私たちが神を作ったのではない
昨日、久しぶりに長編テレビ映画を見た。第2次世界大戦中の話であり、エリート海軍の子ども(兄妹)が戦争孤児となって、ついには生きる術も知らず死に追いやられてしまう、何ともやりきれない映画である。
父親が出征後、日本本土襲撃による大けががもとで母親もなくし、幼い兄妹は親戚の若い叔母の家に引き取られる。初めのうちは優しかった叔母も、戦争が長引き、金に換えられるものは全て金に換えて米や芋を買い、それも底をつくようになってくると、次第に、兄妹に対する風当たりが強くなってきた。
叔母の夫が戦死したとの報で、叔母の態度はさらに兄妹に冷酷になり、さながら鬼のようになってしまった。兄妹はいたたまれなくなって家を去り、森の中で暮らすようになるが、育ちの良い子どもにそういう過酷な生活が続けられるはずもなく、まだあどけない妹は栄養失調がもとで、息を引き取った。
少年は一人町に出て放浪するが、何日か後、座ったまま絶命する。この物語は映画ではあるが、これに類した話は戦時中、数多くあったろうと思う。私たちが知らない悲愴な話がいっぱいあるに違いない。
この映画の場合、この兄妹がたとえ死ぬほどつらくとも、辛抱して叔母の家に留まっていたら、死にまでは至らなかったのではなかろうか? しかし、兄妹を考えるとき、その時点でだけでは本当に理解しがたく、彼らの生い立ちをも考えてみる必要がある。
軍人たる誇りを持った家庭に育ち、日本は勝つことを当然のように信奉していた子どもたちにとって、食うや食わずの凄まじい実生活はできなかった。子どもたちの命運は、親の思想から続いている。
聖書では何と書いてあるのだろう。どの御言葉も説明してくれない。被造物である私たちには、創造者である神の御心が全て分かるはずはない。
私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。(ヨブ記1:21)
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。