私たちは自分の置かれた状況に不満を持ったり、悲運を嘆いたりすることがあります。しかし、ピリピ書にある使徒パウロの言葉は私たちを勇気づけてくれます。
「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ書4:12、13)
電機メーカー、シャープの創業者、早川徳次氏の生涯は、人の持つ可能性について大きな示唆を示しています。早川氏は1893(明治26)年に生まれますが、幼少期に母親と死別し、養子に出されます。養子先でも養母が亡くなり、継養母につらく当たられ、小学校2年生を退学し、丁稚奉公に預けられます。18歳の時に奉公を終えます。
彼の快進撃はこの後続き、日本のエジソンと呼ばれるようになります。21歳の時、ズボンのベルトに穴を開けなくてもよいバックルを発明し、これがヒットします。24歳の時、水道の蛇口を考案し、特許を取得します。また、27歳でシャープペンシルを発明し、財を成していきます。しかし、関東大震災で妻子を失うのです。
彼は35歳の時にラジオに取り組み、日本最初のラジオ放送に備えていきます。ラジオ全盛期に、まだ見たこともないテレビの研究を始め、50歳の時に日本の国産第1号のテレビを生み出していくのです。
早川氏はつらい丁稚奉公時代に金属加工技術に触れて、後の人生で大きな閃(ひらめ)きを生み出すことができるようになりました。ある新聞に書いてあったのですが、早川氏の築かれた電機メーカーが挫折してしまったのは、後に続く経営陣に創業マインドが欠けていたという意見もありました。
さて、話は変わりますが、1400年の歴史を持つ英国の大教会が、信徒数が減ったために、会堂の維持に四苦八苦し、赤字が膨れる一方であるというニュースを見ました。日本でも、限界地域の神社閉鎖とか、小さな寺院では宗教従事者が生活費が十分でなく、苦しんでいるということを聞きます。
人々の価値観に変化が起きて、宗教離れが起こっているのではないかと思います。伝統とか文化遺産を守るということも大切ですし、精神的な拠り所としての宗教施設ということも考えなければならないと思います。
今、世界では宗教の真価が問われているように思います。何のために宣教に立ち上がり、布教活動を続けてきたのか、もう一度原点に立ち、委ねられた使命の重要性を考える必要があります。
私たちが日々経験していること、つらいと思っていることが必ず生かされるのが私たちの人生です。しかも私たちと共に歩み、支えてくださる主なる神のことを覚えれば、どんな苦難も乗り切れると思います。
「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」(ヘブル12:11)
1998年から2008年ごろにかけては、チャペル結婚式のブームでした。何の宣伝もしなくても司式の依頼が相次ぎ、とても忙しい状態が続きました。しかし、だんだん司式の機会が減り、ブライダルミニストリーとしての出番も激減してきました。チャペル式が人前式に変わり、スタイルの変化が原因の1つといわれています。最近ではブライダル業界全体が低迷しているという指摘もあります。
結婚するカップルが、結婚式や披露宴を行わずに役所に入籍届を出すだけとか、両家の顔合わせの食事会だけというケースもあるようです。ブライダル業者会の会合で出ていた話ですが、結婚ブームの中で凝った演出が相次ぎ、費用の高騰も衰退の一因だったのではないかと思います。
結婚式だけではなく、キリスト教葬儀も宣教の機会になるのではないかと思い、立ち上げました。このような機会が与えられ、感謝しています。葬儀は家族友人との最期の別れの儀式です。きれいな花に包まれ、賛美歌で送り出し、聖書の言葉を聞く機会となるように勧めていけたら幸いです。
いろいろな方々にお力になっていただいて、この働きを進めていますが、自分の認識不足のために思うようにいかないことがあります。困難な中で、知恵と閃きで起業し、素晴らしい働きを残された早川氏に学ぶことができたらと思います。
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