「あなたがたの中のある者は、とこしえの廃墟を建て直し、代々に続く礎を据える。あなたは『城壁の破れを直す人』『住めるように道を修復する人』とも呼ばれる」(イザヤ58:12、聖書協会共同訳)
<序>
自然災害が起こるたびに、まず現場へ足を運びます。何も大したことはできていません。現地の行政から依頼を受けて、炊き出しに関わってきました。ボランティアセンター、社会福祉協議会が立ち上がる前に間髪入れず、行政の指示に従い、それぞれの避難所に直行してきました。
2016年4月14日に発生した熊本地震では、熊本県益城町(ましきまち)の愛児園で、翌15日に行政から500食ずつ、計2千食の炊き出しを依頼されました。10人のメンバーで、16日の朝食から家庭料理を提供させていただきました。翌17年7月5日に発生した九州北部豪雨では、7~9日と16~19日に、福岡県朝倉市杷木松末(はきますえ)の最大の避難所、杷木中学校体育館に7人以上のチームを組んで、2千食の炊き出しに取り組ませていただきました。それから、孤立した松末の270戸の被災者とのつながりが始まりました。さらに昨年8月の西日本豪雨では、岡山県倉敷市真備(まび)町の第二福田小学校などに、8~13日と24~25日に訪問させていただきました。
被災後、いずれの地域でも最初の炊き出しグループとして仕えてきました。神戸国際支縁機構は、炊き出し、傾聴ボランティア、地域の復旧・復興・再建のために、ゴキブリのように現場主義で徘徊(はいかい)し、被災者たちとの縁を築いています。
昨年国内では、大阪北部地震、西日本豪雨、北海道地震、台風21号による大被害が、海外ではベトナム水害、インドネシア・パル地震などが起こり、自然災害でおびただしい数の人たちが犠牲になられました。私たちの働きを応援し続けてくださった親友の川端勝事務局長も、大阪北部地震で自宅マンションの後片づけが相当骨身にこたえたようで、寝込むようになられました。昨年12月には、バヌアツのタキフ少年の心臓治療を依頼されるような大きな試みもありました。
2019年は、復旧・復興・再建のために、頻発する震災で叫ぶ人々にどのように向き合っていくのかを考えさせられる年になっています。多くの被災地で、国土交通省、県・市行政、社会から、まるで「死ね」と突き付けられたように受けとめている被災者が一人でもおられるなら、どのように対応すればよいのでしょうか。
1)叫び・救い
福岡県朝倉市杷木松末の乙石(おといし)集落と小河内(こごち)集落は、2年前の九州北部豪雨により、居住禁止区域になりました。豪雨直後に炊き出しを行った杷木中学校体育館で知り合った被災者たちとの交友が続いています。現在、松末地域コミュニティ協議会の伊藤睦人会長、日隈繁夫事務局長や、現地の被災場所に案内してくれ、現在、私たちの語り部として導いていただいている樋口實喜・寿江夫妻などから、家族のように迎え入れられています。
災害障害見舞金などの法律関係は、日本弁護士連合会・災害復興支援委員会委員長の津久井進弁護士から助言を頂いています。豪雨発生から今年の7月で満2年を迎えようとしています。しかし、仮設住宅の入居期限は原則2年で、仮設住宅の83人、みなし仮設の230人が出て行かざるを得ません。延長の例外はないと樋口氏から聞きました。
2)みなし仮設の声
白木谷(しらきだに)の小島重美さん(71)は、2階建ての家に住んでおられました。白木谷の集落は30戸ほどでした。残ったのは2、3軒だそうです。以前は、左官の仕事をされていました。2017年1月、咽頭がんから回復されたものの、突然起こった土砂崩れに遭遇されました。2階におられましたが、妻の初子さんは1階でペットの世話をしておられました。捨て犬を飼っておられたのです。すると警報もなく、心の準備ができていない中、初子さんは濁流にのまれ、1キロメートル先まで流されたとのことです。現在、みなし仮設にお住まいです。
「主は言われた。『私は、エジプトにおける私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者の前で叫ぶ声を聞いて、その痛みを確かに知った。それで、私は下って行って、私の民をエジプトの手から救い出し・・・』」(出エジプト3:7~8)
イスラエルの人々が持っていた信仰とは、「叫ぶ」「聞いて」「救い出し」と記されているように、「叫ぶ声」を神に上げることでした。そのような方法によって、神が生きておられる方であることを体験したのです。そしてその神は、どん底、痛み、うめきから「救い」、人々を顧みられたのです。
一方、裕福な人々、現在の秩序で恩恵を享受している人々、現状で満足している人々は「叫び・救い」とは無縁です。叫び声には無関心です。神の介入も望まないのです。自分たちの家庭、学校、社会で知り得たこと、所有している権利、老後に保障されることの安心に心を砕きます。良き人生を謳歌(おうか)している者は、神からの介入、解放をありがたいものとは考えません。ですから思いがあっても、「持たざる人々」のために指一本動かそうとしません。
「多くの人の愛が冷える」(マタイ24:12)、「情けを知らず」(テモテ二3:3)、「無分別、身勝手、薄情、無情、無慈悲」(ローマ1:31)を繰り返してきた人類の歴史です。
国土交通省は今年2月17日、砂防ダム建設のため、乙石、小河内の両集落に住む被災者に、一方的な立ち退きを通達しました。ちょうど、松末を第7次ボランテイア(2月17~20日)として訪問した日でした。仮設住宅住まいからどこかに移転するとしても費用がかかります。自己責任ばかりの取り扱い、無慈悲な政策です。せめて住んでいた土地の買い上げぐらいはすべきではないでしょうか。なぜ全国メディアは黙っているのでしょうか。国の暴挙に怒りが収まりません。
乙石集落の上流に近いところに住んでおられた梶原保嗣さん(当時79)は、2月7日に逝去されました。妻のミスミさん(80)によると、保嗣さんは砂防ダム建設のため立ち退かなければいけないという悲劇により、心労で亡くなられました。長年住み慣れた家に居住することが許されなかったことによる体調不良は、明らかに災害関連死です。2011年の東日本大震災以降、東北の被災地で3700人近くが避難生活による体調不良により亡くなっています。国と被災地の自治体の対応が後手に回っており、みすみす助かる命が見殺しにされています。
1995年の阪神・淡路大震災以降、関連死として認定されると最大500万円が支給されます。朝倉市役所は、保嗣さんの関連死を把握しているようには思えません。ミスミさんは松末全体の民生委員も務めたことがあり、地域でも信頼されています。昨年の土石流による被害がまったくなかったにもかかわらず、砂防ダム建設のため、家屋を出て行かざるを得ない無念さを語っておられました。
3)「安全神話」「安全帝国」
砂防ダムの安全神話のマインドコントロールが役所からなされます。河川底をもコンクリートにすれば、雨、集中豪雨、治水ダムから放流された水量は、大地に浸透することなく、人工の鉄砲水になる可能性があることについて一切説明はなされません。役所は、コンクリートによる安全神話をうのみにしてしまいます。
松末の悲劇は、砂防ダムや新たなハザードマップだけではありません。仮設住宅、みなし仮設住まいの被災者は、今年7月に仮設住宅を追い出されたらどこへ行けばいいのかと、途方に暮れています。被災者たちには「災害救助法」により300万円が支給されたものの、約2年の生活費でなくなり、将来の生活設計は立ちゆかなくなっています。宮城県石巻市渡波や熊本県益城町、岡山県倉敷市真備町とは異なり、松末に居住は認められていません。半壊どころか無傷の家屋であっても、住人は居住、農業、林業の再開が許可されていません。「安全」について保証できないとされているからです。机の上で作成された新たなハザードマップに従えとのお達しがあるからです。
もし安全について懸念があるとすれば、日本列島のすべての地域は、地盤、河川の増水の危険性、集中豪雨による滑落などを心配しなければなりません。つまり、被災者の命、暮らし、生きがいよりも、「安全帝国」という基準の優先を強いる官尊民卑の施策です。
松末で2月18日にお会いした乙石在住の梶原ミドリさん(80)から、傾聴ボランティアでお聞きしました。2017年7月5日午後2時ごろ、乙石川の増水によって家ごとすべてが流出し、河原でトタンを頭にかぶり一夜を明かされました。現在、朝倉市林田の仮設住宅に住んでおられます。立ち退きを通達され、土地の買い上げもないことについて立腹しておられました。筆者は他の被災者たちからも同様の無慈悲なお上の暴挙を確認して、その夜、それらの情報をフェイスブックで発信しました。しかし、一番反応がなかったのは、すでに自分は救われたと信じている宗教者たちでした。(続く)
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