建物に十字架が付いていれば教会だと分かり、墓地に十字架があれば、埋葬されている人はクリスチャンであったと分かる。もちろん十字架は、キリストの処刑の手段であり、人の罪の赦(ゆる)しがもたらされた場所でもある。聖書から十字架の出来事を取り除いたら、聖書でなくなってしまうし、人類から希望が消えうせてしまう。
私は、その十字架に付加的意味を見るようになった。十字架をアクセサリーとして身に付けている人がいるが、もちろんそんなことではない。実は十字架の付加的意味が、ビジネス成功に絶対的に必要なものである。十字架は、縦の線と横の線が組み合わされたものだが、それがまさにキリストが最も大切な戒めとしてわれわれに教えたことである。マタイの福音書22:37~39でキリストは、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛す」ことが大切な第一の戒めで、「あなたの隣人をあなた自身のように愛す」ことが第二の戒めで、同じように大切であると言った。すなわちこれら2戒より大切な戒めは無いとキリスト自身が言明しているのである。第一の戒めは縦の関係、そして第二の戒めが横の関係で、それら二つは十字架の形そのものになる。
これさえ知っていれば、人生もビジネスも成功する。人間関係で問題を起こす人は、例外なくキリストの2戒を破っている。殺人も、泥棒も、嫉妬も、約束を破ることも、全てが2戒に違反している。逆に人格者といわれている人は、2戒を生きている人たちである。マザー・テレサなどがその典型例だ。でもビジネスの真の成功者たちも、2戒を守っている人である。デール・カネギーの本には、ビジネスに成功した人たちが何をしたかが書かれているが、彼らの共通点は、相手の望むことを察し、それを提供したことである。人は自分に関心を示さない人に引き寄せられることはない。ましてや自分から何かを奪い取ろうとする人には敵意さえ覚える。もしビジネスに失敗したければ、2戒を破ればよい。でもビジネスに成功したいと思っていても2戒を破れば、人々は去っていく。成功の秘訣は2戒しかない。
われわれは、聖書をビジネス書として読むことはめったにない。なぜなら、信仰生活と経済活動が分離しているからだ。でもどちらも一人の人物の中にあり、切り離すことはできない。もし仕事と信仰の狭間で葛藤している人がいるなら、それほど惨めなことはない。それは一つの人格を分断しているに等しい。聖書の教えは全人格的なものであり、何一つ分離することができない。もしキリストの2戒がわれわれの人生の生き方であるなら、それは同時に、ビジネスの仕方でもある。そしてそれは、われわれに人生の成功とビジネスの成功のどちらをももたらせる神の約束でもある。
私自身、キリストの2戒をどれほど守れているか分からない。でもビジネスでも成功したいから、2戒という十字架だけは決して忘れないようにしようと思う。
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木下和好(きのした・かずよし)
1946年、静岡県生まれ。文学博士。東京基督教大学、ゴードン・コーウェル、カリフォルニア大学院に学ぶ。英会話学校、英語圏留学センター経営。逐次・同時両方向通訳者、同時通訳セミナー講師。NHKラジオ・TV「Dr. Kinoshitaのおもしろ英語塾」教授。民放ラジオ番組「Dr. Kinoshitaの英語おもしろ豆辞典」担当。民放各局のTV番組にゲスト出演し、「Dr. Kinoshitaの究極英語習得法」を担当する。1991年1月「米国大統領朝食会」に招待される。雑誌等に英語関連記事を連載、著書20冊余り。