2014年9月、会社員であった私は、会社に無理を言い、1カ月の休暇を頂いた。理由はただ1つ、「アトスを撮りたい」。行く寸前に洗礼を受け、乗り込んだわけだが、初めは不安しかなかったことを思い出す。彼らの喜びとは、楽しみとは一体何なのか、かなり薄っぺらい目標を立て、それを収めるべく向かったのであった。
初めに訪れたときは、景色やそこで行われている儀式、生活を目の当たりにし、ただただ写真を撮っていたと思う。協力してくれたN修道士が、許可書の取得、撮影交渉や移動の手配まですべて手助けしてくれた。その結果、これまで日本では発表されてこなかった写真の数々を収めることができ、Canon で初の個展という夢がかなった。
そこで初めて取材を頂いたのが、このクリスチャントゥデイである。それからのお付き合いで、今月で2年間、隔週で計50回の連載をさせていただいた。
自分にとっては、写真と共に文を添えられるという、やりたかったことの1つであり、いつかそんな日が来ないかと、アトスでは毎日ノートにその日の感情や出来事を書き留めていた。
この隔週の連載を、たくさんの方々がご覧いただき、私のアトスへの思いをさらに増してくれたことは間違いなかった。書いているうちにあれが足りない、これが足りないと素材の少なさを感じた。洗礼を受けたての私にとって、アトスとは、ギリシャ正教とは、宗教とは、ということを考えさせてくれる場にもなっていたのである。
連載を始めてすぐ、Canon での展示と隔週連載という武器を持ち、出版社に作品を見てもらう日々が続いた。その結果、「ナショナルジオグラフィック日本版」、「芸術新潮」の第二特集、「文藝春秋」「世界」「翼の王国」まで、たくさんの雑誌メディアに取り上げていただくことができた。ここで、出版という自分の目標をかなえるべく、大きな出会いがあった。
2017年2月、私は再び Canon での個展を目指し、作品を構成し応募、4月に通過し、開催の道が開けた。その報告を受けてすぐ、芸術新潮でお世話になった新潮社出版企画部の金川功氏に連絡した。すると、すぐ作品を見せてくださいと、翌日にアポを取り、会ったのである。
会うなり、会議室へ移動中、「連載をいつも見てますよ」「あの文を元に、かなり直したり、加筆が必要だけど(笑)簡単に、組んでみました!」と、そこには、写真と文を載せたページ構成のPDF。私の夢がかなった瞬間であった。
「単純に面白い、そして素直、その感情と写真で1冊を考えられるかもしれない」と、写真集が厳しいというこの時代に、大変な尽力を頂き、2017年8月31日、私の初めての写真集が発売された。
アトスとは、クリスチャントゥデイはじめ、Canon、新潮社、ナショナルジオグラフィック・・・書いたら切りがないほどであるが、私にとってたくさんの出会いを与えてくれた場である。そこには、父のこれまでの研究が土台となっていることは言うまでもない。そこへの感謝と尊敬は、忘れてはいけないと思っている。また、たくさんの協力をしてくれた修道士たち、彼らの祈りと真摯(しんし)に向き合い、伝えなくてはならないと思っている。
アトスを通して得たすべての出会いを大切にしながら、「アトスをもっと撮りたい!」、まだまだ未熟で、薄っぺらながらも、今後もアトスと向き合い、生涯取材を続けたいと思っている。それは、唯一私にしかできないことだから。
未熟な私にとって、この隔週の連載は、千年の祈り、アトスを考え、正教を考え、宗教そのものを考えさせてくれた貴重な場であった。と同時に、私のアトスの取材自体に厚み、深さを与えてくれ、大きな形として残してくれるものとなり、大きな夢もかなえてくれた場でもあった。
今後も聖地アトスを通して、人を想う祈りの取材を続け、この時代に何が必要か、大切なことは何なのか、しばし充電し、またこの場で発表させていただきたいと思っている。
これまで見ていただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。
2018年1月より、新連載スタート
月に1度、私の父であり、日本ハリストス正教会司祭のパウエル中西裕一が新たに連載を始めさせていただきます。お楽しみに。
個展の開催
2017年12月13日より12月28日まで、堀内カラーフォトスペース神田にて中西裕人写真展「クリスマスの約束〜アトスの降誕祭」を開催します。御茶ノ水のニコライ堂からは徒歩5分の会場です。ぜひニコライ堂と併せてご観覧ください!
中西裕人写真展「クリスマスの約束〜アトスの降誕祭」
ある年の元旦、私はアトスを目指していた。ちょうど初日の出を見たのは、ウラノーポリというアトスへ行くために必ず立ち寄らなくてはならない港町へ行くバスの中。つまり、男だけの船が出るアトスへの入り口である(ウラノーポリ=天国への入り口という意)。
夏とは打って変わって、ブルーグレーに染まる寂しい街並み、人もまばらで商店もほとんど閉まっている。浜辺に出れば、強い海風が体全体を覆う。時折ポツポツと雨粒が寂しく服を濡らすのである。
冬の気候は日本に似ていたが、湿気が多い分、体に感じる冷たさが増す気がした。また、天候も不順で雨も多く降り、夏の穏やかなエーゲ海とは想像もできないほど、白波を立て、護岸に打ち寄せ、のみ込まれてしまうほどである。この地方は雪も降ることもあり、アトスの冬は厳しいものとなる。
1月2日、アトスに降り立った。今回は降誕祭の取材でこの地を訪れたのだが、この地はユリウス暦を使用し続け、俗世とは13日のズレが生じている。つまり、1月7日にようやくアトスでは12月25日を迎え、1月6日の夜から7日かけて降誕祭が執り行われることになるのである。
1月6日(アトス12月24日)、シモノスペトラ修道院を目指し、ここで降誕祭を迎えることにした。知り合いの修道士のおかげで、ダフニ港でバスに乗り込むことができたのだが、そこで見たのは、何とも不思議な光景だった。数人の未成年の子どもが父親に連れられていたのである。修道士とは、「お久しぶりです。ようこそ」と言い、抱き合った。
修道院を訪れると、他の巡礼者たちも大きな荷物を抱え、修道士と抱き合っている姿を見ることができた。その大きな荷物はお土産のようで、修道士たちに渡していた。
祈りの時間になり、聖堂の両翼の聖歌隊の立ち位置には、これまで見たことのない光景が広がった。修道士に混じり、子どもたちも祈祷書を囲み、修道士たちとにこやかに聖歌を口ずさみ始めたのである。
いつもは低音の男性のみの音だが、声変わりしていない子どもたちの甲高い声色は、聖堂内の隅々まで響き渡るほどであった。すべての参列者が、1人も1度も欠けることなく、朝7時過ぎまで聖歌は歌われ続けた。
ギリシャ人の90パーセント以上が正教徒である。生まれてすぐに洗礼を受け、神に近づくべく信仰を若い時から宿している。いわば皆家族も同然なのかもしれない。アトスの修道士と正教の巡礼者たちは、共にこの日を祝うべく、約束をしているのである。
そして、神の最も近いとされる場所で、修道士たちに混じり、共に神の降誕を祝福するということが、彼らにとって何よりのプレゼントなのだと気付かされた。
クリスマスとは、神を感じ、自分が最も居たい場所で、居たい人といる日。神を感じるということは、家族を感じることなのかもしれない。年に1度の、すべての人が神を感じ、家族を感じ、人を想う日となる。
展示詳細
HCL(堀内カラー)フォトスペース神田
会期 2017年12月13日〜12月28日
日曜、祝日、第2、第4土曜休館
時間 9:00〜18:00(土曜日17:00まで・最終日16:00まで)
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