私を22年もの間縛っていた「天と地の法則」なる「墓信仰」宗教。前回は、そこで「排除せよ」と言われていた「物」についてのお話をさせていただきました。今回は、「行くな」と言われていた「場所」について、お話ししたいと思います。
主な場所として、神社、寺、古戦場や処刑場跡地(大勢の人が無念の死を遂げた場所)、巨大宗教団体施設、そして、なんと!!その中には・・・教会も含まれていました。
神社や寺は、長い歴史の中で、人間の知恵と都合で作られた場所で、神主や住職は、あくまでビジネス的な職業であって、神から選ばれた人たちではない。「排除すべき物」と同様に、「神仏を利用しようとする場所」にもマイナスの気(宇宙から来る神様の波動を邪魔する悪い気)が届けられているので、首と尾てい骨から「気」を取られ、具合が悪くなるから行くな、と言われていました。
神殿や本堂が、いつでもひんやりして冷たいのは、そういうマイナスの悪い気が原因だと教えられました。確かに、夏の暑い時期も、クーラーがかかっているわけでもないのに、お寺の本堂や位牌堂の空気の、異様なくらいの冷たさに、大いに納得したものです。
さらに、自分の欲を成就したいと必死に願掛けに来る大勢の人たちの「念」も、マイナスの気がいっぱいで、電気がプラスからマイナスに流れるように、元気な人が行くと、マイナスの気を持って願掛けに来た人たちによって、元気なプラスの気を奪われてしまい、家内安全、無病息災どころか、逆に病気になり、事故に遭う! だから行くな、とも言われました。
しかし、どうしても行かなければいけない場合は、教団で売っている、観音像が彫り込まれたペンダントトップ、プラチナと金の二つを重ねて首の後ろ「ぼんのくぼ」にふたするように貼り、さらに同じく販売していた、観音像が印刷された、金と緑のそれぞれお札を重ねて尾てい骨上に、こちらもふたをするように貼って防御し、祈ってから入るようにと言われました。
確かに神社や寺に行くと、首の気が詰まった感じに頭が痛くなったり、腰が痛くなったりしたことがあったので、ますます信じてしまいました。このようにして、私は徐々に「恐れの霊」に縛られていき、その奴隷となっていったのです。
ですから、たとえ前述したような防御対策をしていても、「恐れの霊」に支配されていた私は、それでも不安でした。今は「イエス・キリストの血潮」と「イエス・キリストの御名」で、全くもってへっちゃらのちゃらですが・・・(笑)。あらためて、イエス様の十字架の贖(あがな)いによって、悪魔に勝利している者とされていることを、主に感謝します!
古戦場や処刑場跡地は、浮かばれていない死者の霊障を受けてしまう、巨大宗教団体施設は、偶像礼拝で気を取られるから行くなと言われました。
そして、教会もまた、イエス・キリストという“人”を礼拝し、その新興宗教が言うところの、“真”の神様が存在する所ではない上に、お墓に人間の元気の素があるのだから、「お墓に行かず教会に行く」というのは間違っていると言われました。あくまで、イエス・キリストは釈迦と同じく「神様に選ばれた優れた人ではあったが、神様ではない」という教えでしたので、教会にもマイナスの気が流れていて、教会に行くと風邪を引く、と言われたのです。
ですから、マルセまゆみ先生に、私の家の近くに知っている教会がある、と連れて行かれたときは、あらかじめ、首の「ぼんのくぼ」にはペンダント、腰にはお札を貼り付けてしっかり防御し、恐る恐る中へと入ったものです(笑)。が、入った瞬間、寒さや冷たさではなく、温かいものが流れているのを感じました。頭痛も起こりませんでした。
そして、そこで祈っていただき、促されるまま信仰告白までしたのです!(その話はまたおいおい詳しくお話しいたします)
そんな私でしたが、後日その教会に行ったとき、逃げ出したくなるほど引いてしまう出来事に遭遇したのです! それは・・・(つづく)
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