景教碑の上部分には、デザインが彫られています。その一つ一つを紹介します。
635年、中国唐代の太宗皇帝の時代に初めてイエスの教えである景教が入り、福音が広がりましたが、781年に建った景教碑の碑頭部分には、幾つかのデザインが彫られました。十字はイエスの十字架刑による贖罪の意味で、弟子たちは全世界に、十字架にかけられたイエスを救い主として広めていきました。
東方景教徒たちもユダヤからシリア、ペルシア、中央アジアから中国へと、十字架につけられたイエスと聖書の教えを伝えました。だから、これらの地には金属の十字記章や十字墓石が多く発見され、真の信仰者である証しとしていました。
その十字の上には火炎が見えます。炎は聖霊を意味します。人の心の罪を焼き尽くすのが聖霊です。この部分は南インドのトマスの町に行くと、炎の代わりに聖霊のシンボルとして平和の鳩が刻まれています(写真)。これはイエスがバプテスマを受けるときに、鳩のようにして聖霊が降ったとの記事から製作したと考えます。
聖書は次のように教えています。
「その方は聖霊と火で、あなたがたにバプテスマを授けられます」(ルカ3:16)
「聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた」(ルカ3:22)
聖霊は鳩として降り、イエスと共にいて公生涯において神の力を帯びさせた方。
続いて、十字の各先端に◎が3個刻まれるのは、神が三位一体で、その三一を表現したもの。大秦景教徒たちは、西アジアから始まる1世紀の宣教初期から、三一の神を伝えていました。途中で三一を作り出したのでなく、初代教会からの教えを使徒継承していました。
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け」(マタイ28:19)から神を三一と伝えていました。景教碑文には、その証言として三一の文字が彫られています。
十字の両側には、雲が描かれています。雲は、旧約時代やイエスの時代にも多く語られ、その意味は神の臨在です。神がモーセに語られたときや、十戒を授けられたときも、神が雲の中に顕現されました(出エジプト記19〜20章)。イエスも、死から復活されて40日目に、雲に包まれて天に帰られました(使徒1:9)。そしてイエスが再臨されるときにも、雲のうちに偉大な力と栄光とともに来ると語られました(ルカ21:27)。
その下に7つの実のようなデザインがありますが、これは7つの枝であるメノーラでしょう。メノーラとは燭台の意味です。旧約時代には、神の幕屋の中に7つの燭台が置かれていました。新約聖書の黙示録では、天で栄光のイエスが金の燭台の中央に見えたとヨハネは語りました(黙示録1:12、13)。
さらに、左右には花柄が描かれていて、これはアーモンドではないかと推察します。この木は、モーセの兄アロンが使用していた杖で、その枝から芽が出たと語られました。出エジプト記37章を見ると、金の燭台には左右3個、合わせて6個の花弁や節のがくがあり、アーモンドの枝でした。
このように見ると東方の大秦景教徒たちは、異教徒たちの世界にあっても聖書の重要な部分を描き、神の臨在を仰いで宣教し、生活していたことが分かります。(ちなみに、今までの識者の中には、雲をイスラム、7つの花は蓮で仏教のシンボルだとして、景教は中国に入って混合宗教になったという意見もありましたが、筆者はそのような理解はしていません。むしろ、特に真言密教が景教から影響を受けたのではと考えます)
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
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