エイブラハム・リンカーンの生涯
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(19)神は正義を照らす
政治活動をしながらも、リンカーンは本職の弁護士業に力を注いでいた。弱い者、困っている者がいると、1セントの報酬も取らずに、親切に弁護してやるのだった。上院議員選に落選してから1カ月半後。彼は1通の手紙を受け取った。
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(18)国会議員となって
1847年。リンカーンは38歳で国会議員となった。国会内では「奴隷問題」が最大の議題となっており、奴隷制度を巡って賛否両論が渦巻いていた。リンカーンの胸には「奴隷制度廃止」への熱情が火のように燃えていた。
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(17)貧しい者たちを弁護する
ある日のこと。一人の老婆が杖にすがってリンカーンに訴訟事件の弁護を頼みに来た。「先生、聞いてくださいまし。私の夫は独立戦争の時に戦死いたしました。その功績で、あとに残った私は、政府から恩給を頂きまして、どうにか暮らしておりました。
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(16)弁護士を開業する
1837年。28歳のリンカーンは、弁護士を開業するためにスプリングフィールド市に移住した。まずは事務所を確保しなくてはならない。彼は大きな雑貨店の店主ジョシュア・スピードの所を訪ねた。
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(15)虐げられる奴隷たち
こうして州議会議員となったリンカーンは、身を粉にして働き、イリノイ州の人々のために尽くしたので、その後二度までも議長候補に選ばれたのだった。その間いつもリンカーンの心にあったのは、アフリカ奥地からこの国に売られてくる奴隷のことだった。
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(14)「帽子郵便局」の局長
アームストロングの援助で開いた雑貨屋は繁盛したものの、共同経営者のベリーという男は大変な怠け者で、一日中酒を飲んではのらりくらりと遊んでばかりいたので、リンカーンは一人で店の切り盛りをしなくてはならなかった。
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(13)この胸を撃て!
1832年3月。リンカーンは推されてイリノイ州議員選挙に立候補するが、落選した。その翌月4月のことである。「ブラック・ホーク(黒鷹)」というインディアンの首長が反乱を起こし、イリノイ州を混乱に陥れた。
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(12)親友を得る
1831年6月。エイブは再びミシシッピー川をさかのぼってスプリングフィールドのデントン・オフェットの店に帰った。エイブたちが商売でかなりの収益を得て帰ってきたので喜んだオフェットは、ニューセーラムの村に店を出し、手広く雑貨店を始めた。
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(11)ニューオーリンズの「奴隷市」
エイブたちは、ニューオーリンズの町に着いた。憧れの町に上陸したとき、エイブの胸はうれしさでいっぱいだった。この町で食料品や雑貨の数々を思ったよりも高い値で売った後、エイブ、ジョン・ハンクス、ジョン・ジョンストンの3人はしばらく町中を歩いて…
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(10)イリノイ州への移住
1830年3月1日。リンカーン一家はイリノイ州に向かって出発した。ほろ馬車に家財道具を積み込み、一台は馬、もう一台は牛に引かせて荒野をどこまでも行った。父トーマスはすっかり年を取り、寂しげに見えた。
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(9)初めての商売と姉の死
エイブはアンダーソン・クリークで船頭をするうちに、いつも大きな汽船を眺めては思うのだった。(このオハイオ川を下ればもっと大きなミシシッピー川に出るんだ。その河口にはニューオーリンズという大きな町があるそうだが、一度行ってみたいなあ)
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(8)苦しむ者の願い
エイブは、20キロほど離れたアンダーソン・クリークという所で、渡し舟の船頭をして働くようになった。重労働であり、一日働く賃金は37セントにしかならなかったが、彼には大志があったので一生懸命に働いた。
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(7)愛は正義に勝る
こうして、昼は父を助けて森や畑で働き、夜は遅くまで勉強に励むエイブを父も母も誇りに思っていたが、時々むちゃをするのを見ると体を気遣うのであった。この頃、エイブは法律関係の本を読むようになり、今『イリノイ州法規』という本に挑戦していた。
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(6)小さな命を守る
最初の財産となった『ワシントン伝』を手にしたエイブは、畑仕事の最中も、薪割りをしているときも、いつもこれを読んでいた。「アメリカに、こんな偉い人がいたんだなあ」。彼は、何度もつぶやくのだった。
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(5)ぬれた『ワシントン伝』
エイブは、見知らぬ女の子が読んでいた『ワシントン伝』のことが頭から離れなかった。「アメリカを独立に導いた人だって? 何て素晴らしい人だろう。自分も何とかしてその本を読みたいなあ」
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(4)神に感謝、人に親切
父親の手伝いで、森の木を切り倒したり、畑仕事をするうちに、エイブの腕の筋肉は固く締まり、力では彼にかなう者はいないと村中の評判になった。「ちょっとエイブさんの手を借りたいんだがね」。手が足りないとき、農家の人々はよく父のトーマスに…
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(3)新しい母
母ナンシーの死から1年後の1819年。エイブは10歳、サラは12歳になった。それは雪の降る寒い日だった。突然トーマスは子どもたちに言った。「おまえたち、母さんがいなくて寂しいだろう。母さんが欲しくないか?」
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(2)神はあわれみ深い方
翌日から、エイブは父親を手伝って小屋を作り始めた。手頃な木を切り倒すと、枝葉を払い落とし、柱を建てた。それから、木の皮や枝で周りを囲い、屋根を作った。窓もなく、入り口にはドアもなく、床板もない土間でたき火をしての生活だったが…
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奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(1)プロローグ―荒野を旅して
1809年2月12日。アメリカ合衆国ケンタッキー州のロック・スプリングという村の丸木小屋に、一人の男の子が生まれた。「おお、元気な子だ。良い子を産んでくれてありがとう」
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