キリスト教とほかの宗教との違いは何か。
大きな違いは次のような点です。
(1)キリスト教が世界最古の、最長の宗教であることです。
キリスト教には、旧約の時代と新約の時代があり、人類の始祖アダム以来少なくとも数千年の歴史を持っています。旧約時代は新約時代と一連のつながりがあり、旧約時代に預言されたところに従って救い主イエス・キリストがこの世に来ました。
キリスト教はイエス・キリストから始まったのではありません。
旧約の時代のBC2千年ごろのアブラハム、彼に続くイサク、ヤコブらの族長、神のしもべモーセ、王ダビデらになされた約束が、イエス・キリストの来臨と死と復活によって成就(実現)したのです。イエス・キリストは始まりでなく、中心(最高潮)であり、完成の姿なのです。
旧約には神信仰の手本や新約についての預言や型がたくさんあり、新約はそれが実現した状態です。旧約の台木に新約が接ぎ木されて、一本の樹・キリスト教となったのです。このように、天地の始まり以来、長い、長い歴史を持った宗教です。
❖ ゾロアスター教はBC7~6世紀に出たゾロアスターの教えにより、AD3世紀のササン朝ペルシャの時代に成立したもの。
❖ ヒンズー教はBC10~5世紀成立したヴェーダーに基づくバラモン教に幾つかの民間信仰が加わって紀元後に段階的に成立したもの。
❖ 仏教は釈迦〔ガウタマ・シッダールタ〕(その出生はBC624年説、565年説、463年説と大きなずれがあり、確定していない)に始まる。AD2、3世紀の大乗仏教で大きく変容した。
❖ 儒教はBC6世紀の孔子に始まり、BC3世紀の荀子を経て発展したもの。
(2)キリスト教は、見ることができず、形のない、霊なる神、全知全能なる人格神、唯一神を信じるユニークな宗教です。樹や石や動物など語り掛けのない神ではなく、昔の偉人など死んでしまった人を信じるのでもなく、抽象的な知恵といったものでもなく、今も生きて、信じる人に語り掛け、励まし、救出する神を信じるものです。
(3)キリスト教は聖書に基づくものであること。聖書によって教理が立てられ、聖書に示されて道徳があり、神信仰があります。聖書によって知恵が示され、預言がなされています。すべての教理・すべての制度・すべての考え・すべての信仰は聖書に基づかなければならず、すべてのことが最終的には聖書によって判断されます。
聖書には、創造や民族の起源があり、律法があり、歴史があり、知恵があり、詩があり、哲学があり、預言があり、福音があり、その教理があり、実践道徳があります。そして終末の預言もあります。このような素晴らしい経典を持っている宗教はほかにはありません。
(4)キリスト教の道徳は神の義と愛に淵源をもち、高い。「殺すな」「盗むな」「姦淫するな」「父と母を敬え」など普遍的な道徳律を示し、無視する者へのさばきを語る一方で、キリストの十字架の死による罪の赦(ゆる)しを強調しています。神を愛し、隣人を愛せよと命じています。単に人間関係からするものではない深い道徳があるのです。
(5)天地の初めから世の終末まで、人間の心から世界全体の歴史まで、壮大に示しています。単に心のよりどころではなく、世界観・価値観を与えます。神話や作り話ではない、歴史的事実による客観的で裏付けのある宗教なのです。これは、ほかの宗教にはありません。
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正木弥(まさき・や)
1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。
【正木弥著書】
『なにゆえキリストの道なのか 〜ぶしつけな240の質問に答える〜 増補版』
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)