1. 悪口を目に見えない対象に話し掛けていた
私が、クリスチャンになったばかりの大学生の時のことです。当時つきあっていた彼女に、「クリスチャンになったら、ピタッと悪口が止まったね」と言われました。
「えっ、本当?」と、その時、私は答えました。私自身、気が付かなかったのですが、言われてみれば、今まで彼女に言っていた悪口を、神様に話すようにしていました。
その当時、私はクリスチャンになろうと決めたものの、聖書の神様がどんな存在か、分かりませんでした。
そこで、とりあえず「神様。あの男、オワッテます」と、イヤな人の悪口を目に見えない対象(神)に向かって話し掛けていた記憶があります。
結果として、誰かの悪口を周りの人に言うのを防げていたようです。神様が、クッションになってくれたのです。
2. 言葉が、グサッ!
聖書の中には
「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす」(箴言12:18)
とあります。私たちは、言葉という剣で、相手の心をグサッ!と傷つけてしまいます。
言葉は、いったん相手の心に刺さってしまうと、そのとげはなかなか抜けません。それだけ、言葉の力は強いものです。
私も、「しまった!言っちゃったよ」と、よく失敗してしまいます。特に、イライラしているとき、余裕がなくなるときには、自分の発言に注意がいかなくなります。
いったん感情的な話を始めると、怒りの気持ちが次々と湧いてきてしまいます。ムッとして口に出した言葉が、心に逆流して、ますます心がムッとしてしまいます。
そして、言葉と心にハウリング現象が起こって、怒りがどんどん増幅して、自分でも止められない状態になってしまうのです。
さらに、相手が感情的な反応を返してきたりすると、売り言葉に買い言葉で、収拾がつかなくなります。
3. 口は災いのもと
言葉は刃物です。便利ですが、取り扱いを誤ると、言葉は凶器にもなり得ます。
「舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。・・・舌を制しうる人は、ひとりもいない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている」(ヤコブ3:6~8、口語訳)
言葉で失敗しない人は、自分自身をコントロールできる人ですが、コントロールできる人は一人もいない。それほど、自分の発言をコントロールすることは、難しい。
口は災いのもとです。一度口から出た言葉は、元に戻ってきません。
では、どのようにしたら、自分の言葉をコントロールできるのでしょうか。聖書には、「口と舌を慎む人は、悩みから自分を守る」とあります。
また、ダビデも、旧約聖書の詩篇で、このように書いています。
私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。私はひたすら沈黙を守った。よいことにさえ、黙っていた。(詩篇39:1、2)
ひたすら沈黙を守ることも、舌をコントロールするための知恵の一つだということです。
ただ、人の口は、心に満ちているものを話すものです。従って、何よりも自分の心を整えることが、言葉で誤りを犯さないための根本的な対策です。
どんなに沈黙して自分の悪意、憎しみ、差別意識を隠そうとしても、ふとした瞬間に、人前でポロッと表れてしまうものです。
政治・経済の世界でも芸能界でも、失言事件が後を絶ちません。そして、SNS時代、失言の問題は、公人だけの問題ではありません。
ちょっとした不用意な発言が、あっという間に拡散し、炎上します。どんな仕事に就いても、自分の口から出る言葉を守ること、自分の心を守ることは、不可欠です。
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関智征(せきともゆき)
ブランドニューライフ牧師。東京大学法学部卒業、聖学院大学博士後期課程修了、博士(学術)。専門は、キリスト教学、死生学。論文に『パウロの「信仰義認論」再考ー「パウロ研究の新しい視点」との対話をとおしてー』など多数。