日本基督教団の『信徒必携』という小冊子の中に伝道についての一つの定義が書かれていますので紹介しましょう。
「伝道は聖書知識や神学を伝えるのではない。十字架に死に、復活されて天におられる御子イエス・キリストの事実を証言するのである。すなわち、聖霊によってキリストの十字架と復活を確信し、その事実を証言せずにはおれない必然に迫られて行うのが伝道である」。まことにアーメン、然りです。
まず「聖霊によって」とあるところが大切です。人間の力によってでなく、目に見えない神の愛の絆としての聖霊に導かれ、執り成され、用いられて行うのが伝道です。
また「その事実を証言せずにはおれない必然に迫られて行うのが伝道」ということも大切です。いやいやながら伝道する。牧師のつとめだから、信徒ゆえ仕方ないから行う。職務上、立場上やらねばならぬから伝える、そんなものが伝わるはずありません。
やむにやまれぬ思い、迫り来る神の愛に促され、必然に迫られて行う、その迫り来る力がまさに迫力ある伝道になるのでしょう。
「わたしが福音を告げ知らせても、それは私の誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです」(Iコリント九章16)。
「その強制が私の上に置かれている」というのが直訳です。逃れることのできない強制力をもつ事柄としてパウロは伝道を理解しました。それほど主の愛を大きく感じていたということでしょう。
このような私のため主イエスは生命を与え犠牲となってさえ下さった。父なる神はかけがえのない独り子を死なしめてまでこの世を救い、人々を赦そうとして下さった。この愛の中に一人でも多くの人と感謝して伸びやかに明るく生かされて共に生きたい、こうした自然な姿勢が心を溶かしていきます。
伝道は主イエスの愛への負債返上の業です。
(C)教文館
山北宣久(やまきた・のぶひさ)
1941年4月1日東京生まれ。立教大学、東京神学大学大学院を卒業。1975年以降聖ヶ丘教会牧師をつとめる。現在日本基督教団総会議長。著書に『福音のタネ 笑いのネタ』、『おもしろキリスト教Q&A 77』、『愛の祭典』、『きょうは何の日?』、『福音と笑い これぞ福笑い』など。
このコラムで紹介する『それゆけ伝道』(教文館、02年)は、同氏が宣教論と伝道実践の間にある溝を埋めたいとの思いで発表した著書。「元気がない」と言われているキリスト教会の活性化を期して、「元気の出る」100のエッセイを書き上げた。