著『内村鑑三日録』全12冊、教文館
この2つの資料を活用して、脳梗塞の障がいの体と少年の志をもって、「ジャーナリストとしての内村鑑三」の課題を探り続けたいのです。
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