景教
-
新・景教のたどった道(58)景教を日本に紹介した人々(2)ゴルドン 川口一彦
日本に景教を紹介した人々には何人かあり、その人物について取り上げたいと考えています。2人目はゴルドン女史(Elizabeth Anna Gordon、耶利沙伯・安那・戈登、1851〜1925)です。
-
新・景教のたどった道(57)景教を日本に紹介した人々(1)佐伯好郎 川口一彦
日本に景教を紹介した人々には何人かあり、その人物について取り上げたいと考えています。その一人が景教博士の異名を持つ佐伯好郎(1871〜1965)です。佐伯は1935(昭和10)年に『景教の研究』という千ページを超える大型版を著しましたが…
-
新・景教のたどった道(56)仏典と聖書の男女観について 川口一彦
今回は、仏典と聖書の男女観、特に仏典の「変成男子」の教えと聖書偽典との関わりについて書いてみたいと思います。知識や知恵を特質とするグノーシス宗教はキリスト教ではありませんが、彼らの著作と仏典とがよく似ている部分がありますので書きました。
-
新・景教のたどった道(55)中国の諸宗教と景教(5)浄土教と景教 川口一彦
中国浄土教の善導と景教について考えたいと思います。唐代の中国浄土教の有名な指導者は善導(613〜681)です。彼は20代後半に晋陽にいた道綽(どうしゃく、562〜645)から浄土教典の観無量寿経の教えを受けました。
-
新・景教のたどった道(54)中国の諸宗教と景教(4)密教(特に空海)と景教 川口一彦
密教は紀元7世紀以降インドで起こり、主要経典の『大日経』は7世紀半ばにインドのどこかで成立し、『金剛頂経』は7世紀後半に南インド(?)で成立したとの説があり、二経典が中国やチベットに伝わり、朝鮮や日本にも伝わりました。
-
新・景教のたどった道(53)中国の諸宗教と景教(3)仏教と景教 川口一彦
どの時代にも、どの地域でも信仰者には迫害が伴います。そのことについて、唐の時代の中国で起きたことを記してみたいと思いました。中国には古代からさまざまな宗教がありました。
-
新・景教のたどった道(52)中国の諸宗教と景教(2)道教と景教 川口一彦
道教の指導者は皇帝に重んじられ、皇帝にまみえるのも優先されていました。唐を設立した高祖の李淵(565〜635)の先祖は、道教の創始者で春秋時代(紀元前500前後)の思想家の老子(神格化して太上老君と呼ぶ)との説もあります。
-
新・景教のたどった道(51)中国の諸宗教と景教(1)儒教と景教 川口一彦
中国には、古代からさまざまな宗教がありました。紀元前から存在していたものの一つに、儒教があります。儒教は宗教かとの論争もあります。大まかに言って儒教は、孔子(前551〜479)が教えた思想をもとに彼の弟子たちがまとめた四書五経があり、その中の『論語』はあまりにも有名です。
-
新・景教のたどった道(50)景教碑頭部のデザインについて(3) 川口一彦
景教碑の頭部には幾つかのデザインが刻まれています。前回に続いて、十字の下に彫られたデザインについて考えました。これについて佐伯好郎著『景教の研究』には蓮、蓮台と書かれています。このデザインは蓮なのでしょうか。
-
新・景教のたどった道(49)景教碑頭部のデザインについて(2) 川口一彦
景教碑の頭部には幾つかのデザインが刻まれています。第一に炎です。十字の上のデザインは炎と見受けます。これはおそらく聖霊の臨在の炎ではないかと考えます。
-
新・景教のたどった道(48)景教碑頭部のデザインについて(1) 川口一彦
景教碑の頭部には幾つかのデザインが刻まれています。聖書では特に、ヨハネの黙示録12章で王冠のついた赤い龍は悪魔・サタンの別称で、主なる神様に敵対し、人間を惑わす悪とされています。
-
新・景教のたどった道(47)景教と皇帝(3)唐代の皇帝② 川口一彦
景教碑は、則天武后・武則天(在位690〜705)の聖暦年(698〜699)に仏教徒による景教徒への迫害があったことを刻んでいます。「聖暦年に釋子(釈迦の信徒)は壮を用いて口を東周に騰(あ)げる」
-
新・景教のたどった道(46)景教と皇帝(2)唐代の皇帝① 川口一彦
景教碑が伝えるところによると、東方教会の中国宣教開始は太宗皇帝(589〜649)と総理大臣であった房玄齢(587〜648)の貞観12(638)年で、その3年前に長安に入り皇帝に謁見しています。
-
新・景教のたどった道(45)景教と皇帝(1) 川口一彦
中国は紀元前の秦王朝から始皇帝(在位は前221~前210年)の名を使い、自らを「皇帝」「朕」と称し、全国制覇し天下を統一しました。6つの国を滅ぼし、今の陝西省咸陽市(西安市の西)に都を置き、大宮殿の阿房宮を築き大都市をつくりました。
-
新・景教のたどった道(44)大秦景教流行中国碑の内容と構成 川口一彦
中国陝西省西安市にある西安碑林博物館には3千余りの碑が立ち、それはまさに碑林の博物館で、石刻芸術の偉大さを感じます。その石刻芸術の一つ、大秦景教流行中国碑が石室の奥に収められています。
-
新・景教のたどった道(43)大秦景教流行中国碑が発見された場所と年代問題 川口一彦
碑の高さは約2・8メートル、幅は約1メートル、頭部は二対の龍、下部は亀でなく龍の九番目の子のビシの台座があり、前文の碑陽部分は約1700文字で作られています。側面にも漢字とシリア語が彫られています。
-
新・景教のたどった道(42)景教とは、その源流と教え 川口一彦
635年、ペルシアから初代宣教師の阿羅本ら21人によって唐代中国にもたらされたイエスの教えを波斯(ペルシア)教と呼び、745年に大秦景教と改称。大秦とは東ローマ帝国のユダヤ、景の字義は大きな光からイエスのこと。彼らは大秦景教と呼んだ。
-
新・景教のたどった道(41)大秦流行中国碑のシリア語と解読(10)川口一彦
側面には70人の指導者名が刻まれていますが、この碑を建てるために賛同し、費用を拠出した者ではないかと考えます。右側面には24人の指導者の名が刻まれていて、第2段目13人を紹介しました。
-
新・景教のたどった道(40)大秦流行中国碑のシリア語と解読(9)川口一彦
側面には70人の指導者名が刻まれていますが、この碑を建てるために賛同し、費用を拠出した者ではないかと考えます。右側面には24人の指導者の名が刻まれていて、第1段目11人を紹介しました。
-
東方景教セミナー「東方基督教の歴史と教え」 東京・立川で10月31日
「東方景教セミナー」(日本景教研究会主催)が10月31日(土)、東京都立川市柴崎町3ー9ー18の「99+TACHIKAWA」(JR「立川」駅南口・徒歩5分、モノレール「立川南」駅・徒歩3分)で行われる。
人気記事ランキング
-
テレビ伝道者ベニー・ヒン氏が「二大後悔」明かす 「繁栄の神学」の間違いを再度認める
-
NCC靖国神社問題委、首相の真榊奉納、閣僚2人の参拝に抗議
-
日本福音ルーテル教会、岡正治牧師の性加害受け声明 「自らの罪として重く受け止め」
-
聖路加チャプレン性加害事件2次加害訴訟、被害女性が意見陳述 院内集会で牧師らが発題
-
日本のゴスペル界から総勢650人が参加 映画「雨ニモマケズ」、2025年公開
-
国家のためにクリスチャンが心を一つにして祈りを 神戸で2回目の「日本国家祈祷会」
-
東京基督教大学、2025年度から「総合神学科」を「神学・国際教養学科」へ
-
立教学院が創立150周年、感謝礼拝で創立者ウィリアムズ主教の出身神学校学長が奨励
-
ジーザスと私(13)これでは元も子もない 桜井知主夫
-
英国の著名福音派伝道者、同性カップルの祝福認めた英国国教会を脱退
-
クリスチャン詩画作家の星野富弘氏死去 頸髄損傷で体不自由に、口にくわえた筆で創作
-
テレビ伝道者ベニー・ヒン氏が「二大後悔」明かす 「繁栄の神学」の間違いを再度認める
-
日本基督教団、聖路加チャプレン性加害事件の被害女性に回答書
-
NCC靖国神社問題委、首相の真榊奉納、閣僚2人の参拝に抗議
-
ピアニストでカトリック信者のフジコ・ヘミングさん死去、92歳
-
加藤常昭牧師死去、説教塾を主宰 日本基督教団隠退教師
-
日本福音ルーテル教会、岡正治牧師の性加害受け声明 「自らの罪として重く受け止め」
-
日本のゴスペル界から総勢650人が参加 映画「雨ニモマケズ」、2025年公開
-
北海道キリスト教書店が2024年度で閉店、店舗営業は10月末まで
-
聖路加チャプレン性加害事件2次加害訴訟、被害女性が意見陳述 院内集会で牧師らが発題