悔い砕かれた魂によって
五月の第二日曜日、母の日のことでした。礼拝で、この日の由来を折り込んだメッセージを語っている最中に、ほおに傷を持った凄味の走る顔の男が飛び込んでくるなり、わめき出しました。
「何が母の日だ。俺はおふくろの顔なんか、見たこともねえ」
そう言い捨てて、飛び出して行きました。山谷界隈では名の知れたやくざでした。たしかに彼のように、母親の愛など受けたことのない人にとっては、世界中で母の日を祝っていると聞くだけでも、胸が掻きむしられるようで、苦々しくてたまらないのでしょう。それだけ母の愛に植えているわけですし、どんなにか愛を求めているだろうと思いますと、胸が痛みました。
私たちは礼拝の中で、この兄弟のために祈りました。
「主よ。どうか先ほどの兄弟の魂を捉えて教会に導いてください。彼の愛に飢え渇いている魂が、キリストの愛に触れて満たされますように」
しかし、母親の愛を知らず、山谷で一人暮らしをしている彼だけが孤独なのではありません。私たち人間には、誰でも必ず心の中に孤独という空洞が空いているのです。それは、この地上のどんなものをもってしても、満たすことができません。
お金、地位、名誉に才能まで兼ね備え、健康で家族に囲まれていながら、孤独感に陥っている人を私は知っています。自殺したノーベル賞作家の川端康成氏なども、その一人でしょう。この空洞は、神の愛以外に埋めることはできません。
礼拝後は、ラーメンやうどんを皆で揃っていただきます。
「日毎の糧にも、ろくにありつけない多くの方々のために、主よ、あなたの愛によってこのような食事が備えられていることを感謝します。どうぞ、この糧を祝してください」
食前の祈りを終えた時、先刻の兄弟がやって来ました。祈りがさっそく聞かれたのです。
「兄弟、よくいらっしゃいました。どうぞ、どうぞ、お入りください」
手早く、ラーメンとうどんを盛り付けて出してあげました。彼は、あれほど悪態をついて飛び出したのですから、こんなに歓迎されるとは思わなかったでしょう。しかし、彼は素直にはなれませんでした。
「何でぃ。こんなもの、俺が食えるか」
日本人は本音をなかなか出しません。特に山谷の人たちはその傾向が強いようです。何日も食べ物にありつけず、飢え切っていて、本当は食べたくてたまらないのに、それとは反対のひがみ切った言葉が出てしまうのです。
男の意地、というのもあるのでしょう。99パーセント自分が悪いとわかっていても、大きな顔をして怒鳴る。そういう時、女性は男性を立ててあげ、何ごとでも受け入れてあげることです。
「まあ、そう言わずに食べてごらんなさい。おいしいよー。ほら、ほら、そこの席空いてる。お座んなさい」
この兄弟の背中を、叩いたり、なだめたり、すかしたりしながら座らせました。私たちの右の手は勝利の手、愛の手です。この手の中には、電流のように熱いものが流れています。それが愛なのです。この愛の手で相手の背中をポンッ!と叩いてあげるなら、その愛は確実に伝わっていきます。
予想どおり、彼は感激してしまいました。そして、石のように固く閉じていた心は、電流が通じたかのようにパッと開き、出された食事を食べ始めました。内心、もう、うれしくてしかたないのに、「こんなもの、食えるか」と言いながら。
一杯食べ終わった時から、素直な気持ちを表せるようになりました。
「うめえなあ。思ったより、これ、うめえぞ」
「ね、おいしいでしょ。何でおいしいか、わかりますか?」
「……?」
「キリストの愛で味付けしてあるからですよ。お代わり、ありますよ。うんと食べてください」
彼は喜んで二杯、三杯、四杯と次々にお代わりしていきました。Kという名前を名乗り、先日刑務所を出てきたばかりだ、とも言いました。
「K兄弟。どうぞまた教会にいらしてくださいね。イエス様のところに来れば、恵みと祝福が溢れていますよ」
ところが数日後、集会でメッセージをしている時、この間のK兄弟が会堂に飛び込んでくるなり、台所から大きな出刃包丁を持ち出して、表に跳び出し、「てめえ、殺してやるぅ!」と叫びました。
はっと思って見ますと、相手は片目に刀傷のあるAという男でした。K兄弟は、その男の衿首をつかまえて、出刃包丁を振りかざしています。私は、メッセージを中断して夢中で祈りました。
―主よ。力をください。ここで殺人が起こったら、証しになりません。―
祈り終えるなり、飛んで行ってK兄弟の包丁のみね(刃の背の部分)をつかんで叫びました。
「こらーっ、この間刑務所から出て来たばかりでしょう。また刑務所に入りたいなら、この手を離してやる!」
Aはその隙に、脱兎のごとく逃げ去りました。K兄弟は、包丁を握った手をぶるぶる震わせたかと思うと、その手をパーッと放して、カエルのようにその場に這いつくばりました。
「先生っ。俺が悪かった。赦してくれぇ。大阪で泣く子も黙る○○親分と言えば、俺のことだ。だけど俺は、こんな恐ろしい女の先生、初めて見た。いやまいった。でもな、あんたには愛がある」
私だって生身の人間です。やくざの振りかざす包丁が怖くないはずがありません。しかし、愛の御霊である聖霊に、頭のてっぺんから足の爪先まで満たされた時、怖いもの知らずになってしまうのです。この一件を通して、愛にはやさしさと厳しさの両面がないと、相手の心には届かないのだとつくづく思いました。溺愛や猫可愛がりは、相手をだめにします。なだめすかしてだめなら、愛の鞭を与えることも必要です(続きは次週掲載予定)。
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(本文は森本春子牧師の許可を得、「愛の絶叫(一粒社)」から転載しています。)
森本春子(もりもと・はるこ)牧師の年譜
1929年 熊本県に生まれる。
1934年 福岡で再婚していた前父の養女となる。この頃、初めて教会学校に通い出す。
1944年 福岡高等簿記専門学校卒業。義母の故郷・釜山(韓国)に疎開。
1947年 1人暮らしを始め、行商生活に。
1947年 王継曽と結婚。ソウルに住み、三男二女の母となる。
1953年 朝鮮戦争終息後、孤児たちに炊出しを続け、17人を育てる。
1968年 ソウルに夫を残し、五児を連れて日本に帰る。
1969年 脳卒中で倒れた夫を日本に連れ帰る。夫を介護しながら日本聖書神学校入学。
1972年 同校卒業、善隣キリスト教会伝道師となる。山谷(東京都台東区)で、独立自給伝道を開始する。
1974年 夫の王継曽召天。
1977年 徳野次夫と再婚。広島平和教会と付属神学校と、山谷の教会を兼牧指導。
1978年 山谷に、聖川基督福音教会を献堂。
1979年 この頃から、カナダ、アメリカ、ドイツ、韓国、台湾、中国、ノルウェーなどに宣教。
1980年 北千住(東京都足立区)に、聖愛基督福音教会を献堂。
1992年 NHK総合テレビで山谷伝道を放映。「ロサンゼルス・タイムズ」「ノルウェー・タイムズ」等で報道され、欧米ほか150カ国でテレビ放映。
1994年 「シチズン・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。
1998年 「よみがえりの祈祷館」献堂。
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