山谷は霊的戦いの実践道場
ある朝、左手にナイフをちらつかせた男が入ってきました。ひとつ間違えばブスッと刺されるでしょう。しかし何度も言うようですが、私たちの武器は「愛」以外に何もありません。まずは、ほとばしるようなやさしさでもって迎えてあげることにしました。
「まぁ、よくいらっしゃいました。おいしいお茶もお菓子もありますよ。ささ、どうぞ。お上りください」
「何寝ぼけたこと言ってやがるんだ。てめえ。俺を誰だと思ってやがる。俺をバカにしたら承知しねえぞ」
このように、悪魔が一番好きなのは、高ぶりです。
「あなたは、たかが酔っ払いじゃないですか」と言ってしまったら対話できません。そこのところは、神様が知恵をくださり、必要な時に必要な言葉をくださります。
「まぁ、兄弟。それ何ですか。珍しいものをお持ちになって……」と、彼のナイフをほめてあげると、一瞬毒気を抜かれてしまったふうでした。それでも強がって、目玉をギロギロさせて詰め寄りながら強迫にかかりました。
「何をー、この野郎。ふざけやがって。俺はなあ、あぶれてるんだい」
「あぶれて、ですか。何ですかそれ」
“あぶれる”とは、失業しているという意味の、山谷独特の隠語であるのを後で知りました。
「今晩、集会がありますよ。早めにおいでください。ごちそう、用意しておきますから」
そう言ったとたん、彼の目の色がサッと変わりました。殺気のみなぎる、悪霊の目になったのです。真っ暗闇に車のライトの前を横切った猫の、ギラーッと光る目とそっくりでした。それでこの男が、完全に悪霊に支配されているのがわかりました。
これは肉眼でなく、霊の目でなければ見分けられません。「霊を見分ける目をください」と祈り求めるなら、神様はご自身の栄光を表すために惜しみなくくださいます。ひとり子イエス様さえ、惜しまずにくださったのですから。
私は、山谷の人々の顔つきを一瞥しただけで、どんな悪霊に憑かれているのか判別する賜物が身についてしまいました。たとえば、麻薬中毒、アルコール依存症、窃盗、殺人等の悪霊です。その意味でも、山谷は霊的な戦いの実践神学の道場と言えます。
私は、この悪霊に憑かれた男に対し、忍耐するだけ忍耐したあと、これは一筋縄ではいかない、先が思いやられる、と思いました。そこで対応の仕方を変え、入り口に置いてあった「禁酒禁煙」と書いてある立て看板を逆手に持ち、怒鳴りつけました。
「こらーっ、ここをどこだと心得ておる!キリストの聖なる御霊の住まわれる教会だ。このサタン!ナザレ人イエス・キリストの名によって出ていけぇー」
彼は、びっくり仰天して一目散に逃げ出しました。その晩の集会は押すな押すなの盛況で、百人以上の人々が出席しました。皆、最後にはひざまづいて、わぁわぁ泣きながら救いを求めて祈り出しました。
ふと見ますと、列の真ん中あたりに、今朝ナイフを持って暴れ込んできた男が座っているではありませんか。そばに行きますと、さすがに恥ずかしいのか顔半分を手でおおって、指と指の隙間から私を見ながらこう言いました。
「先生。今朝、俺、悪かったよ。俺もイエス様信じたいから、お願いします」
彼はJという名前で、前科18犯でした。鼻骨が生まれつき潰れていて、呼吸が十分出来ない体でした。もの心つく頃から、蓄膿症と脳神経の持病があり、頭痛に悩まされていたといいます。蓄膿の手術を何回やっても完治せず、その痛みを忘れようとして、13歳頃から酒をおぼえたそうです。でも、おいしいと思ったことはないといいます。アルコール依存症の人に聞いてみても同様で、酒を飲むのは、まず孤独や苦痛を忘れたいためという人が多いです。
彼は、飲みはじめた13歳の時、小さな窃盗を犯し、それがエスカレートしていき、ついに強盗、殺人に至ったのでした。そんな彼が毎晩集会に出るようになりました。神様は、この人を荒れ狂った罪の生活から悔い改めへと導いてくださり、少しずつ変えていってくださいました。
「先生には神様がついているからなぁ」
これまで山谷で出会った人々の8割が、すでに亡くなりました。私が把握しているだけでも、毎年100人以上の人々が亡くなっています。病気が悪化するにまかせ、ある日ポックリと死んでいくケースが多いです。何日か姿が見えないと思っていたら、誰にも知られずに亡くなっていたという話は、枚挙にいとまがありません。
彼らが一番恐れるのは、自分が生きてきたことすら、誰からも忘れられてしまうことなのです。それで教会に来た時など、必要以上に自分を誇示し、ことさら乱暴に振る舞ったりします。それは、ひたすら自分に関心を持ってもらいたいからなのです。それが高じて、一種の誇大妄想に陥る人もいます。
「私は、大日本帝国天皇陛下の侍従長の家柄で、…」といったたぐいの、時代錯誤もはなはだしい演説をぶったりします。自分を偉く見せたくてしかたなくなるので、そこにサタンのもたらす傲慢の霊もつけ込みます。
ある日、集会の終わり頃になって、大きな体つきの男がやってきました。皆から恐れられている、やくざの頭目でした。メッセージをしている私を尻目に、「おうっ、みんな元気かぁ」と睥睨するような口調で言います。自分に注目してもらいたくて、わざと集会の途中でやってくる部類の人間です。
彼は、一生懸命メッセージを聞いている人々の中に割り込んできて、何やら勝ってにわめいて邪魔をし始めましたので、忠告しました。
「こらっ、静かにしなさいっ」
「おっ、先生。悪かったねぇ」と言いながらも騒ぎ続けています。彼の周りに座っていた人たちは、身の危険を予感するのか、そっと立ち上がって逃げていきます。こういう事態になった時には、イエス様の弟子たちがやった通りに宣言することにしています。
「キリストの御名によって命ずる。サタン!この男から出ていけ!」
しかし、彼はそれでもなおいばりくさった態度で、これみよがしにのそのそと私の目の前に来ました。こういう傲慢さこそ、サタンの正体です。それで私はこの男をまっすぐ見据えて命じました。
「お黙りなさい。もう一回しゃべったら、ただではおかないよ!」
「ん、ただではおかない?どうするんだ、おぅ」
そう言って、私の前に酒臭いひげ面を突き出すので、そのほおに思い切りバシッ、バシッと五回くらい往復ビンタを食らわせてから、怒鳴りつけました。
「飲むなら、来るな!」
横からすぐさま会衆が「来るなら、飲むな!」と合いの手を入れました。そして一同総立ちになって椅子から離れ、早くも逃げる態勢を取っています。皆、これはただごとでは済まされない、絶対、大事件になると思ったようです。ところがこの男は、私にほおを叩かれたものですからびっくりしたのでしょう。ほおを押さえて血走った目をむいて言いました。
「おー痛ぇ。先生、叩くとなると本気で叩くんだね」
「あったり前だ。もの好きや冗談で伝道やってると思ったら大間違いだ。イエス様は命を賭けて救いの道を開いてくださったんだ。あんたも教会に来るんだったら、命を賭けて救いを求めて出直して来なさい」
皆は「アーメン」と言い、彼はもう何も言えず、こそこそと逃げ出しました。そこで初めて一同われに帰り、はぁーっと大きなため息をついて元の席に戻りました。
「いやー、よく無事で終わったなあ。あいつ、よく黙って帰ったね。森本先生、殺されると思ったよ。あれはね、人を殺すの平気だよ。『殺してもムショ(刑務所)に三年行ってくりゃいいんだ。ムショの臭い飯ぐらい何でもない。山谷で青カンするよりましだ』って言ってるぐらいなんだから。これまで、もう何人も殺してきて、八回ぐらい特赦、特赦で刑期が終わる前に出所してきたんです。森本先生。先生にはやっぱり神様がついてるからなぁ」
たしかに、これは私の力ではありません。私の背後に立っておられる万軍の主のみわざなのです。この男は、その晩の礼拝に飲まずにやって来て、改まった口調で言いました。
「俺、先生になんで叩かれたのかわからなかったけど、小さい頃おふくろから叩かれたのを思い出しちゃったんですよ。俺も40歳すぎたからね。こんな堕落した生活から足を洗いたい。俺も、イエス様信じますから、よろしくお願いします」
彼は、自分が受けたのは愛の鞭だったとわかってくれたのでした。
「今度飲んで来てごらん。ほっぺただけじゃすまないよ。ほうき持ってお尻ぶっ叩くから」
彼はそれ以来、お酒を飲まずに来るようになり、間もなく洗礼を受けました。こんな具合で、山谷に入って初めの三年間は、年がら年中、酔った労働者、やくざ等が襲撃してきました。そのような形で、サタンはこの教会を潰し、私を倒しにかかり、その闘いに私は息も絶え絶えでありました。
絶えず茨の道を歩んできたパウロは、こう言い切ります。
「四方から艱難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰らない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない」(Ⅱコリント4・8-9)
それは、試練や苦難の中でこそ、キリストは生きて共に働いてくださり、その測り知れない神の力によって、勝利から勝利へと前進していったからです。
「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。……わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる」(イザヤ41・10)
これなのです。主はこの聖句によって、私をしっかりと立たせてくださり、悪霊を追い出す権威と力をくださいました。恐れと不安はサタンが持ってくるものです。しかし、主は十字架の上で死とサタンを滅ぼして復活されました。サタンがどんなに攻撃しようとも、死の力に打ち勝たれたキリストによって、勝利は初めから私たちのものと決まっています。ですから、恐るるに足らずです。ただ闘いがなければ勝敗がわからないから、闘いを体験するのです。
私たちの信仰は、苦難や迫害と比例するものだとつくづく思います。ですから苦難に陥ったら、喜ぼうではありませんか。それは神様がサタンに許可されたことで、私たちの信仰を強め、愛と忍耐を培うために、神様の与えた訓練材料なのですから。迫害や困難が増すほど、イエス様の復活の命、聖霊の与える愛と信仰が、ますます湧いてきます。これが、私の伝道の原動力となりました。そして十字架を負えば負うほど、心魂は強められ、苦しみが大きいほど神の栄光も大きく現れます。
この復活の命を、時々刻々と注がれている者だけが、困難にめげずイエス様のように捨て身の愛をもって伝道できるのを知りました。こうして主は、荒野のような山谷において伝道に勝利させてくださり、今日まで前進を続けることができました(続きはこちら)。
================================================
(本文は森本春子牧師の許可を得、「愛の絶叫(一粒社)」から転載しています。)
森本春子(もりもと・はるこ)牧師の年譜
1929年 熊本県に生まれる。
1934年 福岡で再婚していた前父の養女となる。この頃、初めて教会学校に通い出す。
1944年 福岡高等簿記専門学校卒業。義母の故郷・釜山(韓国)に疎開。
1947年 1人暮らしを始め、行商生活に。
1947年 王継曽と結婚。ソウルに住み、三男二女の母となる。
1953年 朝鮮戦争終息後、孤児たちに炊出しを続け、17人を育てる。
1968年 ソウルに夫を残し、五児を連れて日本に帰る。
1969年 脳卒中で倒れた夫を日本に連れ帰る。夫を介護しながら日本聖書神学校入学。
1972年 同校卒業、善隣キリスト教会伝道師となる。山谷(東京都台東区)で、独立自給伝道を開始する。
1974年 夫の王継曽召天。
1977年 徳野次夫と再婚。広島平和教会と付属神学校と、山谷の教会を兼牧指導。
1978年 山谷に、聖川基督福音教会を献堂。
1979年 この頃から、カナダ、アメリカ、ドイツ、韓国、台湾、中国、ノルウェーなどに宣教。
1980年 北千住(東京都足立区)に、聖愛基督福音教会を献堂。
1992年 NHK総合テレビで山谷伝道を放映。「ロサンゼルス・タイムズ」「ノルウェー・タイムズ」等で報道され、欧米ほか150カ国でテレビ放映。
1994年 「シチズン・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。
1998年 「よみがえりの祈祷館」献堂。