安保関連法案に反対する運動が若い世代の間でも活発に行われ、「戦争反対」という言葉が盛んに聞かれる、戦後70年の夏。「自分自身としては、子どもたちに向かって『戦争反対』と軽々しく言うことはできません」と話す一人の戦争経験者に出会った。聖ステパノ学園(神奈川県大磯町)理事長で、同園小学校・中学校の校長である小川正夫さん(84)だ。東京・世田谷でキリスト教の影響を受けて育ち、戦後、立教小学校校長やキリスト教学校教育同盟小学校部会委員長などを務め、約60年にわたってキリスト教学校の現場で児童教育に携わっている小川さんに、その真意を聞いた。
小川さんは、子どもたちの目の前で家族の命が奪われる、そのような光景が当たり前になるようなことは、絶対にあってはいけないと話す。それは、自身の戦争経験を語るとき、爆撃の中で悲惨な死に方をした人々の光景が目に浮かぶからだ。戦争に対するこの記憶は、70年たった今でも変わらずに色あせることはない。当時、中学生だった小川さんは、爆撃によって辺り一面が火の海に変わり、煙が腰の高さをただよう、逃げ場のない東京をさまよった。しかし、その中で「何とかこの戦争の結末を見られないものか、明日は生きているのだろうか」という思いが湧き上がったとき、空を見上げて「自分は一生懸命生きてきたとは言えないけれど、明日命があったら、真面目に生きます」と祈ったという。「その時、雲の隙間から星が見えたのを、今ふっと思い出しました」
父親が救世軍の一員として働きに加わっていた小川さんは、キリスト教に触れながら育った。幼いころに聞いた聖書の言葉はほとんど記憶にないというが、「ただ信ぜよ」という聖歌の歌詞が耳に残っているという。プロテスタントの教会、伝道所が近所にあったそうで、聖歌や賛美歌が大好きだった小川さんは、子ども心に教会に引かれる思いがあった。そんな教会に対する親しみを覚えていた小川さんが、おぼろげながらも「確かなキリスト教との出会いだった」と振り返るエピソードがある。
近所の教会の牧師が、「天皇陛下より偉い方がおられる」と発言したことで、憲兵隊に連れて行かれたのだ。非国民だとして拘留され、一度その牧師は戻ってきたが、同じ発言を繰り返し、再度連れて行かれた後は二度と帰ることはなかったという。この事件を伝え聞いた小川さんは、「教会はすごい場所だ」と思った。爆撃の下で祈りをささげたキリスト教の神のイメージの原点はここにあるのだろうと言う。
戦後、米国の進駐軍の基地でアルバイトをしていた小川さんは、日曜日に正装で教会に向かう米国人が礼拝で静かに祈りをささげるのを目にし、自分と向き合い、神に向かう姿が日本人とは違うと感じたという。基地の外にも、多くの宣教師が教会を建てていったが、高校生だった小川さんは部活動が忙しく、なかなか教会に通うことができなくなってしまった。しかし、立教大学に進学し、チャペルでの朝の礼拝、昼の演奏会、夕方の祈り会に参加できるようになった。卒業後、立教小学校の教員として働き始めた小川さんは、当時の校長の勧めを受けて、洗礼を受けた。
教職者として、これまで多くの子どもたちと関わりを持ってきた小川さんは、平和を内面化することの難しさを強く感じているという。礼拝のメッセージの中で戦争の話を交え、「命を大事にしましょう」と語り掛けても、礼拝が終われば、「原爆だー!」と叫びながら、池のオトマジャクシを踏みつぶす子どもたち。戦車や飛行機のおもちゃを使って、無邪気に戦争ごっこをする子どもたち。「『戦争反対』と言っても、抽象的なことは子どもたちには伝わらない。友達同士仲良くすること、仲間外れにしないこと。具体的な話をすることが、大切だと気が付いた」と話す。
小川さんが校長を務めて約20年になる聖ステパノ学園の敷地内には、日本の敗戦後、1948年に澤田美喜さんによって創立された児童養護施設、エリザベス・サンダースホームがある。戦後、米国の進駐軍将兵と日本人女性の間に生まれ、親と共に暮らすことのできなかった混血孤児を引き取り、教育をし、一人前の社会人として送り出すために設立された施設だ。その子どもたちが通うための学校として創立されたのが同学園。戦争によって不遇な状況に置かれた子どもたちを守るために作られた場所が、戦後70年が経過した今でも存続している。
同施設が創立記念40周年を迎えたとき、小川さんは当時の理事長に、お祝いの言葉を述べた。しかし、理事長から返された言葉は、「この施設が続いているというのは、決しておめでたいことではないのです」というものだった。子どもを抱えた女性が生きていくのが困難だった戦後の混乱期はとうに終わったはず。戦争を知る世代自体が非常に貴重になりつつある時代であるのにもかかわらず、施設に預けられる子どもは今もいなくならない。
小川さんは、「命ってなんだろう」と考えることが平和への第一歩であると考えている。「かつて、命は王や主君、国のものであった時代がありました。今は、命は自分のもの、子どもの命も自分のものと考えている人が多いのではないでしょうか」。小川さんはそう問い掛ける。「命は神様から預かったものです。与えられた命を大事にするとはどういうことか。イエスに倣って生きるとはどういうことか。そう考えることで初めて、自分も他の人も大事にすることができるのではないでしょうか」