教会員制度、教籍の問題
日本の教会は、習い事集団の流派根性、会員の囲い込み的性格を強く受けている。いっそ教会員制度をなくし、教籍もやめたらよいのではないか。教会員制度と教会籍とは、神学校の牧会学では教会の基本的な部分であり、教会の運営の基本であるかのごとく教えられている。しかし立ち止まって考えてみると、会員制度なるものは聖書には存在していない。後世になって作った、便宜上のものである。
これが会員籍という迷信を生み、個人の自由を奪っているのではないか。そうして会員籍に対する忠実さこそが、信仰の成長であると考えられているのではないか。
だいたい会員籍の制度は、別帳などの措置によって形骸化しているのである。会員籍制度は福音の基本などでなく、またキリストの身体である教会の基本でもない。特に日本の教会では、習い事の流派の根性や仏教寺院の檀家の管理の根性が入り込んでいるように見える。
月定献金や記名献金というものも、聖書的でない。これは何よりも「右手と左手の原則」を破っている。米国では宗教法人に寄付したものについては、所得税の控除を受けるので、教会会計から、年間の献金額の証明をもらう必要がある。そこで、記名献金が必要になる。日本にはそういう控除などないので、記名献金の必要はない。記名献金の制度は、信者の管理につながる恐れがある。
小生は、前任の教会では記名献金の全廃を度々役員会に提出した。大切なことなので、全員一致が与えられないと実行しないと言い、25年間にわたって提出し続けたが、全員一致は与えられず、実行には至らなかった。財政を預かる役員の不安と重荷を思うとき、強行は避けた。
ただ記名献金者の氏名を、週報に載せたことはない。また牧師として会計帳簿を見たことはなく、献金滞納者があっても、誰であるかは知らないで過ごした。
記名献金が存在しているうちは、献金の勧めの説教はしないと言い、ついに一度も献金の説教は行わなかった。特別献金だけ記名を廃止したが、その結果献金額が増加し、それまでは必ずやっていた追加のアピールが不必要となった。そういう経験がある。
席上献金だけでよいのではないか。また「右手と左手の原則」のためには、入り口に献金箱を置くほうが袋をまわすより良いのではないか。ある教会では、袋を手渡しでまわし、袋を持って回る人はいなかった。それも聖書の「右手と左手の原則」に対する従順の現れであると思う。
牧師はバプテスマの時に、各個教会に対する忠誠でなくて、キリストヘの忠誠を強調すべきであろう。教会において交わりと奉仕を大切にするべきだが、移るべき時が来たら、基本的にはどこに移動してもよい。ただ礼拝を大切にし、礼拝で祝福を頂いて成長するように、と教えるべきであろう。移動の自由を与えることによって「脱落信者」になるのを防止できるように思うがどうだろうか。
小生は、前任の教会ではクリスチャンは純粋培養ではいけない、一年に一度は他の教会に出席するように勧めていた。信仰の成長は、一つの教会には限らないこと、また他所の礼拝に出席することに罪悪感を持たないように願ってきた。「卒業信者」の発生を防ぐ一つの方法だ、と思ってやってきた。
先に習い事の集団の流派は美意識によって成立している、と言った。牧師は、自分の牧会と信徒の指導に当たり、教会的な美意識のようなものに頼って、それを一つの標準とし、信徒に「品格」が備わるのを待つ、それが成長であると思ってこなかっただろうか。そういう「品格」が備わるまではリーダーシップを与えない、というようなことはなかったか。そのようにして、賜物を持っている人の起用が遅れているのではないだろうか。
教会のしきたりや習慣の変更などが、信徒側から発案があっても取り入れない。教会はかくあるべし、と型があって、それを外れることに恐怖がある。それで教会が硬直し、世の人を迎える柔軟性を失っている。そういう面がありはしないか。
祖先祭儀・葬送儀礼
梅原が、日本全体にもともと葬送・祖先儀礼があって、仏教はそれを取り入れたのだろう、と言っているのを先に述べた。仏教は、古い顕・密体制の時代は輪廻(りんね)を教え、そのために初めは「祖先」の概念はなかったか、あるいは薄かった。鎌倉時代になっても、寺院が葬儀に手を出すことを戒めている文書がある。また鎌倉新仏教にしても、親鸞は生前の信仰のみが重要であり、死んでからは誰も助けられない、として死者のための供養はこれを否定したことは前に述べた。
かく仏教には、祖先儀礼は無縁だったはずであるが、仏教と言えば葬式宗教ということになっている。これは日本文化の中に、先祖の崇拝という「根」のようなものがあることを教えている。
キリスト教が西洋から日本に来たとき、外国からもらった信仰と実践と行事のワンセットの中には、祖先儀礼はなかったのである。しかし、これは決して聖書の宗教に祖先祭儀がないということではない。西欧でキリスト教が発達したときに、そこで振り落として忘れてしまったものの中に、祖先祭儀があった、ということであろう。
日本におけるキリスト教は「福音的な祖先祭儀」を復活するべきで、それをもって世界のキリスト教に奉仕するものであるはずである(小生『羊群』所載論文)。日本宣教においては「祖先を含むイエの共同体」の存在を考えるべきであろう。これは聖書的な思考である。祖先とのつながりなしに、現在を考えるのはよくない。
日本的なイエ観は100パーセント過去を向いているのであるが、クリスチャンは聖書に従い「祖先ばかりでなく、子孫も含むイエの共同体」を意識する。つまり、福音的な歴史的イエの共同体の概念は、過去家族ばかりでなく未来家族をも含む。主は恵みの契約を「あなたがたとだけ結ぶのでなく、あなたがたの子孫とも結ぶ」(申命29:14、15)と言われた。具体的にどのような行事を行うのかは、今後の実験と実践に待ちたい。
我々が西欧を由来して受け取ったキリスト教文化には、死者の人格の尊厳に対する礼儀が欠落していた。つまり、葬送の儀礼が十分でないか、または粗末なのである。ヨセフは父ヤコブのために盛大な葬式を行い、それを見て人々はアベル・ミツライーム(エジプト人の葬儀、またはエジプト人の嘆き)と呼んだ。これは、整った葬儀であったであろうことが分かる。
「エジプト人の」という呼称は、ヨセフの一行がエジプト風であったのでそう言ったのか、または葬儀自体がエジプト風だったことを指して言っているのか、2つの可能性があるが、両方であったかもしれない。ヤコブの葬儀には、エジプトの葬儀文化の要素が多く加味されていた、ということだろう。エジプト宗教の葬送儀礼を取り入れたことは、疑う余地はないだろう。具体的に、どんなものであったかは分からないが。
そのほかには、旧約聖書の中で死者のために香をたく習慣がしばしば出てくるのであるが、それがどのように行われたかもよく分からない。ただ分かることは、現在我々が福音派の諸教会で行っている葬儀のモデルと違っていることは確かである。
一つここで考えねばならないのは、異教的な葬送儀礼のすべてを拒絶するのは聖書的な原則ではないのではないか、ということである。どうしても、自分たちの、日本的で福音的な葬送儀礼を確立せねばならない、ということである。
また異教の葬儀に出席するとき、自分の行動が偶像礼拝に触れることを恐れて、何もしない、または出席を拒否する傾向がある。婦人なら、台所の手伝いだけします、というような。つまり何もしない、ということである。これはいけない。
家族や近親に、クリスチャンは死者の人格を「無視している」か「踏みにじっている」というシグナルを出してしまっていることになる。関係者一同、誰も偶像を本当に信じている者はいない、という状況なのにである。
日本のキリスト教には「死者の人格に対する敬意、哀悼」などを表現する形式が整っていないのである。それがあれば、偶像的なのはやりませんが、我々はこれでやらせてください、という意思表示ができるのである。ところが、それがないので、これは再考せねばならない。
確かに初代の宣教師からは「あれもいけない、これもいけない」という、ただ否定するだけという無責任な指導があったかもしれない。しかし、もう何十年もたっているのである。それから一歩も出ていないのは、我々の責任である。これは、まことに重大である。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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