川口一彦
-
古代東方大秦景教旅行写真記(4)中国福建省の遺跡(1)泉州海外交通史博物館 川口一彦
唐代、武宗皇帝による大迫害があった840年代以降、景教徒たちは宣教拠点の西安から離れ、大秦景教や大秦寺会堂の名を廃して「エリカオン(也里可温)教」「十字寺会堂」と改称し、多くの信徒たちは福建省の泉州近辺にも住みました。
-
古代東方大秦景教旅行写真記(3)中国内モンゴルの遺跡 川口一彦
唐代、武宗皇帝による大迫害があった840年代以降、景教徒たちは宣教拠点の中心地であった西安から逃れ、北京郊外、内モンゴルや福建省、中央アジアへと離散し、特に、元の時代に名前を景教からエリカオン(也里訶温)教と改称。
-
古代東方大秦景教旅行写真記(2)中国西安の大秦景教流行中国碑と西安碑林博物館 川口一彦
西安碑林博物館の建設は北宋時代(1087年)から。漢代から近代に至る3千以上の碑石を収蔵し、中国古代からの書法と石刻芸術の宝庫という。
-
古代東方大秦景教旅行写真記(1)中国北京三盆山中腹の十字会堂跡 川口一彦
古代東方教会は、中国唐代には大秦景教と呼ばれました。900年代以降の唐代滅亡から宋、元の時代に生きていたエリカオン(也里訶温)教徒の遺跡などを、写真で見ていただこうと考えました。
-
新・景教のたどった道(80)付録6:東方教会のシリア語について2 川口一彦
古代シリア語ペシッタ(直訳)版聖書の一つを紹介します。これは、クルジスタンで発見されたエストランゲロ式書体のヨハネ福音書3章の部分です。この中の16節を訳しました。
-
新・景教のたどった道(79)付録5:東方教会のシリア語について1 川口一彦
シリア語聖書との出会いは、20年以上前にさかのぼります。骨董祭でポケット版のシリア語新約聖書(写真、表紙)を安価で購入したときでした。ページを開くと、鉛筆でシリア語聖書と書き込まれていました。
-
新・景教のたどった道(78)付録4:景教碑の書体と漢字について2 川口一彦
景教碑は、楷書体と行書体の混成で書かれています。書いた人物は呂秀巖です。優れた書体でまとめていることに大変驚きます。その景教碑と、その時代の最も優れた『九成宮醴泉銘』の書とを比較しました。
-
新・景教のたどった道(77)付録3:景教碑の書体と漢字について1 川口一彦
景教碑は漢字とシリア文字で構成されています。漢字は楷書体と行書体の混成で書かれ、書いた人物は呂秀巖です。優れた書体でまとめていることに大変驚きます。今回から、彼が生きた唐代で書をよくした人物である欧陽詢や虞世南らの書と比較しつつ、景教碑の…
-
景教セミナー「景教碑と発見された遺跡について」 東京で9月24日
「景教セミナー」(日本景教研究会主催)が9月24日、東京のお茶の水クリスチャン・センター4階にある東京プレヤーセンターで行われる。本紙でコラム「新・景教のたどった道」を連載している日本景教研究会代表の川口一彦氏が講演する。
-
新・景教のたどった道(76)付録2:聖書の右の優位と東アジアの左の優位の違いについて 川口一彦
聖書には右と左について記してあり、右が優位・上位であるとほのめかしています。一方で、中国では唐の時代、日本では特に平安時代に入ってから、左が優位・上位とされています。
-
新・景教のたどった道(75)付録1:大秦景教流行中国碑の十字部分の意味 川口一彦
景教碑の上部分には、デザインが彫られています。その一つ一つを紹介します。635年、中国唐代の太宗皇帝の時代に初めてイエスの教えである景教が入り、福音が広がりましたが、781年に建った景教碑の碑頭部分には、幾つかのデザインが彫られました。
-
新・景教のたどった道(74)東方景教の遺跡を巡る旅・南インドの使徒トマス遺跡 川口一彦
初めてインドを旅した。使徒トマス遺跡ツアーの団長として責任を感じつつ、ワクワクしながら空港に集まった。旅行会社JTB法人東京の責任者から旅の注意事項を聞き、天地を支配される神様に、旅の導き手として共にいて、病や事故などから守ってくださる…
-
新・景教のたどった道(73)東方景教の遺跡を巡る旅・中国(6)福建省 川口一彦
私は元の時代を中心に10~14世紀、福建省の泉州ほかで集会を持っていたエリカオン(也里可温)教徒の足跡をたどってみたいと願っていた。しかし集会場所は今はなく、発見された石碑が多く保管されている泉州海外交通史博物館と厦門(アモイ)大学…
-
新・景教のたどった道(72)東方景教の遺跡を巡る旅・中国(5)内モンゴル2 川口一彦
そこには定住ホテルのパオもたくさん建ち並び、食堂に入る前に迎えられた店員たちから当地のあいさつの儀式として酒を手に取り、指で天地人に感謝するとのことで、さらに口にするように言われ、少し度の濃いアルコールを飲みほした。
-
新・景教のたどった道(71)東方景教の遺跡を巡る旅・中国(4)内モンゴル1 川口一彦
私たち一行は北京から内モンゴル自治区(内蒙古)へと旅立った。飛行機は呼和浩特(フフホト)空港に着き、ホテルに向かった。明くる朝早く起きてスケジュールに目を通し、用意された20人ほど乗りのマイクロバスで百霊廟へと走り出した。
-
新・景教のたどった道(70)東方景教の遺跡を巡る旅・中国(3) 川口一彦
2004年3月と06年11月の2回、私たちは北京郊外の房山区三盆山中腹に、元代の也里可温(エリカオン)教の十字会堂遺跡を見学した。高速道路を走り、途中に北京原人遺跡のある周口店の案内看板があり、高校の歴史で学んだことが懐かしく感じた。
-
景教研究の川口一彦牧師、新著『景教碑の風景』出版
川口一彦牧師(愛知福音キリスト教会)がこのほど、新著『景教碑の風景』を出版した。愛知県春日井市の歴史や文化を研究する地元の市民グループが発行する全10巻予定の冊子シリーズ「ふるさと春日井学」の第3巻。
-
新・景教のたどった道(69)東方景教の遺跡を巡る旅・中国(2) 川口一彦
次いで一行は、世界遺産になった秦始皇帝の兵馬俑博物館を見学し、その大きさと多様な兵馬に驚いた。1974年に地元の男性のヨウさん(写真)が発見して発掘すると、膨大な数の兵馬や瓦などが見つかった。
-
新・景教のたどった道(68)東方景教の遺跡を巡る旅・中国(1) 川口一彦
私が始めて中国に足を踏み入れたのは、2003年に開催されたイーグレープ主催の景教ツアーで、それまでは夢のまた夢であった。高校時代から書道を専門的に学び、将来は書家として歩み、書人や詩人の李白、杜甫たちが住んだ土地に行ってみたい思いが強くあった。
-
新・景教のたどった道(67)景教小字典(2) 川口一彦
唐代の景教徒たちは、聖書や教義書、賛美歌などを彼らの言語のシリア語から漢訳していました。主な用語をかっこ内に当時の漢字で表記し、一部を拓本で紹介しました。
人気記事ランキング
-
東京基督教大学、2025年度から「総合神学科」を「神学・国際教養学科」へ
-
ジーザスと私(13)これでは元も子もない 桜井知主夫
-
聖路加チャプレン性加害事件2次加害訴訟、被害女性が意見陳述 院内集会で牧師らが発題
-
自分を愛する 菅野直基
-
日本のゴスペル界から総勢650人が参加 映画「雨ニモマケズ」、2025年公開
-
ワールドミッションレポート(5月10日):タンザニアのハ族のために祈ろう
-
永遠に残るもののために 安食弘幸
-
スコセッシ監督、イエスの生涯描く新作で「沈黙」主演のガーフィールドを起用か
-
篠原元のミニコラム・聖書をもっと!深く!!(173)聖書と考える「366日」
-
ヨハネ福音書を読む(56)「さあ、ここから出かけよう」―捕らえられる直前のイエス様― 臼田宣弘
-
クリスチャン詩画作家の星野富弘氏死去 頸髄損傷で体不自由に、口にくわえた筆で創作
-
日本基督教団、聖路加チャプレン性加害事件の被害女性に回答書
-
ピアニストでカトリック信者のフジコ・ヘミングさん死去、92歳
-
日本のゴスペル界から総勢650人が参加 映画「雨ニモマケズ」、2025年公開
-
合同メソジスト教会、同性愛容認へ大きな方向転換 保守派の大量離脱で
-
立教大学と同志社大学が協定締結 「キリスト教教育の多様性と新たな可能性を開く」
-
加藤常昭牧師死去、説教塾を主宰 日本基督教団隠退教師
-
スコセッシ監督、イエスの生涯描く新作で「沈黙」主演のガーフィールドを起用か
-
永遠に残るもののために 安食弘幸
-
ハンガーゼロ、沖縄事務所元職員が1200万円以上を横領 内部調査報告書を発表
-
クリスチャン詩画作家の星野富弘氏死去 頸髄損傷で体不自由に、口にくわえた筆で創作
-
日本基督教団、聖路加チャプレン性加害事件の被害女性に回答書
-
ピアニストでカトリック信者のフジコ・ヘミングさん死去、92歳
-
加藤常昭牧師死去、説教塾を主宰 日本基督教団隠退教師
-
北海道キリスト教書店が2024年度で閉店、店舗営業は10月末まで
-
日本のゴスペル界から総勢650人が参加 映画「雨ニモマケズ」、2025年公開
-
合同メソジスト教会、同性愛容認へ大きな方向転換 保守派の大量離脱で
-
立教大学と同志社大学が協定締結 「キリスト教教育の多様性と新たな可能性を開く」
-
ハンガーゼロ、沖縄事務所元職員が1200万円以上を横領 内部調査報告書を発表
-
第48回日本カトリック映画賞に「ただいま、つなかん」 晴佐久神父「『復活』の映画」