イエズス修道士となり、ネパールで30年奉仕
終戦後、東京に戻り、1946年にイエズス会に入り修道士となった。修道会に入った十数人は、海軍から陸軍の戦車兵まで皆、戦争で戦った兵士だった。
10年かけてイエズス会士となり、栄光学園などで倫理を教え、1977年からネパールに渡り、西部の町ポカラで障がいのある子どもたちのための学校を設立した。30年間、神父、教師として地域の貧しい人々の中に入って暮らした。NHKの海外放送のモニターをすると月5000円の謝礼をもらえた。30年間、全ての生活費をそれで賄い、日本の教会や教え子たちからの寄付は全て福祉施設や病院、学校のために使った。
「寄付は、ほとんどは信者でない方からいただいているんです。ですから宗教的なことのためにそのお金を使ってはいけない。福祉のため、ネパールの貧しい人のため、子どもたちのため、病院のために使うのはいい。でも教会のため、修道会のために、一般人からの寄付を使ってはいけない。それはいつも厳しく考えていました」
ネパールでも何度も命の危機に見舞われた。先輩のギャフニ神父は講演会で政治批判をしたため、寝ている間に首を切られ、殺害された。その晩、夜中の1時に電話が来た。
「大木神父か?」「次はおまえの番だ」「マオイストだ。政府を転覆させるグループだ。大木神父、政府に加担しているおまえもネパールのためにならないから殺す」
「特攻は一瞬です。でも司祭の人生は長いですよね(笑)。当時、ネパールはヒンズー教を国教としていて、キリスト教を布教することは法律で禁止されていました。見つかると投獄される。日本の昔の歴史だとバテレンは殺されたけど、ネパールには死刑がない。何年もあの汚いろう屋でひどいものを食べさせられる。耐えられるかな、それなら殉教したほうが楽だなと思いました」
思わず「素直でいらっしゃいますね」と驚くと、「こういうことを言えるのが信仰の支えだと思いますね」と、大木神父は柔らかな顔で笑った。
2009年に帰国するが、引き継ぎの手違いで30年間の1000枚以上の写真や思い出の品はほとんど捨てられてしまった。ひどく残念だったというが、その時、イエズス会を創設した聖イグナチオ(イグナチオ・デ・ロヨラ)によって書かれた「私の全てをおささげします」という祈りを思い出したという。
「この祈りは、私の意思や持っているもの全てを主におささげしますという祈りなのですが、その中に『私の記憶をおささげします』という箇所があります」。全てをささげるとは、思い出や記憶もささげることなのだと気付いたという。
特攻作戦とは何だったのか?
「特攻の創始者とされる大西瀧治郎海軍中将は、生き残っていたらずいぶん非難されるべき人だったでしょう。私たちも非難したい。でも、カトリックでは全ては神様が審(さば)かれます。人間には誰にも裁く資格はない。良い、悪いということを客観的に言うことは譲らないですけれども。神様の御摂理(みせつり)を認めるか否かということが、カトリックとプロテスタントの信仰理解の違いかもしれません」
「神の御摂理で世界は動いている。人間が反発することがあっても、全ては神様がなさっている。カトリックには言葉を選らばず言うなら、諦め、納得があるんですね。ある人が罪を犯したとしても、そこに置かれたのは神様の計画の中にある。特攻にしても、トルーマンが原爆を落としたことにしても、ソ連に対して優位性を保つためということを考えたなど、いろいろなことが考えられるわけです。でもどのような動機で、誰のどのような意思決定によって行われたにしろ、結果は全て神様の御摂理として、摂理の縦糸と横糸の中に織り込まれている。偶然ということはない。全ての出来事の中に、神様の永遠の摂理の中に、前から分かっていたことなのです」
● 全てをそうであると理解することは、歴史を批判したり、検証するプロセスがこぼれ落ちてしまうということはないのか?
「これが悪いことであったということは言うべきです。特攻や原爆を許すということではなく、悪であったということははっきりしている。しかし、結果がそうなったというのは神様が何らかの意味で計画しておられたことでしょう。信仰者としてはそれを受け入れることができるということです」
大木神父は静かに語った。
特攻の記憶をめぐって
しかし、大木神父にも特攻について今でも二つの心残りがあるという。
「同期の桜として部隊で生活していた予備学生の中で、特に一人、京都大学で仏教哲学を学んでいた若者がいて、キリスト教の哲学学徒だった私とは、いつも話が合ってとてもいい戦友でした。しかし、戦争が終わってしまって離れてしまい、その後70年間、連絡を取ることはありませんでした。彼はその後、学問界で立派な業績を上げ、日本の碩学(せきがく)と評価されるようになられたことを陰ながらうれしく思っています。
しかし、同じように軍国士官として、特攻隊員として、戦争に参加したという自身のまれな経験を生かして、日本の思想界の中で建設的な発言をしていただけたらよかったのにと思っています。彼が自分の戦中の経験を、現代の日本の状況に結び付けて、まとまった発言をなさっていないのは心残りです」
もう一つは、400人中最後まで特攻に抵抗した6人の予備学生のことだ。
「彼らは本当に偉かったと思います。『平和日本の再建のために生き残ります』と言って最後まで特攻を拒否し続け、除隊した6人があれから平和のためにどのように生きていったのか知りたいと、70年間いつも心のどこかで気になっていました。名前も分かりません。ただ『海軍潜水学校6期予備学生大竹潜水学校入隊400人のうち6人』、それしか手掛かりはありません。誰か調べてくれないでしょうか」
強制でも、その場の空気でも、そして信仰でもなく、特攻を拒否し続けた彼らを支えたものは何だったのだろうか。
● 元特攻隊員として今の時代をどう思うか?
「日本国憲法の理想は人類の理想だということで、それを日本が戦争の反省から戦争廃止に導かれ、受け入れたということは立派なことだと思います。その理想を国際社会でも持っていくべきではないか。それを宣言する国であっていいのではないかと思います。
もし東京にいたら、誘い合ってデモに参加したいと思っています。NHKも報道番組でほとんど扱わない。教会に呼ばれて機会があるたびに、『今は大変な時期なんですよ』とお話しています。日本のイエズス会は2月にメッセージを出しました。平和のためにそれぞれの立場で動いていこうとしています。ぜひそれを深めたいと思っています。
戦後、イタリアではローマ教皇ピウス12世が『選挙に行きなさい』と言いました。その言葉で、司祭や修道士、修道女も選挙に行った。この伊万里のトラピスト修道院でも選挙の日には、車で何度も往復しながら、修道士・シスター全員が投票所に行きます。それが本当の民主主義。無視するのは、賛成の意思を示すことになってしまう。
教会は政治に口を入れてはいけません。でも今起きていることは政治ではなく道徳の問題です。不道徳の法律ができそうなときは、信者も声を上げないといけない。支持政党に賛成するのではなく、不正に対して声を上げることは信仰者の義務です」
取材を終えた後、大木神父が話の終わり頃に言った言葉を思い出した。
「あなたと私が今日、ここでこういうお話の場を得たということも、お互い全く自由意思でお会いしたわけですけれども、神様の永遠の摂理の中に分かっていたことなのです」