およそ2万2千人の宣教師を174カ国に送り出す世界屈指の宣教大国の韓国だが、その宣教への情熱が韓国教会でどのように醸成されるようになったのかを、韓国バプテスト連盟海外宣教局の会長であるイ・ジェキョン氏が、8つのポイントで簡潔に説明している。前回は「①迫害下における教会の忍耐」「②祈りと従順の優先」「③海外渡航禁止の解除」までの説明だったが、以下はイ氏の説明の続きだ。(第1回から読む)
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④神が開いた2つの扉
韓国宣教がその努力を強めていたちょうどその時、神はこれらの準備の整った宣教師たちを受け入れるために2つの宣教地を開かれました。
1990年にゴルバチョフがソビエト連邦の解体を宣言すると、宣教の扉はソビエト連邦から独立した中央アジア諸国に大きく開かれたのです。実は1937年、スターリンによって中央アジア各国に連行された朝鮮民族は、すでに50万人もいたのです。ここに神の摂理がありました。
この朝鮮族は、宣教師たちにとって絶好の接点となったのです。韓国人宣教師たちが、中央アジアのイスラム諸国で宣教のリバイバルを享受するためにと、神はこれらの人々をあらかじめ準備しておられたのです。
そして2年後の1992年、韓国と中国は国交を樹立しました。ところが、そうです、中央アジアの場合と同様、韓国人宣教師が中国に入ったときには、すでに270万人の朝鮮民族が同じ言語で福音を聞く用意ができていたのです。
⑤海外での短期奉仕を重視する教会
毎年、韓国の教会は夏休みのシーズンを利用して、信徒を国外伝道に連れ出します。それらはビジョントリップ、祈りの歩行、海外での短期奉仕を行うというようなものです。
これらの旅行から帰ってきた若者たちは、しばしば長期の宣教師として立ち上がることを約束し、教会員たちは、世界に向かって福音を伝えるというビジョンをつかみ始めるのです。教会は率先して、休暇を個人的な楽しみのために使うのではなく、教会中心で家族中心の海外宣教奉仕のために使うようにと信徒たちを励ますのです。
⑥押し出される牧師たち
韓国は一時期、国内に5万もの教会が建っていました。その当時、韓国の人口は5千万人ほどでした。そして神学校は、毎年8千人もの卒業生を輩出していたのです。そうなると、韓国の教会はすでに飽和状態であると人々は考えました。
やがて、牧師の働きの機会も限られていったのです。そして必然的に、多くの宣教師が韓国内で働くよりも、海外に出て福音を伝えようと考えるようになったのです。このような韓国の国内事情が作用して、より多くの宣教師が海外に出る機運を高めたのです。(続く)
■ 韓国の宗教人口
プロテスタント 35・3%
カトリック 9・2%
仏教 23・7%
儒教 2・7%
イスラム 0・3%
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