本書は宗教論的見地から「日本人」を分析した好著である。「日本人の宗教性」に関して、昔から言い古されてきた表現に「正月は初詣、夏はお盆、秋は七五三、年末はクリスマス。結婚式はキリスト教式、でも葬式は仏式」というものがある。これら「一般的な日本人」の行動に対し、「日本人は無宗教だが宗教性がある」とひとくくりにされてきた観がある。しかしこれは「宗教」というものを「キリスト教」をモデルにして信仰組織論で考察する前提に立ったときのコメントである。本書の著者である岡本亮輔氏は、これでは日本人と宗教の関係を捉えきることはできないとし、以下のように述べる。
「本書が注目するのは、こうしたキリスト教をモデルにした信仰組織論だけでは把握できない日本人と宗教の関係性である。信仰を中心に据えると、現代日本の宗教について多くを見過ごしてしまう。日本の宗教風土では、信じる/信じないという以前に、何が信じるものかがそれほど明確ではない。そのため、実践や所属という別の要素にも注目するのが有効なのである。このような視座から、宗教と呼ばれる広範な現象に一定の見通しを与えるのが本書の試みである」(「まえがき」ⅳ)
従来の宗教論では取りこぼしてしまいがちな(つまり説明しきれない)現象を取り上げ、それらを新たな枠組みで考察しようとしている点が本書の特徴である。全体が5章立て(加えて序章と終章がある)で、第2章で仏教について、特に「葬式仏教」と揶揄(やゆ)されるようになった経過や歴史的背景が語られている。続く第3章は神道に関すること、特に現代では「パワースポット」と評されるさまざまな神社、地鎮祭などの在り方の変遷が語られている。
一見すると本書は、このようなキリスト教系サイトで紹介する必要がなさそうだが、キリスト教、特に保守的なキリスト教信仰との連関が増えてくるのが第4章である。ここでは、米国で1960年代に始まった「ニューエイジ」の歴史と、その変遷、またどのようにしてこのブームが生み出され拡大していったかが語られている。そして現代日本は、このニューエイジ的な文化をそもそも内包しており、その観点から見るとき、実は翻って日本人の宗教受容の過程を垣間見ることができることになる。それは西洋で生まれたニューエイジの焼き直しなのか、それとも異なるものなのか、意外な結論が導き出されている。
さらに序章では、現代の米国キリスト教文化が次第に斜陽化しつつあるという報告がCNNのデータに基づいてなされている。これは私たちキリスト教徒にとっては由々しき問題となる。岡本氏はこの現象が、米国のみならず世界的な傾向であるとして、次のように述べる。
「日本と欧米では宗教風土も含めた歴史文化に大きな違いがある。だが、近代化を経て世俗社会を形成し、教会や教団の外に宗教が広がりつつある点では大きく共通するのである」(14~15ページ)
つまりこれは、従来の「あなたの信じる宗教は何ですか?」という質問が無意味になる世界が到来することを示唆していることになる。現代は、聖書の時代の価値観が提唱されるとき、「古い価値観を押し付けられた」と感じる人が多くなってきているということである。そして「漠然とした観念はあっても、明確に言語化できるような信仰は見いだしにくい」日本だからこそ、キリスト教は「ブランド化」されて提供されていると岡本氏は語る。日本人にとって、キリスト教は比較的なじみ深い。さらにキリスト教主義の教育機関も健在である。だがこれについて岡本氏は、深津容伸(よしのぶ)氏の論文「日本人とキリスト教」を踏まえつつ、「日本人はキリスト教の信仰は退け、『世俗の教育機関に属する一つのブランド』としてキリスト教系教育機関を受け入れたのである」と語る。そしてこう結論付ける。「キリスト教は、多くの日本人にとって信仰対象でないからこそ、人生の節目を演出する道具としてふさわしいのである」と。
本書は、このような分析を通して間接的にキリスト教界へ波紋を投げ掛けるものである。端的に言って、このような現状からの逆転はあり得るのだろうか。そのためにどんな策を私たちキリスト教徒は打つことができるだろうか。本書で取り上げられているさまざまな事例、現象、そしてデータはある意味「客観的」で信ぴょう性が高いものである。また著者の岡本氏は文学博士にして、大学で教鞭を執っておられる知識人である。これらの例証にケチをつけるやり方は大人げない。そうではなく、ひいきや思い込みを排した「現実」に対して、どんな有効な手段を打てるのか、私たちは真摯(しんし)に考察すべきである。知恵が求められるべきである。
いやしくも、「聖書が神の言葉」であると信じ、福音によって「救われる」と信じ、これを伝えることを是とする教派(福音派)に属している者であるなら、またそれを生業としている牧師であるなら(これは筆者自身に向けて語っている)、策を弄するのではなく、戦略を練る必要がある。そう思わされるという意味で、このコロナ禍に無視できない一冊であることは間違いない。
「日本人論」と「キリスト教」、「宗教性」と「聖書」は、決して切り離すことのできない問いを私たちに常に投げ掛け続けてくれる。その問いの前に、今日も真摯に身をさらしながら、考え続けていきたいものだ。
■ 岡本亮輔著『宗教と日本人―葬式仏教からスピリチュアル文化まで』(中央公論新社 / 中公新書、2021年4月)
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