私たちの考えることは全てお見通し
数日前に、聖霊のことを日記に書いた。あまりにも私の中でイエス・キリストや父なる神に比べて、存在感が薄いからであった。その時は、一応納得したかに思えたが、やはりまだはっきりしないところがある。第1に、私は聖霊を人格ありと言いながら、聖霊様と呼ばず、呼び捨てにしている。イエス様、神様というふうに、尊敬をもって呼んでいない。
第2に、一人一人の心の中で、形や姿の思い浮かべにくいものは非常に考えにくい。観念や性質のみ知らされて、姿形のつかめないものに尊敬を払ったりするのは、至難の業である。
数十年前までは、光が重量を持つということは知られていなかった。微細粒子が、超高速度で伝播するということは知られていなかった。もし神が私たちの想像を絶する微細粒子からなり、想像を絶する速度で動けるなら、そしてそれらが宇宙で最高の何かから成り立っているなら・・・と想像することがある。神様は言葉であると書いてあるが、私たちの思いや言葉は、電子などより小さな何かで形造られた。私たちには、計測は到底不可能な何かかもしれない。
「その方は、真理の御霊です。・・・あなたがたのうちにおられるからです」(ヨハネ14:17)
私たちと寸分違わず、爪の先、毛の先まで、同じ形で内在。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである」(Ⅰコリント2:9)
私たちの知らないことを知っている。私たちの知らない解決法も聖霊様は知っている。
人間の知恵では、三位一体の神を十分理解できないが、聖霊様は無限の神の性質の一つであり、イエス・キリストと共通しているところも多く見られる。とにかく、三位が一体であるということは、お互いが十分、寸分違わず理解し合っているので、私たちのことも寸分違わず神様に伝わっている。宇宙全体をくまなく覆(おお)い、支配されている神様の一部でもあり、全体でもある聖霊様だからである。
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。