家族連れや若者の団体がバーベキューや川遊びを楽しむ真夏の名栗川(埼玉県)。心地よい流れと透き通る川の水、緑が真夏の日にまぶしい。川原で響くのは勇ましく、歓喜に満ちた歌声だった。
「おどろくばかりのめぐみなりき この身のけがれを知れるわれに」
元ヤクザの進藤龍也牧師が牧会する「罪人の友」主イエス・キリスト教会(通称:罪友)の真夏の洗礼式が1日、この場所で行われた。受洗の恵みにあずかったのは、埼玉県川口市にある同教会と「ザアカイの家」(東京・御茶ノ水)で求道中だった7人。元ヤクザで服役経験のある人、進藤牧師のブログや著書を読んでいるうちに神の愛に気付き、受洗へと導かれた人などさまざまだ。また、翌日には、仕事の都合で名栗川での受洗式に来られなかった男性が教会で受洗。今夏の受洗者は8人となった。「毎年、5人以上の受洗者が与えられ、感謝している」と進藤牧師は話す。
石関良和さんも今回、名栗川で受洗した一人だ。2013年10月、良和さんの弟・裕司さんは、34歳という若さで肺がんに侵され、余命1年の宣告を受けた。それまでの裕司さんの人生は、まさに傍若無人。友人を裏切り、家族を裏切り、経済的にも自立することなく、周りに迷惑ばかりかけてきた。そんな弟に嫌気が差し、我慢の限界まできていた良和さんは、裕司さんとは8年前から絶縁状態だった。「もう我慢ならないと思っていました。両親にも、『親子の縁を切った方がいい。これ以上、家族に迷惑をかけてほしくない』と話したほどでした」と良和さんは話す。
しかし、2年前に弟が余命宣告を受けた話を聞くと、いてもたってもいられず会いに行った。変わり果てた弟の様子を見た良和さんは、「とにかく今は、過去のことをゴタゴタ言っている場合ではない。好きなようにさせてやりたい」と献身的に看護した。「つらい抗がん剤が嫌だ!」と言えば、それをやめるように医師と話し、「家に帰りたい」と言えば、医師に話して自宅看護の道を選んだ。「つらいこと、怖いこと、痛いことはとにかく嫌がる弟でした。わがまま放題に生きてきたので、当たり前ですよね」と良和さんは振り返る。
余命宣告から10カ月ほどたったある日、死を覚悟したのか、突然、裕司さんが「神様を信じたら、死ぬのは怖くないのかな? もしそうなら、俺は神様を信じたい」と言い出した。「そうだな、そうかもしれないな。キリスト教がいい? それとも仏教?」と良和さんが聞くと、「キリスト教がいいな・・・」と答えたという。
それまで一度も教会に行ったことも、足を踏み入れたこともなかった石関さん一家は、どこからどのように教会にアプローチしたらよいのか分からなかった。「そもそも、どこの誰かも分からない自分たちを受け入れてくれる教会はあるのか?」と思いながらも、必死で探したという。そんな矢先、見つけたのが進藤牧師のブログだった。ブログに書き込みをすると、すぐに返事がもらえた。何度かやり取りをしているうちに、進藤牧師が裕司さんを見舞ってくれることになった。裕司さんは、進藤牧師に初めて会ったときに手紙を渡している。
先生いらっしゃいませ。この日(一週間)待ちわびました。まるで修学旅行のしおりだけをもらった気分でした。ワクワク、ドキドキが止まらない。気持ちが子供の頃に帰りとてもハッピーです。
進藤様はじめまして。なぜいきなり手紙かというとご存知の通り「ガン」とやるか、やられるかの勝負中です。やや不利ではありますが一生懸命闘っております。それにともなって副作用的に顔面神経麻痺がおきてうまく喋(しゃべ)れません。だからどうしても伝えたいことを手紙にしました。
私と先生とのつながりを作ってくれた兄とは8年間疎遠でした。原因は私に200%あります。まあ出来事は省きますが、病気がきっかけで仲良くなれました。私は幸せ者です。ロクでもない人生を送っていた私にこんなに優しく、温かく、心配してくれるスケールのでかい兄ちゃんだったのです。兄ちゃんは本当に素晴らしい人だと思っております。私の罪を赦(ゆる)し「私をカワイイ」とまで言ってくれる人に対して本当に感謝しています。
私はまだ聖書を読み終えてはいません。今は先生の本を読んだり、USBに入れた有り難い説教を聞いて勉強中です。本当に「ああ、その通り」と思うところが多くありすぎて感動の毎日です。こんな私も(4つのガンに体の自由を奪われても)夢があります。“またか”と家族には思われると思いますが、『牧師・伝道者』になる事です。もし、ガンに勝つことができて、体力もついたらプロセスを大事にして目指したいと思います。
P.S 私はこの出会いを一生忘れることはないでしょう。私は先生のことが Like ではなく Love ですよ。アーメン!!(一部抜粋)
その後、裕司さんは病床で受洗し、「一度、罪友に行きたい」という願いを奇跡的にかなえ、召天1カ月前に、医師の承諾を得て外出、教会で礼拝をささげることができた。その時の様子を良和さんは、「とても楽しそうでした」と話す。何かを勝ち取り、安心した様子でその1カ月後、余命宣告から約1年がたった2014年10月、天国へと旅立った。
良和さんは、「あの弟が、死の恐怖に本当に耐えられるのかと思っていました。しかし、弟は私たち家族の一人一人に遺言を遺していました。そんなことをする弟ではなかったので、それを読んだときに、弟が神様に変えられた姿を見た気がします」と話す。
「弟の受洗をきっかけに、自分も変わらなければ」。神についていきたいと強く思い、この日、名栗川で他の6人と共に洗礼を受けた。受洗の瞬間、目には光るものが見えた。
「『しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる』(マルコ10:31)とあるように、弟は人生を全うして、最期の瞬間でしたが、イエス様の愛によって救われ、御国へと旅立っていきました。私もこれからの人生を、主の声に従って全うしていきたいです」と決意を語った。