1861年3月4日。リンカーンは、アメリカ合衆国第16代目の大統領に就任した。その頃一家はスプリングフィールドを去ってワシントンのホワイトハウスの中に住んでいた。
そんなある日。執務室から自宅に戻ったリンカーンに11歳になろうとしている三男ウィリー(ウィリアム)が言った。「お父様。どうして大統領になったらひげを伸ばしているの?」「ああ、これかえ?」リンカーンは、笑って息子に話した。「まだお父さんが選挙で駆け回っていたころ、グレースという女の子から手紙をもらったのさ」
そして、リンカーンは大切に持っていた手紙を息子に見せた。
リンカーン大統領さま。わたしはあなたのおかおを絵でみてしっています。わたしはあなたがひげをおはやしになると、とてもよくお似あいになると思います。
グレースより
「それでね、お礼の手紙を出しといたんだが、彼女に見てもらおうと、大統領になったときからひげを生やし始めたのさ」。ウィリーは笑った。「確かに、お父様はひげを生やした方がいいね」
南部の人たちの中で、リンカーンに対する反感は次第に大きくなっていった。7つの都市はリンカーンに対抗して北部から離れ、ジェファーソン・デビスを大統領に選び、リッチモンドを主都とする「南部連合国」を結成した。
かくしてアメリカ合衆国は2つに分裂。そしてにらみ合った末に、南部の独立軍は南カロライナ州のサンター要塞を占領。攻撃を仕掛けてきた。かくして1861年4月。悲惨な南北戦争が始まったのである。
リンカーンは眠れない日が続いた。「奴隷解放」という旗印を掲げたことは、同時に愛する祖国を2つに引き裂くことになったからである。南軍はリー将軍を先頭に、ワシントン目指して近づいてきた。
リンカーンはついに、ある人物を選び、北軍の総司令官に任命した。それは、グラント将軍だった。グラント将軍は武芸にも優れていたが、それ以上に人格者であった。彼を巡っては、多くのエピソードが残されている。
ある時のこと、北軍の義勇兵の一隊はカンバーランドの川岸の小さな村を守っていた。カートン軍曹がおかゆを煮て兵士たちに食べさせている。そこへグラント将軍が巡回に来た。そのすぐそばで、少年兵のフランクが鉛筆で封筒の表書きをしている。
「誰に出す手紙だ?」と尋ねると、14歳のフランクは言った。「母さんです」。「そうか。父さんは?」「いません。母さんと弟が留守をしているんです」
「父さんがいないのに、よく義勇兵に志願するのを許してもらえたな」。「母さんは、尊い意志を持って大統領になられた方をお助けするために、一人の男の子も出さないのは申し訳ないと言って、私の志願を許してくれました。同じ村から少年義勇兵が3人出ましたが、皆死にました」
「明日の朝早く郵便が出るはずだ。それに間に合わないと本営に着くのが遅くなるだろうから、私が本営まで手紙を持っていってあげるよ」。そう言って、軍服のポケットにその手紙を押し込んで歩き出した。
さて、本営で彼の手紙を開いてみると、こんなことが書かれていた。
お母さん。ドンネルソン要塞の攻撃でジミーもウィルも戦死しました。自分がまだ生きているのは、神様がもっと大きな仕事を命じられるためかもしれません。お母さん、かわいがっているめ牛を牛飼いに売らねばならないんですね。悲しいでしょう。自分が生きて帰れたら買い戻してあげたい。でも、自分は帰れないでしょう。命をこの戦いにささげたからです。
将軍はじっと考えていたが、何を思ったのか、鉛筆を取り出すと、一生懸命にフランク少年兵の筆跡をまねて2、3行書き足した。「・・・このお金は、先日の戦いで私が手柄を立てて頂いたものです。これでもうめ牛を売らなくて済むでしょう」
そして、紙幣を2枚たたんで入れて封をすると、副官に検閲を押させ、届けさせたのである。
*
<あとがき>
ある主張や信念がぶつかり合ったとき、それが戦争に発展してしまうことは悲しいことです。南北戦争もそうでした。自国の繁栄のために奴隷制度を維持すべきと主張する南部の人々と、人道上の理由から奴隷制度に反対する北部の人々との主張が真っ向からぶつかり合い、ついに戦争は米国を真っ二つに引き裂くことになりました。
青年たちが戦場に出て血を流して戦う姿を見て、リンカーンは最高責任者としてどんなに苦しんだことでしょう。ストウ夫人の最愛の息子も、戦場で頭に傷を負い、一生涯その後遺症に苦しんだといわれています。ストウ夫人は母として胸を引き裂かれる思いだったでしょう。
このように「奴隷制度廃止」の大義のためには多くの犠牲が要求され、リンカーン大統領もその命を狙われることになったのです。しかしながら、リンカーンの下には人格的に立派な部下がそろっていたといわれています。彼らの献身があってこそ「奴隷解放」の悲願は実現したのでした。
◇
栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。