中嶋聡著『うつ病休職』(2017年5月、新潮新書)
著者の中嶋聡兄と私は沖縄時代、二重の関係で固く結ばれていました。
① 牧師と信徒・教会役員
② 主治医と患者・牧場の羊の1頭
中嶋兄は、私の著作集1巻の帯に以下のように書き、エールを送ってくれました。
「宮村先生は首里福音教会牧師時代、私たち教会員に、『持ち場立場でのそれぞれの活動が牧会である』と言われました。みことばに堅く立ち、それぞれの現場を大切にし、現実現場に即してものを考えようとする姿勢です。ご自身の持ち場・沖縄を人一倍愛しつつ、曖昧な妥協を嫌い、先入観にとらわれずに社会や歴史を判断する強さをお持ちです。そんな先生の著作集に心から期待しています」
沖縄時代、主日礼拝に出席する方々の半分前後は、各種の医療従事者でした。教会員以外で交流のある医療従事者も数少なくありませんでした。そのような背景の中で、中嶋兄との主にある交わりは、以下のように深く豊かなものでした。
中嶋兄との出会い、1枚のはがき
1990年に受け取った1枚のはがきが、中嶋兄との出会いのため、大切な役割を果たしてくれました。
「頌主 いろいろな資料をお送りくださり、ありがとうございます。このところ超多忙で、十分に学びや思考作業ができず、あせっています。中嶋先生は、高田牧師からも同じく首里の教会を勧められ、住所も近いので、そこに出席するつもりでおられるようです。住所は、左記の通り、七月に移ると聞いたように記憶しております・・・」
当時八王子キリスト福音教会の牧師であった荒井隆志先生からのはがきです。荒井先生とは、八王子と青梅の近隣牧師同士として、親しい交わりを重ねていました。特に、荒井先生の著書『病気の時にどう祈るか』の出版をめぐっては、私たちの間には忘れ難い思い出があります。
以上の契機から、中嶋ご夫妻と沖縄に実際に移住なさったのは、私のそううつの状態がかなり重くなった最初の頃でした。中嶋兄と私たち夫婦は個人的に面談し、勤務病院で診察を受ける決心をしたのです。
しかし、実際は心理的な壁を、妻君代の支えでやっとの思いで乗り越えての診察でした。こうして中嶋兄は、私の主治医になったのです。
やがて私たちの関係に1つの節目が訪れました。「なかまクリニック」を中嶋兄が開院することになったのです。その出発に当たって、その後私たちの心に残り続ける言葉のやりとりをしました。
自死したある青年の納骨式のために、首里福音教会の教会墓地の前に一同が集まっていた際です。
「なかまクリニック、そこで中嶋先生は先生の牧会をなさいます。私は、その牧場の羊の1頭・1人であることを、誇りに思っています」
もう1つの節目は、2007年と08年と、続けて2冊の著書を中嶋兄が出版されたことをめぐってです。最初の著書は、『ブルマーはなぜ消えたのか』と、ちょっと風変わりな題名の本です。その本の項目「おわりに」において、中嶋兄は記しています。
「・・・関西学院大学社会学部教授・宮原浩二郎氏には、社会学の立場から諸々の点についてご教示いただいた。またとくに『第四章性同一性障害をめぐって』の執筆にあたっては、首里福音教会名誉牧師・宮村武夫氏より貴重なご教示をいただいた。両氏に深く感謝する」
宮村の教示について、上記の文の直前で中嶋兄は示唆しています。
「・・・また『性同一性障害』は、聖書的立場、つまり聖書を誤りのない規範と認める立場から論述している。これはクリスチャン以外の人には共有されない立場だと思うが、この立場を含めての主張が私の論旨なので、それを共有しない方にはその立場を批判的に読んでいただければいいと考えた」
そうです。「聖書的立場、つまり聖書を誤りのない規範と認める立場」こそ、毎週の主日礼拝の宣教を中心に宮村が中嶋兄に伝達し、中嶋兄がしっかりと受け止めた恵みです。創造者の説明書である聖書をメガネとして、創造された万物、当然人間・私を直視するのです。沖縄で聖書を読み、聖書で沖縄を読む道です。
同書の書評を、地元の新聞・琉球新報に載せていただきました。
書評 中嶋聡著『ブルマーはなぜ消えたのか』
諦めから立ち上がる、一臨床医の提言著者は、1955年生まれ、那覇市にて「なかまクリニック」を開業する臨床精神科医。女子のブルマー姿を見て、ドキドキした中学生・高校生の頃の体験を持つ。ところが、こともあろうに、1995年ごろを境に、あのブルマーが急激に少なくなり、ついに消え果ててしまう。
時代が変わったのだ、仕方がないと著者は、諦めの境地に陥っていた。しかし、臨床医に徹する著者は、「なぜ」と内なる問いに促され、ブルマーの消滅とそれに関連する社会現象をじっくり診察し、独自の治療方法を提示する。
診察内容は、「王様は裸だ」と叫んだアンデルセンの童話『はだかの王さま』の少年を思い出させる。自分の目で、人権と偏見、性同一性障害、セクハラ、タバコと禁煙運動、インフォームド・コンセントなど、生の現実・社会現象を見定め、レッテルや時代の風潮に流されない。何よりもイデオロギーに逃げ込み、現実から目をそらして、あることをないかのように、ないものをあるかのようにする知的誘惑と戦いつつ、著者は診察をなし続けていく。
著者の治療だが、「辺縁」という見方・考え方を用いて提示している。「中心的で主なる場ではないが無視できないような場が存在」(93ページ)する事実に著者は注意を払う。そして、中心的・本質的な意味や性質ではない、そのような場や味わいを一般に「辺縁」と呼ぶ。この視点から、セクハラ、タバコと禁煙運動、インフォームド・コンセントなど、具体的な社会現象について、精神的健康や健康的な社会生活を送るために役立つ微妙な側面を切り捨てない道を指し示している。そのためには、誤解を恐れずに強者の論理とも思える表現(例えば「被害者帝国主義」)さえ用いて。
この「辺縁」に注目し続け、「人間の生の、生き生きとしたありかたを尊重する社会」(201ページ)を維持し、積極的・意志的に作っていこうと著者は本音で呼び掛けている。治療を受ける者も、医療従事者も、同じ人間「なかま」だとの強い確信に基盤を置くクリニックでしなやかな実践を続けながら。
2冊目は、『「心の傷」は言ったもん勝ち』。新潮新書の1冊、それも話題作として版を重ねました。私ども夫婦が特に興味深かったのは、最後の7章「精神力を鍛えよう」の項目の1つ、「精神力を鍛える七つのポイント」です。以下のポイントを挙げ、それぞれに読者の立場に立ち、中嶋兄は的確な勧めをなしているのです。
1. 何事も人のせいにしない。
2. おおざっぱでよいとする。
3. 「忘れる」能力を身につける。
4. つらいときでも相手の立場に立つ。
5. 不可能と決めつけない。
6. 自分を超える価値のために生きる。
7. 時にあって、全力を尽くす。
妻君代の言葉に私も同意しました。これらのポイントは、その言い回しと内容を含めて、1986年4月以来、首里福音教会の主日礼拝で宣教されてきたメッセージの響きを伝えている、特にその伝道的面と深いところで一致していると、私たち2人は受け止めたのです。
そこで、私は説教とその関係について、以下のように見定めるのです。
中嶋兄は、なかまクリニックで牧会を日々続けている。それに加えて、著書を通して、伝道説教をより広い範囲でなしている、優れた牧会者の働きもなしていると。そして、コロサイ4章14節に見る、「愛する医者ルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています」に登場する、ルカについての古くから広まっている伝承に引き付けられるのです。
その伝承とは、こうです。この「愛する医者ルカ」こそ、ルカの福音書1章3節と使徒の働き1章1節に見る、当時の高官・テオピロに書を書き上げ、差し上げている人物だとの言い伝えです。
「私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿」(ルカ1章3節)
「テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました」(使徒の働き1章1、2節)
上記に見る「私」はルカであり、テオピロは実在した人物。これこそ、私にとり一番納得しやすい説です。ここに浮かび上がってくるのは、この1人のためなら、ルカの福音書と使徒の働き、こんな綿密な書を2冊も書くことを厭(いと)わない、ルカの姿です。
そして、まったく同じ心を持って生き、1人の患者、いや人間に面と向かっている中嶋兄の姿、私のような小さきテオピロに対する中嶋兄の生活・生涯です。パウロと共に、「愛する」と力を込めざるを得ないのです。
1人の実在の人物・テオビロに徹底して関わるとき、そこに恵みの波紋が広がるのです。テオピロも、注がれた愛に応答します。自分に差し出された書を大切に保存し、個人的に活用しただけではないのです。
一冊一冊と写す写本の作成に、地位と財力を注ぐのです。こうして今日、私たちの手元にまで届く、まさに恵みの波紋、恵みの展開です。小さきテオピロ・私でも、「一寸の虫にも五分の魂」です。クリスチャントゥデイでの働きは、それなりの応答です、感謝。
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