年齢的に子どもを望んでいた私が、勇気を出して夫Aに思いを告げたとき、返ってきた言葉に酷く傷付けられました。「女としてまったく見られない。接することができない」といった内容でした。
茫然自失のまま、家路に就きました。キッチンでぼんやりとたたずみ、すべての感情を失い、心のドアは壊れ、そこからたやすく悪魔が入り込んできました。
「死にたい」と思ったことはそれまでもありましたが、本当に考えたのはこの時が初めてでした。見えない力に動かされ、冷蔵庫からウォッカを取り出すと、無言で淡々と飲み続けました。すでに酔っていたところに、さらに強いお酒を飲んだことで、意識が一段と朦朧(もうろう)とした頃、 冷凍庫に睡眠薬があることを思い出しました。Aが仕事で海外へ行くときのために、医師から処方された強いものでした。
「飲んで楽になりなよ」。そんなささやきが聞こえました。「そうだね」と同意してしまった私は、10錠ほどあった睡眠薬を、ためらうことなく口に入れると、残ったウォッカで一気に飲み干しました。
その後、誘われるように浴室に向かい、バスタブに浸かりました。すると、瞬く間に睡魔が襲い、のしかかるように真っ黒な闇が私の体を覆っていき、遠のく意識の中で「これで終わるんだ・・・」と、眠りに落ちました。
暗黒の深海に、私は膝を抱えて身を丸め、プランクトンのようにゆらゆらと漂流していました。しかし、しばらくすると、頭上から一筋の光が差し込みました。光が次第に広がり、どんどん明るくなって全身が包まれたとき、目が覚めたのです。
翌朝になっていました。私は、何もまとわず、無造作にタオルケットを1枚掛けられただけの状態で布団に寝かされていました。Aに助け出されたのです。「生きていたんだ」と認識するには少し時間がかかりました。が、われに返ったとき、生きていたことを心から感謝しました。
「親より先に死ぬなんて、とんでもない親不孝をするところだった」と深く反省しました。しかし、目覚めたとき、Aがそばに居てくれなかったこと、部屋を出て来たとき、一言も声を掛けず顔も見てくれなかったこと、その冷たい態度に悲しくなり、「なぜ病院に運ばなかったのか?死んでもいいと思ったのか?」と、どんどん悪い方へと考えてしまい、事実を確かめてもいないのに、勝手に怒りが込み上げていきました。
もしかしたら、Aなりに心配してくれていたのかもしれません。しかし、不器用で何も話してくれなかったため、真意が分からず、私の気持ちはさらに落ち込んでいきました。
ヨブ記に「レビヤタン」なるものが記されていますが、人間の「プライド」を足場として悪さを働く悪魔だと学びました。また、「コミュニケーションを狂わし、人間関係を壊し滅ぼそうとする」とも。「真の神」ではないものを信仰していたことで、自ら夫婦関係に「破壊」を呼び込んでしまったのかもしれません。
「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです」(ヨハネ10:10) 。私は、危うく命を取られるところだったのでしょう。神様は、ヨブになさったように「決して、彼女の命までは取ってはならない」と命じてくださっていたのだと、今は信じています。本当に感謝で胸がいっぱいです。
それからしばらく、子どものことは話せなくなりました。また悲惨なことが起こるような気がして怖かったのです。私を助けたときの心境は聞いていないので、今でも分かりません。私自身も、当時の気持ちを伝えたことがないので、お互いを誤解したままかもしれません。素直に笑って話せる日がいつか来ることを、神様に祈るばかりです。
そして私は、子どものことをイエス様にではなく、「X」神に頼ってしまいました。そこには「非聖書的な力」の働きが・・・。
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