この日、本紙のインタビューに応じたのは、数々の大臣を歴任し現在は地方創生を担う石破茂国務大臣。その重責の中、どのような思いで政治家として歩んでいるのか、話を聞いた。
政治家としての「信念」
政治家としての「信念」は何か。「そんな立派なものは、ないです。ただ、よくお話しすることですが、一般に受けのよくないことでも、国家にとってどうしても必要なことがある。それを説明し、納得していただき実現する。それしかないとは思っています」と石破氏。
「大学生の頃、父親(故・石破二朗氏)が参議院議員だったときに、田中美知太郎(哲学者)と清水幾太郎(社会学者、評論家)の本をもらったことがありました。父は決していろいろなことを教える人ではなかったが、この本だけは面白いから読んでおけと。その中には、政治家についてもいろいろと書かれていました」
最も影響を受けた言葉があるという。「議員になる前の1984(昭和59)年でした。渡辺美智雄先生(故人)のグループの研修会が箱根で開催され、自分で車を運転して参加したときのことです。渡辺先生は『おまえたちは何のために政治家を目指すのか。金か。先生と言われるためか。勲章か。女性にもてたいからか。そんな思いがある奴はとっとと辞めろ!』と言われました」
その時の「政治家に必要なことはただ一つ。勇気と真心をもって『真実』を語ることだ」という渡辺氏の言葉が、脳裏に焼き付いて離れなかったという。「強烈に覚えていますね。あまりに感激して、議員になるまでの2年間、その講演のテープを聞き続けました。議員になってからもう30年になりますが、今でも渡辺先生は難しいことをおっしゃったなあ、と思いますね」と振り返る。
「例えば消費税率引き上げの是非、TPPや集団的自衛権、原発再稼働。賛否両論の中、『真実』は自分で勉強をして見つけるしかありません。役所のレクだけでは、時に不十分だと思います。ですから、私はどんなテーマでも、役所のレクのみならず国会図書館にもオーダーをして、可能な限りの賛否両論を自分で読んでから、政策を組み立てるようにしています。『真実』を見つけることはえらく大変なことです」と、静かだが熱く語った。
自分が見つけた「真実」にどう向き合っていくのか。「集団的自衛権行使は認めるべきだし、消費税率も上げなければ社会保障費が安定しない、TPPも推進したほうが国益になります。『反対!反対!』と言えば、一般受けするのかもしれません。でも、政治家の仕事は『受けること』ではないでしょう」
深く息をつくと、静かに語り続けた。「見つけた『真実』は、実は受けないことが多く、それを語る勇気を持たなければいけない。さらに、『真実』を語るだけだと学者の仕事で、政治家はそれを実現するのが仕事ですから、『受けないことを国民に分かってもらう努力』が必要です。それが『真心』だと私は思います。どれも大変難しいことですが」
大臣の仕事で一番難しいこと
大臣の仕事で一番難しいことは何か。「それは『どうやったら分かってもらえるか』ということでしょうか。防衛大臣の時も農林水産大臣の時も今もそうですが、どれだけ大勢の方に分かりやすく語り、共感を得られるか、ということが大切だと思っています。ですから、国会答弁も分かりやすく話すようにしていますし、テレビ番組でも話し方を工夫するよう心掛けています」
「こう見えても、家庭教師は得意だったのですよ!『この子はなぜ分からないのか』が分からないと、うまく教えることはできません。高校、大学と家庭教師をした経験も踏まえて、分かりやすく伝え、共感と納得を得る努力を重ねています」
「一番大事なのは自分が勉強することであり、自分で納得すること」。自分が納得していないことをいくら話しても、相手には伝わらないのだと自身の経験から話した。
地方創生について
地方創生について聞いた。「地方創生は、一言でいえば国家の持続可能性を維持することです」。石破氏は資料を手に、日本が抱える少子高齢化問題から切り出した。
「この国は大変な人口減少期に入っています。データを見れば危機的な状況だと分かります」。資料によれば、84年後の2100年には、日本の人口は半分以下になる。200年後の日本は、人口が今の10分の1と書かれている。データは国の研究所が作成した統計表の一部による。
「人口急減期に入り、このままでは国家の持続可能性が失われます。地方での減少は顕著です」。石破氏が語るように、資料には都道府県ごとの出生率が紹介されており、自分の町が今どのような状態かも一目で分かる。
石破氏は、全国で考えるより、自分が住む町をまず調べることで実感を持てるのではないかと話す。しかし、人口問題は出生率だけではない。
ドイツのある保険会社の発表によると、世界で一番危険な都市は東京だという。何が危険なのか。石破氏は「東京が抱える自然災害の蓋然性の高さです」と説明した。
「東京にはいつ直下型大地震が来てもおかしくないし、富士山は明日にでも噴火するかもしれない。災害を受ければ首都は壊滅的な状況になってしまう。東京には人口が集中しており災害にも弱く、そのような意味で世界で一番危険なのです」と、自然災害の切迫性を強調した。
さらに、1955(昭和30)年ごろから15年の間に東京へ出てきた約500万人が、急速に後期高齢者となる現状も危惧する。このままだと、ゴーストタウン化が東京全体で起こる日も遠くないという。
石破氏は「若者でも地方移住を希望する数は少なくないし、50代男性へのアンケートでも、5割が地方移住を考えている。ところが、現状では地方での雇用は少なく、所得も低い。だから、人は東京へ出てきてしまうのです」と資料を見ながら話した。
昔は2本柱として、公共事業と企業誘致が地方を支えていたが、それも過去の話となっている。
「同じものを安く大勢で作るというモデルは、もう経済発展を遂げた今の日本には向きません。その代わり、農林水産業や観光など、今まで潜在力を十分に引き出せなかった産業がたくさんあります。ということは、伸びしろ、可能性があるということです」と石破氏。
「さらに、一昔前は生産性を上げるというと即失業を意味したが、今は労働生産性を上げても地方では慢性的な労働力不足なので失業はせず、むしろ収益を賃金アップにつなげていけます。そうなれば人が地方へ移り、結婚し、のびのびとした環境の中でお子さんも増える。同時に東京の過密性も解消でき、東京の急激な高齢化も抑えられる、それが地方創生の意義です」と語った。
クリスチャンとしての思い
自身の信仰についても語ってくれた。「私は生まれたときからのキリスト教徒です」
「4代目のクリスチャンで、初代は金森通倫というキリスト教界では有名な同志社大学の第2代目学長でした。新島襄から洗礼を授かった人です。母は3代目クリスチャン、姉も4代目クリスチャン。父は浄土真宗でキリスト教ではありませんでした。ですから、自ら信仰に目覚めたというわけではないのですが、逆に今まで『神様がおられない』というような恐ろしい考え方をしたことは一度もありません」
「人間のやることは常に誤りだらけ。きっと私にも多くの誤りがあるでしょう。それ故、常に祈るときは二つのこと、すなわち『ご用のために私をお用いください』『どうぞ誤りを正してください』と言うのを忘れないようにしています。これしかないのでしょう。そうではありませんか」
いつも心にとどめている聖書の箇所は、ルカによる福音書18章9節から14節の「ファリサイ派の人と徴税人」の例えだ。
ファリサイ派の人が週に2度断食し、全収入の10分の1をささげ、「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します」と心の中で祈った。
一方、徴税人は目を天に上げようともせず、胸を打ちながら「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と祈った。
「『言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人(徴税人)であって、あのファリサイ派の人ではない』というところが好きです」と石破氏。「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(14節)。この聖句を心に刻み、いつも自分を戒めていると証ししてくれた。
日本の平和とは
防衛問題についても聞いた。「平和とは、基本的には自分の国の努力があって、足らないものを同盟(米国)で補って保つものです。『同盟のジレンマ』という言葉があります。常に『同盟国たる米国の戦争に巻き込まれる』という恐怖があると同時に、『見捨てられる』という恐怖がある。ここをきちんとマネージメントしなくてはいけない。日本にはあまり『見捨てられる恐怖』がみられませんが、そこを忘れては同盟は維持できません。私は平和を願うが、世界は戦争の歴史です。これから先もそうなのでしょう」
「実は、力のバランス(旧米ソ冷戦時代)があると大きな戦争は起きません。これが崩れると各地で紛争が起きます。冷戦が終わり、いかに北東アジアでバランスを保つのか。米国の力が落ちている中で、日本がそれをどう補うのか。『巻き込まれる恐怖』について考えることも当然大事ですが、これからの日本には日米同盟の双務性を高めることが必要だと思います。政府はあらゆる事態を想定して、どのような作戦をどう展開するべきかを常に考えています。誰かが朝から晩まで取り組んでいないと、日本の平和は維持できません」
石破氏には非常に心痛むことがあるという。それは、日本のキリスト教界からの反応だ。「私が防衛庁長官だったときに、イラクへ自衛隊を派遣しました。その時も、昨年の安保法制の時も、キリスト者から猛烈な抗議が来ました。大変な抗議です。ですが、われわれは戦争が好きなわけではないし、平和を心から願っています。だからこそ、戦争を起こさないために、イラク派遣や安保法制が必要だと思っているのです」
「高校から東京に来た田中角栄内閣の1972年。もっと今より社会派反戦ムードが強い時代でした。その頃から、どうしたら日本は戦争にならないかということを常に考えていました。学生の頃からです。『この世に平和がありますように。神様、誤りがあれば正してください』と祈りながらです。ですから、正直に言うと、同じ信仰を持つキリスト者からの批判が本当に一番つらいです」と正直な思いを打ち明けてくれた。
高校生時代に聖書を読み込み、日曜学校の教師も担当したことがあるという石破氏。いつも聖書の言葉を心に刻みつつ、苦悩の中でも自分の見つけた「真実」と正面から向き合う謙虚さが、強く印象に残った。