アンドリュー・カーネギーは20歳の誕生日を迎えた。この頃には彼の周りに6人の青年たちが集まり、一緒に働き、一緒に遊び、時間のたつのも忘れていろいろな議論をして過ごした。彼らは考え方がすべて一致し、離れることができなかったので、一つのサークルを作ることになった。そして、どこかに根拠地を決めたいと思ったが、なかなかふさわしい場所がなかった。
そのうち、彼らは近くの長老教会のマクミラン牧師と知り合いになった。この牧師は青年が大好きで常にその活動を助けていたので、相談するとすぐに牧師館を使わせてくれた。そして、マクミラン牧師も彼らの仲間に加わり、聖書のこと、人生、生と死などについて話し合った。
夫人は手作りの菓子をいつでも用意していて彼らに出し、彼らが食べ散らかしたままあたふたと帰った後、その後始末を嫌な顔一つせずしてくれるのだった。アンドリューはここに出入りするうちに初めて死の問題を深く心に留め、人は死んでも財産や名誉を天国に持っていけないことを知ってむなしい思いになるのだった。
そんな時、事件が起きた。仲良しメンバーの一人、ジョン・フィリップスが馬から落ちて死んでしまったのである。一同は彼のために嘆き悲しみ、中でもアンドリューは食事も喉を通らないほど泣き通した。その時、マクミラン牧師は牧師館に彼らを集めて、こう語った。
「ジョンは生まれ故郷に帰ったようなものなんだよ。あとしばらくしたら、私たちもみんな彼のあとに続いて天国に入り、そうしてそこで一緒になることができるのだ」
この言葉は、忘れることのできない感動をアンドリューに与えた。彼は、この時初めて永生の信仰に触れ、仲間と共にキリストの福音を信じたのだった。この頃には彼の家族の生活ぶりも良くなっていた。彼自身の給料も月40ドルに上がっていたし、少しずつ蓄えていたお金もずいぶん溜まっていた。
そこで家族は話し合い、家が2軒建っている土地を買うことになった。そして一軒にカーネギーの家族が住み、もう一軒に苦しい時代に世話になったエートケン叔母に住んでもらうことにした。ホーガン叔父は当時他に土地を見つけて住んでいたが、後にカーネギー一家が別の所に引っ越したとき、あとそっくり家を使ってもらったのだった。
こうして、ようやく昔の労苦を忘れられると思っていたときに、突然悲しみが一家を襲った。1855年10月2日。父親のウィリアムが死んでしまったのである。残された母親と2人の息子は、涙のかわく間もなく、それぞれの仕事に精出すことになった。
父の死によって、全家族の責任がアンドリューにのしかかってきた。弟のトムは、公立の学校に通っていたが、やめて働くと言い出した。しかし、母親は今まで通り仕事を続けたし、アンドリューも月40ドルもらえるようになったので学校だけは続けるように説得し、トムは学業を続けた。
この頃、スコット氏が株の話を持ってきた。駅に出入りしている人がアダムス運送会社の株を持っているから、もし500ドルの持ち合わせがあったらこれを手に入れてあげるというのである。一瞬ためらったが、スコット氏の好意を無駄にしたくないので、母と相談し、買ったばかりの家を担保にお金を借りた。それをスコット氏に渡すと、氏は10株の券をアンドリューにくれた。
「いいかね。アダムス運送会社は今伸びつつあるから株も上がり、月々配当金があるよ」。スコット氏はにこにこして言った。その言葉どおり、毎月決まって配当金が届けられ、アンドリューの家族を潤したのだった。
1859年。スコット氏はペンシルバニア鉄道会社の副社長に昇格し、事務所はフィラデルフィアに決まった。アンドリューは彼と別れたくなかったので、自分も辞めようかとさえ考えた。すると、スコット氏は彼を自分の部屋に呼んで言った。
「どうだろう、ピッツバーグ管区を引き受ける気はないかね? まだ主任のポストが決まっていないので、君を推薦したいのだが」。アンドリューは少し不安になったが、やってみますと答えた。こうして彼は、24歳でピッツバーグ管区を治める主任となったのだった。
今までスコット氏が使っていたT. A. S. の代わりに彼の頭文字A. C. がピッツバーグとアルテューナ間のすべての指令に署名されることになったのである。仕事上やむを得ず、ピッツバーグ街に適当な家を見つけて引っ越したいと考えていたところ、会社の貨物係の人がホームウッドに一軒の家を紹介してくれた。
広い庭、近くには森や小川があり、花が咲き乱れ、空気は澄んでおり、まるで天国のように思えた。ここにカーネギー一家は移り、ようやく母も今までの苦労が忘れられたのだった。
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<あとがき>
長老教会のマクミラン牧師について、アンドリューはあまり多くは語っていませんが、この人物は彼の人生の中で重要な役割を果たすことになります。マクミラン牧師と出会ったことにより、初めてアンドリューは永生の信仰を持つことができ、死の恐怖に打ち克つことができたのでした。
きっかけは、彼が落馬して命を落とした友人の死を嘆き悲しんでいたとき、マクミラン牧師はこう言って慰めました。「ジョンはいわば、生まれ故郷に帰ったようなものなんだよ。あとしばらくしたら、われわれもみんな彼のあとについて天国に入り、そこでずっと一緒にいられるんだ」と。
このマクミラン牧師は、その温かな人柄と、どんな人をも受け入れる広いふところを持っており、教会関係者のみならず、町の人々からも慕われていたといわれています。後になって、アンドリューが自分の富の分配を行ったとき、一番初めにこのマクミラン牧師に返礼をしたのでした。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。12年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。