サン・ピエトロ大聖堂 イタリア・ヴァチカン
訪問 2016年5月18日(水)
建築家 ブラマンテ、ミケランジェロ、マデルノ、ベルニーニ
ローマといえばサン・ピエトロ大聖堂を思い浮かべる。ローマは「聖ペトロの地」として西欧世界の宗教的、文化的中心となり、長い歴史がある。サン・ピエトロ大聖堂は、カトリックの総本山、キリスト教世界で最も聖なる場所の1つであり、今回の巡礼の出発点となった。
建設の歴史を調べると、2世紀半ばに聖ペトロの墓の上に小さな礼拝堂が建ち、4世紀に入ってローマ皇帝コンスタンティヌスが大聖堂を建設した。その後何世紀にもわたり、多くの巡礼者であふれたが、アヴィニオンの教会分裂(1305~1377年)で大聖堂は荒廃してしまった。
現在の聖堂は1500年代に教皇ユリウス2世によって礎石が置かれた。この建設事業は建築家ドナート・ブラマンテからミケランジェロへと受け継がれ、中央部分に大クーポラ(丸屋根)を載せ、その下に教皇祭壇を置く設計とした。
その後、建築家カルロ・マデルノが大聖堂の縦軸を伸ばしてラテン十字架の平面プランとし、壮麗なファサード(建物の正面)も1612年に完成された。正面部分上方に帯状に記された銘文は、ファサードがボルゲーゼ家出身の教皇パウルス5世の時代に完成したことを意味している。頂上部分には、欄干の上に高さ6メートルの彫像が何体も並び、両側の2つの塔には鐘と装飾の美しい時計が付いている。
その後、教皇アレクサンデル7世のもとで、ベルニーニが大聖堂前の広場(大聖堂により近い台形の部分と、円柱列に囲まれた楕円形の空間)を1667年に完成させた。
サン・ピエトロ広場には、世界各国から大勢の人々が集まり、大聖堂から両腕を広げたような柱廊に守られ、温かく迎えられている。
「ガブリ神父様と行く巡礼の旅」
2016年5月17日~27日(11日間)
5月17日(火)
10:30 成田空港出発 19:45 ローマ空港着
5月18日(水)
終日 ローマ・バチカン巡礼
午前 教皇謁見、午後 サン・ピエトロ大聖堂巡礼、「聖なる扉」、ジェス教会にて日本語プライベートミサ(17:45~18:45)
5月19日(木)
ローマからバスにてサンジョバンニ・ロトンドへ(381キロ)
7:30 朝の祈り約1時間
12:00 昼の祈り 14:45 ピオ神父の教会 聖域内巡礼
16:30 日本語プライベートミサ
5月20日(金)
サント・エルピディオの教会親善訪問、ミサおよび信徒との交流
ロレートにてナザレの聖家族の家の壁で作られた聖堂巡礼(アッシジまで498キロ)
5月21日(土)
アッシジ終日巡礼
9:00 サンフランシスコ修道院内聖堂にて日本語ミサ
午後 ミゼリコルディア(慈悲の組)訪問(フィレンチェまで176キロ)
5月22日(日)
9:00 フィレンチェ
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂にてイタリア語ミサ、夕の祈り
(ミラノまで304キロ)
5月23日(月)
移動日 朝の祈り1時間
ミラノからニース(318キロ)マルセイユへ(204キロ)
5月24日(火)
カルカッソンヌ経由ルルドへ(572キロ)
21:00 マリア・プロセッション(ろうそく行列)
5月25日(水)
終日ルルド巡礼 15:00 サクレ・クール教会にて日本語ミサ
「聖母にささげるコンサート」
5月26日(木)
帰国の途に → 5月27日(金)成田着
「一緒に行きませんか」と仕事の関係で出会った神父様に誘われ「はい、行きたいです」と答えてしまった。カトリック信者ではなく、ルーテル教会員だから行けるのか不安だったが、参加できるとのこと。
日本福音ルーテル教会は1984年からエキュメニカル(教会一致)運動でカトリックとの対話の場も設けており、以前、四谷のイグナチオ教会で行われた合同礼拝にも出席した。イタリアには何度か旅行したが、「巡礼」には行ったことがないので大変興味を持ち、参加を決め、すぐに申し込んだ。
教皇謁見
教皇フランシスコは、歴代初の南米出身(アルゼンチン)であり、大変人気があり、慕われている。キューバと米国の国交正常化交渉のカギを開き、米大統領選のトランプ氏との話題や、中東への訪問など、世界平和のために尽力し、大きい影響力を持っている。
世界各国からの巡礼団は、スペイン、イギリス、米国、日本など国名とグループがアナウンスされるたびに歓声を上げ、喜びを示す。
Holy Door
聖なる年(2016年は聖年)に教皇自らの手で開かれる聖なる扉(Holy Door)
ピエタ
中央身廊 聖壇
礼拝堂背面 メーン出入り口
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