これに対して岡田大司教は、「フランスの社会で、そうした弱い人、困っている人のことを徹底して助けるというのは、成熟した人間としてそうでなければいけない、ということでそうなのか、それともキリスト教からきているのでしょうか。自由、平等、博愛の精神を掲げたフランス革命を経て、現代のフランスで当たり前となっている基本的人権の尊重は、キリストの教えに基づいているのでしょうか。それとも横暴な貴族社会への反発からでしょうか」と問い掛けた。
さらに、「日本から世界情勢をみると、米国をはじめとする強い国が弱い国をコントロールしたり、いじめたりしているようにしか見えない。また現代の日本において、人権を大切にするという考えは根強いですが、それは少なくとも福音を意識したものではありません。人間が人間を大切にする教育が行き届きさえすれば、それでいいのでしょうか。教会に行かなくても、人間としてちゃんとしていればいいのでしょうか。確かに、お祈りをしている人だからといって、人を大切にする仕事をし、人を大切にする生活をしている人ばかりだとは言えません。ただ私は、神を信じるということは神の力が働くということだと考える。だから祈る」と、自問自答をするかのように一つ一つ言葉をかみしめながら話した。
竹下氏は岡田大司教の質問に、「フランス革命は、完全にキリスト教的なものです。人間は、律法や共同体に縛られるのでなく、神の前で何をするかが大事なのであって、病気や障害、家庭環境など生まれついてのどうしようもないことで差別してはいけない。どんな立場でもより弱い者に手を差し伸べるのが神の理にかなっているという考え。まさに兄弟愛です」と回答した。
さらに、「今のフランスで唯一、カトリック的なものを維持しているのは、フランスの憲法の最初に書いてある『全ての人間は・・・』という文言です。『フランス国民は・・・』とフランス国民を最初に座らせるのでなく、全ての人間に開かれている。それはまさに普遍=カトリックの精神です。日本の平和憲法と同じように、フランスで大切にされているのがこの憲法の普遍性。そのためにできないことも多いですが、それでも普遍主義は変わりません。それは彼らのよりどころであり、アイデンティティーであるからです」と、現代のフランスに生き続けるカトリック的価値観について持論を述べた。
それを受けて岡田大司教は、「私が一番興味深いのはカトリックの代表的な聖人でもあるジャンヌダルクです。フランスの田舎で神のお告げを受け、立ち上がった。一人の少女の存在が歴史の流れの中で大きな影響を与えるというのは、日本のような非キリスト教の国からしてみると非常に分かりにくい。フランスでは今もいろんな修道会があって、数多くの聖人が今でも社会に力を持っているというのもまた、日本人には分かりにくいところです」と素朴な疑問を呈示した。
これに対して竹下氏は、「ジャンヌダルクは非常に政治的な人。百年戦争のとき、英国人を追い出せ、という神の声を聞いたと言って出てきた。ただジャンヌダルクは一人も殺していません。旗は振ったけど、剣はふるっていない。だけど平和をもたらした。14、15世紀ごろの戦争は、国家と国家の戦いではなく、王族や貴族間の争い。そこに駆り出され、蹂躙(じゅうりん)されるのはいつでも弱い農民たち。そうした弱い者の側につき、戦争を終わらせなければいけない。そういう意味で断固として彼女は国を守った。フランス風の詭弁と思えるかもしれませんが、彼女は軍隊の守護神でもあります。キリスト教とは『ロジックも何もない宗教なのに私は信じる』という逆説に満ちた宗教。ジャンヌダルクはまさにそのシンボルなんです」と説明した。
今なお強い聖人信仰についても、「二重にも三重にもキリスト教的なものにつながっています。いつの時代も苦しむ人は神の助けを求める。そこに聖人をもってくる。効かなくてもかまわないんです。成果主義ではなく、ただそこに必ず希望を与えるのがカトリック。聖人信仰をなくしてしまえば、霊性的なものを求める民衆は行き場がなくなってしまいます」と続けた。(続く)