彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。(ヘブル11:33、34)
シナイ半島にベドウィンという遊牧民が住んでいます。彼らは羊の群れを追いながら、テント生活をしています。ベドウィンは、必要があれば国境を越えて移動しますが、越境の自由が認められているそうです。
かなり前になりますが、ヨルダンの砂漠で暮らすベドウィンのテントを訪ねたことがあります。テントの中心部には立派な銃が置いてありました。銃の保持も政府から認められているのです。もし盗賊などが襲ってきたら、家長が銃を持って戦うそうです。ベドウィンの勇敢さは知れ渡っているので、滅多に盗賊は来ないということでした。ヨルダンの軍隊の最強部隊はベドウィン出身者で編成されているそうです。
ベドウィンを見ていると、シルクロードを行き来していたユダヤ人のことを考えてしまいます。数千キロの道のりを家族同伴で旅をしていると、途中で山賊に出会うこともあるでしょうし、山道ではオオカミや熊などの獣に襲われる危険性もあります。だから素手で旅をしていたとは考えられません。剣を携えていたでしょうし、しかもその扱いにも慣れていたはずです。
日本の古墳から発掘されるユダヤ人と思われる埴輪は、腰に剣をぶら下げています。日本に秦氏としてやってきたユダヤ人は剣の使い手であったのです。サムライという言葉はヘブル語のシャムライ(守る者)から来ているといわれます。
海外旅行中にユダヤ人と親しくなり、ユダヤ人の生きざまや生活の様子などについて詳しく聞く機会を持つことができました。ユダヤ人はどの国に行っても差別を受け、苦しめられてきました。特に学校でユダヤ人の子どもが受けるいじめは酷くて、命の危険にさらされる場合もあるそうです。
そこでユダヤ人がとった対抗策は、強くなることだったそうです。あらゆる護身術や武術を小さい頃から習っているそうです。そして危険を察知し、回避する能力も磨くようにしているそうです。ただ、日本ではその必要をあまり感じなかったと言っていました。
私が子どもの頃、読んでいた本の中に牛若丸というのがありました。源義経の幼少期を描いた本です。牛若丸は10歳の時、母親から離され、京都の鞍馬寺に預けられます。鞍馬寺は秦氏が建てた寺院といわれ、石畳にはダビデの星、六芒星も刻まれています。
牛若丸は鞍馬天狗に鍛えられて、剣の使い方がうまくなり、剣豪になったといわれます。そして、天狗から免許皆伝の巻物が贈られたと書いてあります。ユダヤの修行僧は山伏そっくりの格好をしています。ユダヤ人たちは鼻が高かったので、住民からは天狗と呼ばれていたといわれます。
源氏は秦氏の系列だといわれますので、同じユダヤ系の修行僧がいる鞍馬寺に預けられたのではないかと思います。そしてみっちりと律法の書(トーラー)だけでなく、剣術の指南を受けていたのではないかと思います。イスラエルでは男の子が13歳になったとき、ユダヤ式成人式であるバル・ミツバの儀式が行われ、大きな巻物を取り出し、律法の書が朗読されます。これが当時の住民には免許皆伝の儀式に見えたのかもしれないと思います。
中国の唐の時代には、原始キリスト教の流れをくむ景教が国の全域で布教されていました。日本から遣唐使として行った人々は景教に触れていたと思います。また、その中にいた最澄と空海は積極的に学び、漢文の聖書も日本に持ち帰ったといわれます。比叡山と高野山には聖書の写本があるといわれています。また、親鸞はその写本を読む機会があり、影響を受けているといわれます。武士道の精神の真髄には律法の書(トーラー)の影響が及んでいるとしたら、とても興味深いことです。
最近、日本の剣道に関心を持っている海外の方々が増えているといわれます。技だけでなく、その精神に魅力を感じているそうです。武士道がユダヤのシャムライの流れを受け継いでいるとしたら、その根底にあるのは聖書の教えです。世界の人々に響くものがそこにはあると思います。私たちは神の戦士として、霊的武士道に生き、神の武具で身を固めなければなりません。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。(エペソ6:11〜13)
※古代日本とユダヤ人との関係に関する本コラムの内容は、あくまでも筆者の個人的な見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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