「墓信仰X」の教祖Y氏の手から流れる「波動」。直接人に注入する、また、電話や写真を通して注入する、その姿を目の当たりにし、ますます「波動」というものへの関心が高まっていきました。「信じる者は救われる」と自分に言い聞かせ、「素直な心で受ければ波動効果も増す」と思い込もうとしていました。
「○○番の方~」。Y氏が、私の番号を呼びました。番号札をもらうために並び、順番が回ってくるまで、なんと10時間もたっていました。やや緊張しながらY氏の前へ進み、「○○さんのご紹介で来ました、佐伯玲子と申します。よろしくお願いいたします」と自己紹介すると、「あら~、そうでしたか~、どうぞ~」と、軽やかな声でベッドに促され、うつ伏せになりました。
そして、初めて腰に手を置かれた瞬間! ポカポカと温かいものが伝わってくるのを感じました。それはまるで、お日様に当たっているようでした。その手が、私の腰の上でリズミカルに波打ち始めました。
この時、自分の職業やお墓の現状など、個人的な話をしました。ベッドと待合室の仕切りは無く、Y氏は右耳が聞こえなかったので、聞こえる左耳に向かってなるべく大きな声ではっきりと話さなければなりませんでした。
なんでも数十年前、「伊勢神宮の森にいらっしゃい♪」と、女性の美しい声で伊勢神宮の森に呼び出され、その時、雷鳴とともに頭に電気が走り、数年かけて右半分の脳と耳を、“神”なるものから直接メッセージを聞くための“受信機”に改造された・・・ということで、以来、右耳からは“この世の音”が一切聞こえなくなったそうです。
本当は、あまり他人に自分の個人的な話を聞かれたくはなかったのですが、「波動」を入れ終わったら、速やかに次の人と交代しなければならなかったので、波動を受ける短い時間、不自由な体勢ながら一生懸命話しました。
そして「その(血縁関係の最も濃い)お墓にお参りして、しっかりお浄めしたら、もっと(体に)波動も入るようになるし、そうしたら、良い仕事もうんと頂けるようになるわよ。そのお墓が見つかるように、波動を送りますね」と言われました。
いよいよ最後の仕上げ・・・「波動」を目と頭に入れ終わった瞬間・・・! フワッとめまいが起き、一瞬よろめきました。まるで、お酒に酔ったときのような感覚でした。きっとこの瞬間「心の目」に“覆い”が掛けられたのだと思います。“覆い"は、回を重ねるごとに厚く、重~くなっていったのです。
それを裏付けるように、帰り際、私はXで販売している「観音像のカード」(4枚1組2千円)を購入してしまったのです! そのカードは、「お墓参りの必須アイテム」の1つで、波動を集める重要なツールとなっていたものです。
墓参り以外にも、体の病んでいるところに貼ったり、お守りのように持ち歩いたり、いろいろな用途に使うことができるというものでした。後に、ある大きな出来事を境に「金」と「緑」の2種類に変わりますが、当初はモノクロ1種類だけでした。
その観音像は、信者さんの息子である10代の少年が描いたデッサンを、「この絵には、すごく“力”がある。神様の波動をキャッチできる!」とY氏が気に入り、印刷してカードにしたもの・・・とのことでした。
名称を「カード」としただけで、神社仏閣のお守りやお札と何ら変わりのない「偶像物」の1つにすぎず、そのような物が神様であるはずがないのですが、当時の私は、そんなことも分からなくなっていました。イエス様を知り、信仰を持っていたら・・・あのような名刺サイズの「カード」に頼ることもなかったでしょう(^^;)。
Y氏が「ここの教えをしっかり信じることができて、このカードの力の素晴らしさを分かってからお求めくださいね」と話していましたが、まだ半信半疑とはいえ、「これを墓参りに使わないと先祖が喜ばないのでは?! 効果が得られないのでは?! 人生が良くなっていかないんじゃないか?!」と不安が募り、「2千円だし、私にも買える値段。よし! 買おう!」。
こんな小さなつまずきから、後に、生命の危機寸前!の事態にまで及ぶことになるのです。こうして、少しずつ「恐れ」に縛られていきました。
帰宅した私は「カード」を握りしめ、問題の「墓」の手掛かりを得るため、母に電話をしました。複雑な家族の事情があり、母に墓のことを聞くのはかなり高いハードルでありました。 しかし、「見つかるように波動を送る」と言ったY氏の言葉と、観音カードの効果を信じ、思い切って母に話したのでした。(つづく)
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