「そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた」(ルカ2:1~17)
ぼくが小学校4年生のときのことだった。ある日のこと、担任が言った。「今から名前を呼ばれた者はそこに立て。原田、矢部、木村、柴田、それと岸。おめえらは教室や運動場の掃除をせんでもええ。今日は5人で図書室じゃ」。「やったあ!」
図書室は静まり返っていた。「きれいなもんじゃ。掃除するこたあねえで」。並んでいる本棚を一通り見た後、ふと目を上げると、壁に長い長い世界の歴史の年表が貼ってあった。みんなでそれを見た。日本人の名前が2人あった。野口英世、志賀潔。あとは、ほとんどみなカタカナの名前ばかりだった。19世紀、18世紀、順番に見て歩いた。ナイチンゲ-ル、リンカ-ン、ノ-ベル、マゼラン世界一周、コロンブスなどなど。そして10世紀、5世紀、2世紀、それから、数字が0になって元年。
そこに、なんと、ひときわ大きな字で、イエス・キリストが生まれたと書いてあった。ぼくはびっくりして、ひっくり返りそうになった。心臓が早鐘のようにガンガン、ガンガン高鳴った。「どうしてイエス様の名前がここにあるんか??? イエス様は教会じゃろう。聖書じゃろう」。それから、何か、すごい、ええことが起こりそうな予感がして、家に飛んで帰った。そして、見たままをお母ちゃんに伝えた。
そうしたら、お母ちゃんが言った。「今日は何年何月何日で? 1951年6月7日じゃろう。これはなあ、イエス様が生まれてから、だいたい1951年と6カ月がたっとるということじゃが。紀元前いうたら、イエス様が生まれる前の時代のことで、西暦いうのは、イエス様が生まれてからの時代を数えとるんじゃがん。イエス様が世界の歴史の中心じゃあ」。「おかあちゃん、そりゃあ、ものすげえことじゃなあ。クラスのだれも、このことを知らんがなあ。ア-メン、ソ-メン、ひやソ-メンゆうたりして笑ようるけど、このことを知ったらびっくりするじゃろうなあ」。「よしひろう。よう聞いとかれ。あの年表に出とったカタカナの人たちはじゃなあ、ほとんど全部がクリスチャンじゃあ。野口英世もそうじゃ」。「ほんとうなん、お母ちゃん」。予感は当たった。子どもの心に、このことはうれしい大事件として心に刻み込まれた。ぼくたちが聖書を読んだり、イエス様を信じたり、日曜学校に行くことは恥ずかしいことじゃあねえ。何か世界中を味方につけたような元気が出た。
1. クリスマスは、世界史の中心となるできごとである
「そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった」(ルカ2:1、2)
「歴史家」とも尊敬をもって呼ばれてきた「福音書」の著者ルカは、クリスマスの時代背景を詳述した。
皇帝アウグストは、BC(紀元前)31年からAD(西暦)14年までの45年間の在位。クレニオがシリヤの総督であったのは、BC7年からBC2年までと、AD6年から9年までの2回であった。最初の期間においては、ヴァルスが総督であったが、クレニオは外敵との戦いの指揮や外交を担当し、ヴァルスと総督の称号を分け合っていたらしい。したがって、クレニオが総督であったとき、住民登録は2度行われたことになる。
1回目はBC6年で、「ルカ」2章の背景である。2回目はAD7年である。このときには、ユダヤ人の奴隷的服従を強制するものとして反乱が起こった。区別して、当時の人々は前のものを「クレニオの第1回目の住民登録」と呼んだ。
「人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである」(ルカ2:3~7)
これは歴史に起こったできごとの記録である。こうして、聖書の預言の通りにイエス・キリスト様はベツレヘムにお生まれになった。そして、その誕生が中心・起点となって、人類史は二分されたのである。救い主を迎えて、世界は新しい時代に入ったのだ。
これは個人の歴史においても真理である。すべての人の履歴書の中心はイエス様によって二分される。僕の人生にイエス様を救い主として迎えた信仰告白とバプテスマは、1955年9月2日である。救われた生涯への、人生二分の分岐点である。
2. クリスマスは、あっと驚くような逆転的なできごとである
「さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた」(ルカ2:8、9)
メシア誕生の喜びの知らせを、神様がイの一番に伝えられたのは、野の羊飼だった。これはにわかには信じがたい、だれもがあっと驚くようなできごとだ。野の羊飼いたちは、律法主義のユダヤの世界では、軽蔑され、閉め出され、恐れられた人々であった。理由として、その多くが犯罪歴を持つため、町中で仕事をもらえず、羊飼いになっていたからである。
① チ-ズを買うとき以外は、羊飼いには近づかないことが慣わしであった。
② 両親は子どもたちに「羊飼いには絶対に近づかないように」と教えた。
③ 羊飼いは羊の世話で安息日が守れなかったため、ユダヤ人として扱われなかった。
④ 神殿や、会堂の出入りを禁じられていた。
⑤ 証人として裁判所に立つ資格がなかった。信用を失った連中だったからである。
野の羊飼いは、人間的にも、宗教的にも、社会的にも無視され、葬り去られたような存在、「なきに等しい者」であった。
もう一組の者たちに、神様は同時にこの知らせを伝えられていた。それは、東の博士たちであった。異邦人の占星家たち(使徒行伝8:9では「魔術師」と訳されるタイプの人たち)で、まじめな求道者であった。これは、メシアの救いが律法主義においては人間並みに扱われなかった異邦人、救われるはずのない異邦人にも与えられることを教えていた。メシアは地上の全民族を照らす救いの光である。
神様が、宗教指導者や敬虔な信徒を後回しにしてまで、[救い主誕生]を野の羊飼いたちと異邦人の求道者たちに真っ先に知らせた事実に、福音の特質が輝いている。福音は「罪人たち、貧しい者、いと小さき者、失われた者、病める者、異邦人」を訪ね出す救いである。ここには人間観と価値観の大転換がある。驚きの贖罪愛がある。
3. クリスマスは、大きな喜びのできごとである
「御使は言った、『恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである』。するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、『いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように』」(ルカ2:10~14)
アメリカの小さな村の教会で起こった、クリスマスのできごとである。教会学校でイエス様誕生の劇をすることになった。子どもたちはそれぞれに役をもらった。ところが一人の発達障がいの男の子が役をもらわずに帰ったことがわかった。先生たちは相談して、その男の子のために役をつくった。馬小屋付きの旅館の男の子にした。セリフはひとつ「だめだ。部屋はない」。そして、裏手の馬小屋を指さす。男の子は喜んだ。そして、何百回も家で練習をした。
クリスマスの日、村中の人が教会に集まった。お祝いの最後を飾るクリスマスの劇が始まった。日の落ちたベツレヘム。長旅に疲れ果て、すべての旅館で断られたヨセフとマリヤが少年の旅館にやって来た。「私たちを泊めて下さい」。少年は大きな声で言った。「だめだ。部屋はない」。重い足を引きずるようにして二人は馬小屋に向かった。その後ろ姿を見ていた少年の目に、涙があふれた。男の子は、わあっと泣き出すとヨセフにしがみついて言った。「馬小屋には行かないで。ぼくの家に泊まって」
劇は中断した。先生が舞台に飛び上がって、男の子を引き離した。長い村の歴史において、これほど感動を呼んだクリスマス劇は後にも先にもなかった。
「客間には彼らのいる余地がなかったからである」(ルカ2:7)
イエス様は、十字架の身代わりの審判で、罪の赦しを与えて下さる救い主。
イエス様は、3日目の復活によって、永遠のいのちを与えて下さる救い主。
イエス様は、信じる私たちにいのちと愛の聖霊を下さって、イエス様のように生きられるようにして下さる救い主。
クリスマスは、世界史の中心となるできごと。
クリスマスは、あっと驚くような逆転的できごと。
クリスマスは、大きな喜びのできごと。
2014回目を迎える今年のクリスマスにあたって、すべての民、すべての人に与えられた救い主・イエス様を信じて、私たちの心の一番良い部屋に、罪と死と滅亡からの救い主としてお迎えしようではありませんか。あなたの人生は、新しい時代に入ります。
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