2020年に出会った最高の一冊! キリスト教に興味ある人、必携の書!
日本においても聖書に関する書籍は毎年出版され、その数は増えている。しかしそれは、言い換えれば「玉石混合」ということでもある。その中で本書『旧約聖書〈戦い〉の書物』は、確実に「玉」である。著者の長谷川修一氏(立教大学文学部キリスト教学科教授)については、『聖書考古学』『旧約聖書の謎』を購入して以来、常にチェックしていた神学者の一人である。イスラエルのテルアビブ大学大学院でユダヤ史学を専攻されていたということで、キリスト教色の付いていない「ヘブライ語聖書」(=旧約聖書、この表現に関しても1章で詳しく解説している)を分かりやすく読者に伝えてくれている。
気になったのは、「〈戦い〉の書物」という副題。実はこれが本書最大の特色である。なぜ〈戦い〉としたのかが分かることで、ヘブライ語聖書(旧約聖書)が一体どんな書物なのかをつかみ取ることができる。
10年ほど前に沸き起こったキリスト教書ブーム(『ふしぎなキリスト教』など)に加え、SNSを駆使して面白おかしくキリスト教を紹介する中で生まれた書籍がヒットするなどし、キリスト教や聖書を他の学問との連関において、そして自己啓発的な指南書として、抵抗なく受け止める素地が日本人の中に浸透してきたように思う。そうした流れにありながら、本書は原点回帰的な位置付けにあり、神学的な書物としてもベーシックから最新のアカデミックな潮流までしっかりと押さえられている。
10年ほど前、私が同志社大学で学んだ「考古学」の授業(専門ではなかったので、せいぜい修士レベルの選択科目の一つとして単位取得しただけ)の内容が本書でダイジェストされており、しかもその後の10年間に何があったのか、どんな発見や学説が生まれたのか、をトレースすることもできた。個人的な感想だが、あの当時確かに考古学として「最新の情報」を同志社大学の教授は私たちに開示してくれていたのだということを、あらためて認識させられた。同時に、それから10年がたち、当時の学説が否定されていたり、異なる説が人気になっていたりする現状を知ると、やはりこの手の「学び」は一定の不確実性を包含せざるを得ないのだということも痛感させられた次第である。
さて、中身について見ていこう。本書は9章立てになっている。序と結を除けば、各章が7つのトピックスを扱っており、しかも〈戦い〉という観点から描き出されているのは、その中の6つである。1章は「旧約聖書のなりたち」を俯瞰(ふかん)的に述べている。これは学部レベルの「旧約聖書緒論」的な位置付けだろう。著者はこれをわずか20ページ足らずで見事にまとめている。こうした「概説」に出会うと心が躍る。というのは、本書を読めばあの電話帳にも匹敵するほどの厚さがある旧約聖書の中身が「ざっくり」と、そして「あっさり」と分かるからである。これは教会や自主的な勉強会で「聖書を学問として語る」上で有用である。
2章から7章まで、旧約聖書における〈戦い〉が見事な筆致で描き出されている。各章で取り上げられている〈戦い〉は以下の通りである。
2章 「イスラエル」誕生をめぐる〈戦い〉
3章 神のアイデンティティをめぐる〈戦い〉
4章 「真のイスラエル」をめぐる〈戦い〉
5章 祭司の正統性をめぐる〈戦い〉
6章 「神の言葉」をめぐる〈戦い〉
7章 結婚をめぐる〈戦い〉
実は著者がここで取り上げている〈戦い〉とは、現代のような旧約聖書として文書化されるまでに、異なる2つ(または複数の)勢力が拮抗(きっこう)して存在しており、その勢力間に〈戦い〉があったこと、そしてその〈戦い〉の足跡が旧約聖書に残されていることを意味している。著者自身の表現では次のようになる。
本書のねらいは、多くの場合、一見〈戦い〉には見えない記述を対象とし、旧約聖書という書物のテクスト上に繰り広げられる思想上の〈戦い〉を浮かび上がらせることにある。なぜなら、こうした〈戦い〉こそが、旧約聖書という書物が今日のような形になる過程で大きな役割を果たしたからであり、旧約聖書が今日まで伝えられてきた理由の一つでもあるからである。(7ページ)
聖書が「写本」という形態で歴史を生き延びてきたことに疑義を差し挟む者はいないだろう。そうであるとするなら、「書き写す」という作業を実際に請け負った者たちが存在することになる。そしてそのような者たちが属する「会派」や「部族」の立場が、筆記者たちに影響を与えなかったとはいえない。さらに「どの文書を書き写して残すか」について、その取捨選択にまで踏み込まなかったと言い得る証拠は何もない。すると、第三者として文書を読む者たちにとっては、表面的に整合性が取れている(と思い込んでしまう)なら、深く考えることなく読み過ごしてしまうことになる。だが水面下で激しく行われた〈戦い〉の結果、文書の結末部において、さらに旧約聖書全体のメッセージにおいて、これらを大きく左右する文言や記述、思想が盛り込まれているとするなら、それが何であり、どんな〈戦い〉であったのかを知っておくことは決して無駄ではないだろう。
本書は、私が2020年に出会った「神学書」の中でも随一の傑作である。多くのことを学ばされたし、同時に10年前に学んだことが、10年たってどこまで深化したかを知らせてくれるものであった。
ぜひ、神学やキリスト教、そして聖書に興味がある人は手に取ってもらいたい。久々に「神学書を読む」シリーズにふさわしい本に出会ったと思う。長谷川氏のファンの一人として、次回作が楽しみである。
■ 長谷川修一著『旧約聖書〈戦い〉の書物』(慶応義塾大学出版会、2020年9月)
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