10月15日、諫早市のぶどうの木聖書教会の特別礼拝で「人生の先にある確かな希望」と題して説教しました。礼拝後、豊かな昼食を頂き、温かい交わりの時を持ちました。午後1時半から「三浦綾子さんと文学から学んだこと」というテーマで講演しました。聴衆皆さんが熱心に耳を傾けてくださいました。講演会後、閑静な農村地区にある内野隆牧師宅で2組のご夫妻と共においしいカレーとコーヒーを頂き、食後、内野牧師や兄姉のお証しを聞くことができました。
翌日、雨天でしたが、午前9時ごろ、内野牧師が宿舎のホテルまで車で迎えに来てくださり、映画「沈黙」の舞台、長崎市外海(そとめ)地区を案内してくださいました。車中で内野牧師の証しを詳しく聞くことができました。戦中、長崎市の歯科医師宅に生まれ、満2歳の時、あの原爆投下があり、叔母さんに抱き抱えられて逃げて九死に一生を得たことや、クリスチャンになり牧師になった経緯等々・・・。
長崎の山間の曲がりくねった道を走ること約1時間半で、外海地区の黒崎教会へ到着。レンガ造りで大きく美しい会堂です。教会のマリア像の前で中学生たちがガイドさんの説明に耳を傾けていました。この教会で、吉永小百合さん、二宮和也さん出演の映画「母と暮せば」のロケも行われたとか。
その後、東出津地区にある長崎市遠藤周作文学館を見学しました。遠藤周作著『沈黙』は、アカデミー賞受賞の巨匠マーティン・スコセッシ監督によって映画化され、国内外で大変大きな反響を呼びました。私も、映画「沈黙」を見て、深い衝撃と重い問いを投げ掛けられました。
私は長い間、「遠藤周作という作家は、カトリック作家であり、聖書観やキリスト論において、プロテスタントの私とは無関係である」と、ある距離を置いてきました。しかし文学館を見学し、遠藤周作氏が自らカトリック信者として、かつての日本における激しいキリシタン弾圧の実相に真摯(しんし)に向き合って、あの小説『沈黙』を、心の血を流すような痛みの中で書き上げたことがよく理解できました。
踏み絵を踏まず殉教していった「強者」と、拷問の恐怖と肉体の弱さに踏んでしまった「弱者」、遠藤氏は、この両者を対比させ、彼らの内面をえぐり出すようにして『沈黙』を書きました。私は今まで、踏み絵を踏んで転んだキリシタンたちに対しての憐(あわ)れみや共感が希薄であったことを知らされました。
それにしても、徹底的にキリシタン弾圧を強行した江戸幕府の非情と冷酷さ、国家権力の獣性のすさまじさにあらためて驚きます。それとともに将来、教会やキリスト者への国家権力による思想統制や弾圧が実際に起こったら、自分自身はどのように対応すべきかを考えさせられました。
この文学館で内野牧師から『切支丹の里』(遠藤周作著、中公文庫)をプレゼントされました。本書で遠藤氏は、黒崎村について次のように記しています。「長崎から車で1時間半ほどかかるが、かなり悪い道を通り、そして山をこえねばならぬ。現在でもそうならば、むかしは役人の監視の眼も届かず信仰を守りつづけるに格好の場所だったにちがいない。はじめてこの黒崎村を訪れた日も雨だった。峠をこして暗い海が見え、その海が風のために白く泡だっていた」。私たちが黒崎を訪れた日も雨でした!
ここ外海地区は、「沈黙」の「トモギ村」のモデルとなり、禁教期には多くの人々が潜伏キリシタンとなり、密やかに信仰を守り続けていました。文学館見学の後、外海歴史民俗資料館、国指定重要文化財・出津教会堂、ド・ロ神父記念館を見学することができました。特にフランスの貴族出身のド・ロ神父が明治の初め、辺ぴな外海地区に来日し宣教と共に、女性の自立支援の作業場、出津救助院などを建て上げ、地元の産業推進などにも大きく貢献した業績には、驚嘆するのみでした。
この後、「道の駅・夕陽が丘そとめ」で昼食を取り、浦上天主堂前にある長崎カトリックセンターユースホステルまで送っていただきました。内野牧師の案内により、実に有意義なキリシタンの里、外海地区を見学できました。
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