まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。(ヨハネ12:24、25)
西郷隆盛といえば、桜島と並んで鹿児島の観光の二大シンボルです。西郷の生誕の地や終焉の地、城山の洞窟などは観光名所になっています。せごどん由来のお土産品は山のようにあり、熱烈に崇拝している人も少なくありません。
ところが西郷が何を語り、どんな生きざまだったのかは地元鹿児島ではあまり取り上げられないように感じるのは、私の気のせいでしょうか。むしろ西郷に恩義を感じている山形県の人々の方が、熱心に南州遺訓をまとめて遺訓集を作り、子どもたちに読み聞かせています。
伝えられる話では、熊本の田原坂の激戦で敗れ、宮崎経由で鹿児島に逃れ、城山に立てこもり、最後は洞窟の前で腹を切り、別府晋介の介錯で武士らしく最期を遂げたことになっています。しかし、戦いの後に行われた死体検査書には次のように記されているそうです。「(創所)頭頸体離断 右大腿より鎖骨部 貫通銃創」。首はスパッと切られたのではなく、引きちぎられているというのです。切腹を選ばず、銃弾の方に自ら進み、弾が当たり、虫の息となったのです。そこに駆けつけた別府信介の足にも弾が当たり、立ち上がることができず、まるでノコギリのように刀を動かして首を引きちぎったのです。
安政の大獄の時、井伊直弼の弾圧から逃れてきた月照をかばい切れず、西郷隆盛と月照は日向に船で運ばれていく途中、月照を抱えて入水します。ここで月照は死に、西郷だけ助かります。国道10号線沿いの桜島の見える海辺に南州翁蘇生の家は今でも保存されています。西郷の生涯を研究している和尚さんの話では、入水して助かったことを恥じて、武士であることをやめたのではないか、だから切腹しなかったのではないかということです。
西郷隆盛を崇拝している人々からは怒りを買うかもしれませんが、私はキリスト教の影響もあって切腹を避けたのではないかと勝手に解釈しています。地元の新聞によると、西郷は政界を下野してから、野山で狩りもしていたが、鹿児島の谷山まで出かけていき、聖書の講義をしていたそうです。聖書集会をしていた家の主人が書き記したものを子孫が持っていたと報じています。
また一説には、横浜に居留していた宣教師のもとを訪れ、洗礼を受けたといわれています。入水のことを苦しんでいた彼には、水の中から再生するという教えは響いたのかもしれません。洗礼を授けたら、お礼に生きた豚を持ってきて困ったという宣教師の日記があったらしいのですが、関東大震災で焼けてしまったようです。
私は西郷ファミリーの娘さんの結婚式の司式を2回する機会があり、子孫の方と話すことができました。そうすると、「聖書を持っていたというのは間違いないですが、洗礼の話は聞いていません。ただ、宣教師に会って洗礼を勧められたのであれば、拒否はしなかったでしょう。なんでも素直に受ける人だったそうですから」と話していました。
西南戦争の時、西郷軍には英国の将校が同行していたといわれます。この人の記録した話を基にして映画「ラストサムライ」が製作されたというのはよく知られています。アヘン戦争の後で、英国はアジア各国を植民地化しようと試みます。できれば日本を属国にできないか考えていたようですが、日本の強さを近くで見て、同盟国に切り替えたといわれます。
歴史をさかのぼれば、関ヶ原の戦いには、スペイン、ポルトガルなどの将校が立ち会い、日本の兵士の強さを見て、植民地化を諦めたといわれます。薩摩の貴重な人材を失う西南戦争は何と無駄な戦いだったのかと思うことがありました。しかし、植民地化を防いだのであれば無駄ではなかったということができます。
また、第二次世界大戦中は、無謀にも日本は米国に宣戦布告し、日米戦争が始まりました。日本が不利になることは分かっていたはずなのに、追い詰められてくると特攻隊攻撃を始めます。なぜ多くの若者を死なせるような特攻戦略を組み入れたのか、私は長い間、理解できませんでした。しかし、事情を詳しく知る方々に話を聞くと、米国に石油の禁輸措置をとられ、石油燃料が全くなくなった状況では、ゼロ戦のエンジンを松脂燃料で動かすしかなく、思うように空中戦ができなかったようです。本土への空襲を遅らせるためには、特攻戦略しかなかったようです。
日本は敗戦国になりましたが、国土が四分割されることなく、天皇性も保持されたのは、日本の底力を連合軍が思い知り、恐れたからだといわれます。日本は焼け野が原から経済復興し、戦後15年でオリンピックを開催し、新幹線を走らせるほどになりました。これはひとえに国民が一丸となって努力した賜物ですが、先人たちの勇猛果敢な強さに外国の人々が尊敬の念を持っていてくれたからではないでしょうか。つまり、彼らの死は無駄ではなく、豊かな実を結ぶことができたのです。
強力なリーダーシップを失い、世界情勢は混沌としています。今こそ、新渡戸稲造の説く武士道精神を持つリーダーが日本から生まれ、世界を引っ張っていくことを願ってやみません。東の果ての国、日本には古代ユダヤ人、景教徒、中世のカトリックの宣教師、近代のプロテスタント教会の宣教師たちが種をまいてきました。必ず実を結び、日本各地の教会にリバイバルが起こることを信じています。
いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。 (ピリピ2:16)
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