ソ連崩壊後、よみがえるロシア正教会とロシアの宗教政策
ソビエト連邦は70年以上無神論政策を続け、宗教を弾圧したことはよく知られている。しかし、信仰はなくならなかった。ソ連時代にすら共産党エリートも密かに教会で洗礼を受けており、末期には表に現れるほどになっていた。(1982年、ブレジネフ書記長の葬儀は世界中に中継される中、未亡人が夫に十字を切るのを見て、米政府は驚き、宗教の復活を予感したという)
また1978年、社会主義のポーランドから、ヨハネ・パウロ2世が誕生したことも大きな影響を与えた。さらにイスラム系民族の運動も活発になった。
1991年にソ連が崩壊すると宗教の自由の時代が訪れ、社会の混沌の中、カトリック、プロテスタント各派、欧米の新興宗教、さらに日本の仏教系宗派までが豊富な資金力を背景に宣教に乗り出したという。(日本のオウム真理教もロシアで多くの信徒を獲得していたと報じられ驚いたことを思い出す)
南部を中心に長い歴史を持つイスラム教も、信徒数は統計では300万人から約2千万人までと幅はあるが、激増しており、学校や大学も多数開設されているという。
しかし、その中でもロシア正教会は政治と結びつきながら圧倒的な影響力を取り戻しつつあるという。スターリン時代の1931年に爆破された救世主キリスト寺院は、1994年からモスクワ市長の主導で再建が始まり、大規模な募金運動が行われ、軍事産業銀行が5千万ルーブルの資金を提供したとされる。
また1997年に、宗教を幾つかのカテゴリーに分類する「良心の自由と宗教諸団体法」が成立し、ロシア正教会は「全ロシアの歴史的、精神的、文化的に不可欠な部分」として特別扱いされるようになったという。
この法律では、イスラム教、仏教、ユダヤ教は2番目の「伝統的宗教」に位置付けられ、カトリックやプロテスタント諸派は3番目の「非伝統的宗教」に、それ以外の宗派は4番目のカテゴリーとされた。
さらにロシアの大統領就任式には、ロシア正教会の総主教が最前列に並ぶようになり、軍隊の中でも礼拝が行われるようになり、学校での宗教教育では、ロシア正教に大きな比重が置かれた教科書が製作され、使用されるようになった(ソ連時代の宗教弾圧にはほとんど触れられていない)という。
よみがえった教会は国民の信頼度も高く、2012年の世論調査では、「信頼する制度」として、プーチン大統領(51パーセント)と並び、教会は50パーセントという数字を占め、82パーセントのロシア人が自らを「正教徒」であると答えているという。(ただし、実際に教会に通う回数は月1回以上が約10パーセント程度だと回答されており、果たしてどこまでが正確に“信徒”と言えるのかは議論があるそうだ)
プーチン大統領は2005年に初めて東方正教の聖地アトス山を訪問、その後も2度訪問し、2015年からはロシアを「正教大国」と表現するようになり、宗教的な「垂直」的権威を強調しながら保守主義を強調する側面が強まっているという。
この辺りの分析を踏まえると、2015年に公開されたロシア映画、アンドレイ・ズビャギンツェフの「裁かれるは善人のみ」で、非常に厳しく国家と教会の関係を批判している背景をリアルに感じることができる。
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また、昨年本紙で「ロシアで伝道規制法」が成立したという一連の翻訳記事が報じられた。これらのニュースも、ソ連崩壊後のロシア正教会と、国家との関係性を理解した上で読むと、その背景を少しクリアに理解することができるだろう。
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「ロシアのプロテスタント」古儀式派と現代
また、本書において興味深いのは、ロシア正教の中の「古儀式派」に注目した議論だ。ロシアでは1653年に総主教ニーコンにより儀式改革が行われた。従来のように3本指(古儀式派)で十字架を切るのを2本指に改め、救世主を「Isus」 から「IIsus」に改めるなど教会の儀式改革が行われた。これは、正教とカトリックとの和解を画策する国際的な(当時における“グローバル化”“近代化”)志向だったという。そして伝統的な儀式を守ろうとした「古儀式派」は、1666年の宗教論争に敗れて分離派(ラスコリニキ)として政治的に弾圧されて一部は追放されたという。
しかし、古儀式派はロシアの歴史の中に脈々と生き続け、その数は一説では国民の3分の1(約3千万人)にも達し、ロシアの中の「最大の反対勢力」、正教の中の「プロテスタント」として存在し続けたという。(ドストエフスキーの「ラスコーリニコフ」という名の主人公の物語『罪と罰』は、この200年後を記念した出版物である)
弾圧された分離派は、別個に教会を作り、密かにネットワークを作り上げた。そして商業を営む中で禁欲的な信仰生活を送り「商業資本」を生み出したと主張する研究者もいるという。この辺りはマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を彷彿(ほうふつ)とさせるが、ウェーバー自身もロシアの分離派の潮流を研究していた、というエピソードなどは非常に面白い。
さらにそのネットワークは、1917年の革命に至るまでの重要な勢力となったという。
「『ソビエト』とは元来は『ロシア革命時において社会主義者の働きかけもありながらも主として自然発生的に形成された労働者・農民・兵士の評議会』を意味する」(Wikipediaより)
近年の研究では、その歴史的起源は、教会を持つことが許されなかった古儀式派の潮流が組織したネットワークであったと考えられているという。さらに、共産党政府の中核にも、国家元首カリーニンや、あの外相モロトフ、グロムイコなども古儀式派の潮流の出身であるという。(プーチン大統領もまた、その流れに位置するという研究もあるそうだ)
ソビエト連邦時代、科学的な無神論を標榜(ひょうぼう)され、宗教自体は弾圧されてきた。そして古儀式派についてはほとんど注目も研究もされることがなかったが、近年研究され始めているという。
著者の注目するロシアの「古儀式派」の潮流、系譜の指摘はとてもスリリングだが、実際に、共産党政権の要人や、現代において古儀式派の信仰や人的ネットワークがどの程度の影響を実際に持ち得ているのかは、私自身は判断がつかない。著者は『ロシアとソ連 歴史に消された者たち―古儀式派が変えた超大国の歴史』(河出書房新社、2013)という著作も出版しており、ぜひ読みたいと感じさせられた。
さらに著者は近年のクリミア併合、ウクライナ危機などの地政学的な分析にも踏み込んでいるが、門外漢でそれらのニュースをきちんと追えていない私にはさすがに紹介の力量を越えている。
しかし、ロシアの起源にさかのぼり、歴史、宗教的背景を踏まえた上でロシアが「第三のローマ」という世界観のもとに、宗教をソフトパワーとしながら外交政策を進めているという一連の議論は、非常に興味深かった。
全般を通して私自身知識がないため、書評というよりは要約と紹介にとどまってしまったが(笑)、冒頭に述べたように、本書がロシア革命100周年を迎える今年2017年のロシアと正教と国際外交をより理解するための、格好の「ロシア政治入門」であることは間違いない。ぜひ著者の今後の著作も丹念に追っていきたいと思わされた。
下斗米伸夫著『宗教・地政学から読むロシア「第三のローマ」をめざすプーチン』(2016年、日本経済新聞出版社)