私の尊敬する、故ウェンデル・スミス先生の書籍の中でとても印象に残っている箇所があります。それは以下の❶~❻の部分です。
❶ 什一献金の目的は、自分が所属する地域教会を支え、牧師が教会を建て上げることに完全に集中することができるように経済的に解き放つことです。
❷ 貧しい者に与えることの目的は、必要のある人々を祝福し、彼らを貧困から助け出し、神様の祝福の中に導き入れることです。
❸ ささげることの目的は、全世界に福音を宣べ伝える働きを支援し、促進させることです。
❹ ビジネスの目的は、富を築き上げることによって、その富を全世界の福音の働きに分け与え、人々のたましいの救いに貢献することです。
❺ お金を稼ぐことの目的は、さらに与えるようになって、天に宝を貯えるようになることです。
❻ 私たちがささげるすべての経済的な支援の目的は、たましいを勝ち取り、私たちの世代の中で、イエス様の働きが引き続きなされるのを見ることです。
経済的な繁栄は、それ自体が目的ではなく、神の御国の建設のための手段です。つまり、すべての人々に福音が届けられ、主を信じ、罪赦(ゆる)されて永遠の命に生きるようになることのためなのです。
以前の日本のクリスチャンには、清貧思想を美徳とする風潮があり、自身の繁栄や、所属する地域教会の繁栄を大胆に祈ることはしてきませんでした。しかし今、私たちはアグレッシブに、我々クリスチャンと教会の繁栄を祈り求める必要があります。
なぜならば、クリスチャンと教会の経済的繁栄には、明確な目的があるからです。
私たちが関わっている宣教事業(ミニストリー)には、その目標が大きければ大きいほど、莫大(ばくだい)な費用がかかります。その費用は、多くの人々に福音を届け、信仰に導くために必要な費用です。その費用を生み出すために、既に救われた私たちクリスチャンが、繁栄に導かれることはとても重要なことなのです。
主にささげ、人々に与えるための繁栄を熱心に祈り求めてまいりましょう。
ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。(ローマ人への手紙8章32節)
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