戦国時代のキリシタン大名高山右近(1552~1615)の列福式が2月7日(火)正午から、大阪城ホール(大阪市中央区)で教皇庁列聖省長官アンジェロ・アマート枢機卿の司式により行われる。入場には申し込みと整理券が必要だが(受付はすでに終了)、列福ミサの様子はユーチューブでも生中継される。
高山右近は1552(天文21)年に摂津の国人・領主の息子として生まれた。イエズス会宣教師から父・高照と共に1563(永禄6)年に10歳でキリスト教の洗礼を受けた。洗礼名はジュスト(ユスト)、ポルトガル語で「正義の人、義の人」を意味する。
その後、織田信長や豊臣秀吉に重用され、摂津高槻城主として領内で教会建築や布教を行い、領内のほとんどの住民がキリスト教徒になったという。また、右近の影響により黒田義高などの武将たちもキリスト教の洗礼を受けたとされる。1587(天正15)年、豊臣秀吉のバテレン追放令により、信仰を捨てるよう命じられたが、信仰を守ることと引き換えに領地と財産を捨て、その後は加賀の前田藩に身を寄せた。江戸幕府が1614(慶長19)年にキリシタン国外追放令を出すと、フィリピンのマ二ラに送られ、翌1615年に病気で亡くなった。
カトリック教会では、“キリストがもたらした福音に真の救いがあることをその生き方によって示し、信仰の証しにおいて模範を示した人々”を、聖人・福者として宣言し、キリストに従う道を示す模範として尊敬を払う。聖人は全世界の教会で礼拝の場で祝われ、福者は聖人に認定される前段階とされ、主に出身国の教会の礼拝で公に記念される。日本の教会ではこれまで、パウロ三木など42人が聖人に、ペトロ岐部や中浦ジュリアンら393人が福者の認定を受けている。
高山右近も亡くなった直後から、当時のイエズス会士により列聖のための調査などが行われたが、その後の鎖国とキリシタン禁教政策の日本では必要な資料を手に入れることができず、中断されていた。第2次大戦後、カトリック教会の中で、列聖運動が始まり、没後400年に当たる2015年、日本のカトリック中央協議会が「高山右近は、地位を捨てて信仰を貫いた殉教者である」として福者に認定するようローマ教皇庁に申請、2016年1月21日に教皇フランシスコによって殉教者として列福を承認された。
また、カトリック中央協議会のホームページから、右近の人生を通して示されるキリスト者の霊的歩みと、その信仰を育んだ日本の教会の霊性を知るために製作された小冊子『右近と歩む祈りの旅―ユスト高山右近の列聖に向けて、8日間の黙想―』をPDF版でダウンロードすることができる。
高山右近列福式インターネット生中継
日時:2017年2月7日(火)午前11時~午後3時
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