1 第一篇 ブレーキ篇
私は小さい神社の神主の子として生まれ、日本帝国陸軍のリーダー養成の学校に入り、日本的なものを少なからず身につけて育ちました。
ですから、聖書を本格的に学んだとき、その根底をなすものと日本的なものとの差が少しずつ見えるようになりました。
牧師になってから、50年以上も、因習のすごく強い土地で宣教に励んでみて、聖書の教えを伝わらせなくしているそのブレーキが幾つか見えてきました。ここにその中の大きいもの4つを調べて、そのブレーキを解くための努力をしてきたことを報告させていただこうかと思い筆をとりました。皆様方のまわりのブレーキも解ければいいかなぁ…と考えながら…。
Ⅰ 第一のブレーキ(祖先祭祀のブレーキ)
① 仏壇を拝め、墓を拝め
…ご先祖を拝まぬ人は「人でなしだ!」「恩知らずめ!」「同族への反逆者だ!」
② ご先祖を拝まぬ宗教はダメだ。
…だから日本人にとって、キリスト教はダメな宗教だと教え込まれています。田舎へ行けば行くほどに、この締め付けは強烈です。(私は、約40日間の四日市での宣教に携わる間に、7回の心臓の発作を起こし、6回手術しました。皆、ストレスの為だと思われます。)
Ⅱ 第二のブレーキ(神々の偶像礼拝のブレーキ)
① 日本は神の国です。…という森元首相の発言で混乱が起こりました。しかし、よく調べてみると、日本は神の国だというのは当たり前なのかも知れません。西田哲学の神概念が一般に受け入れられていますから、存在するものは皆神の部分という汎神論の世界です。ですから、当然のことのように神の国というのでしょう。
② 神々礼拝を偶像礼拝と非難しても効果はありません。考え方の土台が汎神論ですから、すべてが神の部分です。神仏を拝む事は偶像礼拝だと批難しても、批難した人のほうが「何言っているんだ、色々の物に神の霊が宿っているのが分からず、ただの物としか見えない人が気の毒だ!」と逆襲される次第です。逆効果しか生みません。
Ⅲ 第三のブレーキ(進化論のブレーキ)
① 明治政府は、明治6年にキリシタン禁令が解除されると、日本のキリスト教化を恐れて、アメリカから、モースという生物学者を東大の教授として招きました。モースは授業を始める前に、「この教えは聖書の教えに反対するものだ。」と前置きしてから講義を始めたと伝えられています。人々はこの教えを大歓迎したとも伝えられています。(進化論…徳田御念)
今も、日本政府の考えは同じようだと思います。
② 教科書も、NHKも、進化が唯一の生命の起源の科学的説明として、また進化論を唯一の生命の起源に関する事実として教えています。
Ⅳ 第四のブレーキ(性善説的人間観のブレーキ)
私達日本人は、なんとなく神道の影響を受けて人間の心はきれいだと考えがちです。そのために外側のケガレを払い落とせば、幸せになれると考えて「オハライ」という行事が行われています。
性善説的人間観(人間の心はキヨク、外側が汚れているという考え)のほうが聖書の「人の心はけがれている。」と言う人間観より優れていると考えられて聖書の性悪説は拒否されています。しばしば人間は、真実より好みを大切にしますから、聖書の人間観は喜ばれません(続きは次週掲載予定。本文は堀越暢治牧師の許可を得、「四輪駆動車で走りたい!(いのちありがとうの会)」から転載しています)。
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堀越暢治(ほりこし・のぶじ)
宇都宮大学農業土木科卒業。日本基督神学校卒業。学校法人東京キリスト教学園名誉理事。学校法人グレイス学園めぐみの園理事長。単立・創愛キリスト教会主任牧師。いのちありがとうの会理事長。著書に「人体の不思議発見」「大自然の不思議発見」(いのちありがとうの会)など多数。
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