芸能者の集団
このような一般社会人向けの「稽古ごとの集団」の基底をなす層として、職業としての「閉鎖的学習集団」を考えたい。その中でも特に「芸能者の養成のための学習集団」を考える。これは学習のための集団であるが、一人前になってもその集団に所属し続け、活動の場所が母集団に管理されるものである。これは一般向けの「稽古ごと集団」の祖型だといえる。その代表的なものとして、噺家(はなしか)と相撲を挙げてみたい。
話芸、特に「落語」の場合は内弟子として住み込み、生活を共にすることが重要とされる。落語とは、そもそも人情話の舞台が封建制度下の江戸時代であり、それを懐かしむものが特徴である。(現代物については他の話芸に譲るというところがある)。そのようなわけで、時代的な価値観は閉鎖的な流派の中で保存され、内弟子によって受け継がれていくという傾向があるのだろう。
集団のこのような閉鎖性は、集団内部の序列に現れており、弟子入りの時期によって先輩と後輩が決まり、それが一生涯ついてまわるという。また、その閉鎖的な集団の中の評価によって序列が決まる。落語家にとっての主要なステージは寄席で、これに誰が出演するかは、事実上各師匠がその権利を持っている。弟子でなければ、出演はできない。また一般に寄席は、師匠のそのような権限を認めている。
落語家に対する敬称は「師匠」である。司会者なりアナウンサーが仮に落語家を聴衆に紹介するときは「師匠」と呼ぶ。彼は単なる芸人でない。彼の属する閉鎖的な社会での教師である。「師匠」とは単なる教師でなく、全人格的な指導をする教師という思い入れがある。
仮に著名な俳優なり映画監督で国家的な栄誉を受けている人がいるとしよう。アナウンサーなり司会者は、多大の敬意を払うだろう。しかし、なお先生とか師匠とは呼び掛けない。一般に俳優も監督も、その背後に閉鎖的な集団を持っていないからである。落語家が師匠と敬称で呼ばれるのは、彼の持っている伝統的な閉鎖集団の存在感による。
封建時代の価値観の継承は、そのような閉鎖的な集団の中でないと困難であろう。やがて江戸の町の習慣、行事、言葉の使い方の知識は失われていく。
(注・しかし、落語家が江戸時代を忠実に保存しているかといえば、言葉遣いなどかなり怪しい。樋口一葉の小説の中に出てくる、地の会話など読めば感じることであるが、かなり違う。特に副詞の使い方が、ずいぶん変化していることが分かる。だから落語に登場する横丁のご隠居や、熊さん八っさんの言葉遣いは明治よりは新しい。基本的には、昭和初期の言葉遣いの変形のようである。)
落語は、その閉鎖性のために高いツケを払わせられた。閉鎖集団の中の格付けが先行して、観客が何を求めているかは二の次となった。一般民衆があくまでもお客であることを忘れ、うちうちの仲間の評価でやっている間に、民衆からは遠くなった。お客にアピールせねば滅ぶのは当然であり、東京では、人は落語には集まらず、寄席はそのほとんどが閉鎖してしまった。
関西では話芸に新しい波が始まっているが、吉本興業が中心となって推進し、会社が演芸場を持ち、新人にも出演の機会を与える。新人が短い時間を与えられ、次々と演ずる。そこでアタリを取った芸人には、本格的な場が用意される。これは、今までの閉鎖的な「学習集団」の破壊のように見えるがどうか。
相撲
閉鎖的な芸能集団のもう一つの例は、相撲界である。競技者は単なる「選手」とは違う。また親方は、コーチとは違う。
志望者は部屋に入門し、内弟子となる。通いの弟子はおらず、親方は師匠である。この集団の中でのみ、通用する倫理を教えられる。そうして身体を作り、技を磨き、心・技・体といわれる三面での訓練を受け「相撲道に励む」のである。部屋の主(ぬし)は競技のコーチとしては「親方」であり、相撲「道」では「師匠」であり、公式の場では「師匠」と敬意をもって呼ばれる。
相撲の中継でも、試合の中で親方にコメントを求めるとき、アナウンサーは謙譲の念を表現して丁寧な言葉を使う。親方はぞんざいな言葉で返事をし、あるいは教える口調を使う。(「国技」である相撲には、会期中に必ず天皇の観覧がある。だから相撲の親方は偉いのである。)そのようなインタビュアとの上下関係は、他の競技の監督では存在しない。野球の監督もサッカーの監督も、アナウンサーに偉い口は利かない。ただし、近頃は若手の親方の中には違った態度で接する者が出てきている。
相撲の世界は、小宇宙である。そこだけのルールと倫理と訓練がある。そこで育てられ、奇形に見える身体ができ、土俵の中でだけ通用する技術が磨かれる。これはスポーツとしても「土俵の中」だけに通用する価値観がある。スポーツなら何であっても早く走る、長い距離を走る、高く飛ぶなどが重要であるが、相撲はそれらのどれとも違う。どれにも役に立たないし、柔道のような格闘技とも違う。
このように相撲では、通常のスポーツとは無関係の人工的な、ある枠の中での競技能力が養成される。それと共に、相撲界だけで通用する倫理と慣習が教え込まれる。
貴乃花は中学を卒業すると、父親の部屋に入門した。それ以後は父母を「親方、おかみさん」と呼び、「お父さん、お母さん」とは呼ばなかった。これは社会一般の評価からすれば「偉い」ので、現代の日本でも、これを美談と考える人がある。これはそのような閉鎖集団に入ることが、一つの特権として考えられていることを示している。
相撲は土俵の中だけで争い、土俵の外に出されれば負けという人工的な制約が課せられて、その中で争う。非現実性が高いが、このような人工的なルールの存在を考えれば、ゲーム性が高いともいえるだろう。拳闘のように、どちらかが倒れるまでやる、消耗し切るのを待つというのではない。試合は、たかだか数十秒で終わり、1分を越えると「大相撲」などと言われる。
相撲は、このように短時間で終わり、1試合当たりの体力の消耗が少なく考えられている。それで連日でもプレイできる。こうして2週間の間に、15人の異なった相手と競う。その組み合わせを楽しむという、極めてユニークな形態のゲーム群で構成されている。その点では、世界でも唯一なのである。
人生も、その都度違った相手と接して生きるので、これは人生の縮図といえる面があり、そこに相撲の魅力がある。観る者は自分の生きる社会や、自分の人生の現実と重ね合わせてみて2週間を過ごすが、これが相撲の大きな特徴である。
さらに力士個人の力量を中心に観ることもできるが、各部屋の勢力の消長を中心としても観ることもできる。この場合は、親方の方針がどう反映しているのかを観て楽しむ。このように相撲は個人技であるが、またチーム中心のゲームという面もある。人生の縮図である。
力士は「部屋」の管理の下にあり、「親方」の下にある。これを離れては、「大相撲」には出場できない。つまり、この閉鎖世界に浸り切り、しかも自分の「部屋」に所属し続けねば、力士として生きる道はない。移籍などはないし、部屋制度を否定すれば出場の機会はない。
この「部屋」は既得権であり、通常は高弟が親方の株を買って後継者となり、部屋は存続する。彼にファンがついて、経済的な後援を得るかもしれないが、しょせんタニマチである。給金と地位は、土俵の成績によって相撲協会から来るのである。
これは伝統的な手工業の職人の集団にも、ある程度はいえることである。親方の所に弟子は入門して技能を習得するのであるが、やはり修業という言葉が使われる。ここでも克己、向上を目標とした緩やかな倫理性、また「入神の技」と呼ばれるような技術の偶像視のようなものがある。これらは漆器、宮大工、鍛冶などの職人の養成に多く見られることである。
ただしこの「親方」は、多くは一代限りである。流派を形成せず、親方を高弟が継ぐということも原則としてない。また学習集団としての師弟関係は養成期の間だけといってよい。一人前となった職人の活動に対する師匠や集団からの干渉は少ない。その職人の力量を発表する場は、集団以外のところにある。彼の仕事を認めて、これに金を払ってくれるのは一般社会で、親方ではない。
日本ではクラシック音楽界にも、似たような傾向があるようである。オペラの出演者は公募でなく、何々先生の門下からお願いする、という形が多いそうである。そうすると他の先生の門下は出演できない、とかそういう愚劣なこともあるらしい。つまり師匠の周りに形成された集団があって、それが発表の場について権限を持っているのである。これは西欧文化の産物であるオペラが、日本ではまだ民衆のものではなく、閉鎖集団を作り、その中で辛うじて生き伸びていることを示している。
新国立劇場でオペラをやるのに、外国人の監督を入れる。そうするとキャストは公募である。日本の従来のやり方は門下生を使う、またダブル・キャストで師匠のメガネに叶う人間をもう一人使った。オペラの仕上がりがどうか、は二の次である。それは料金を払う人間の側に、評価する力がないからである。
民衆が自分の判断で楽しいかどうかを決められれば、閉鎖性はなくなる。ミュージカルの場合は、現代の一般の日本人の感性により近く、商業的に成立が可能で、キャストの決定ももっと自由に、師匠とは関係なく公募で行われている。
このような相撲の部屋の制度も入れて、これら学習集団の内部構造は、米国のロッジ(結社)と似ていないこともない。しかしロッジと違うことは、茶道も華道も、剣道も、相撲道も社会に対する発表があるということである。また何のために精進しているかについて、明白な認識が社会一般に存在する。そこが違うといえよう。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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