5日、聖書考古学資料館(東京都千代田区お茶の水クリスチャンセンター内)は、第18回聖書考古学セミナー第三回目として「預言者アモスと死者儀礼」と題したセミナーを開催した。 聖書考古学資料館(TMBA)館長津村俊夫氏は、第三回目セミナーにおいて旧約聖書の預言者アモスが生きた時代までに異教の地で強く広まっていた「死者儀礼」の様子について解説し、現代日本社会に住む私たちに、当時の死者儀礼と預言者の警告がどのような意味・重要性を持っているかを説明した。 第二回目セミナーの際に説明された「豊穣儀礼」が人間の生と死に関して「生」の部分における御利益に預かることを目的としているのに対し、「死者儀礼」は「死」の部分に関して慰霊と加護を目的として古代宗教の中で広く行われてきた点について解説がなされた。 紀元前8世紀の北イスラエルで活躍した預言者アモスは、預言者としての活動を行うように呼び出される命を受けた時は牧者であり、故郷ユダを離れ、北イスラエルの国家的聖所であるベテルで、当時の異邦の宗教やイスラエルの民の社会的堕落について非難する預言を伝えていた。そのためベテルの祭司アマツヤは、アモスの預言活動を禁じ、追放までも試みた。それでもアモスはイスラエルでの預言活動を続け、表面的繁栄の中の宗教的堕落を非難するだけでなく、主なる神の救いと回復についての預言も伝えた。 アモスの預言では、神の民イスラエルの「そむきの罪(アモス2・6~8)」、経済的豊かさの中での宗教的堕落と、主を求めて生きることへの呼びかけ(アモス5・4~6)がなされている。 津村氏は旧約聖書の時代において、「表面的にはヤハウェを求めていても、実質的にはバアル宗教となっていった」ことを指摘した。出エジプト記32章では、アロンが金の子牛を造り、イスラエルの民に「これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」と言ったことが記されている。この箇所において津村氏は「アロンは子牛の形を取ったヤハウェ礼拝という意識で行っていた」と指摘した。また前10世紀後半のヤロブアムの時代、金の子牛を二つ造った際も(Ⅰ列王記12・28)、ヤロブアムは金の子牛が「ヤハウェの代わりになる」と思って造っており、このように子牛など見える形に見えない神を置き換えてしまうことによって、色々な場所に「見える神」として「ヤハウェ」が存在しなければならなくなり、唯一神のヤハウェが地方神化していき、偶像崇拝がはびこるようになっていったことを指摘した。 津村氏は次に考古学的視点で、古代都市ウガリトの遺跡から出土された死者儀礼に関する文書から、紀元前1200年のカナンの地で死者儀礼がなされており、先祖崇拝がイスラエルの民に非常に大きな影響を与えてきたことが伺えることを指摘した。 ウガリトから出土された文書では、祖霊が崇拝されており、死後の神格化がなされていたことが伺えるという。特に王家の埋葬儀礼では、太陽神の果たした役割について記述されており、太陽が沈む際に死者の霊を冥界に送ることが信じられていたことが記されているという。先祖崇拝を行うに伴い、一家の長男には「ご先祖」のために墓石を立てたり、死んだ人と生きた人の接点となるべくバアルの家、神殿で神と共に食したり、聖所に一族のために「太陽円盤」を立てたり、地から香をのぼらせ、鎮魂歌を唱えたりするような役割が課されていたという。 先祖崇拝では、「マルゼアハ」という広く東地中海世界で紀元前2000年期から行われていた死者の霊と交わるための「神」との共食・飲酒が行われていたという。津村氏はアモス書6章6~7節およびエレミヤ書16章5~8節において飲酒や宴会をしている様子や、服喪中の家に入り、悼みに行くのを禁じ、「彼らのために嘆いてはならない」、「宴会の家に行き一緒にすわって食べたり飲んだりしてはならない」と警告されていることも、ただの「宴会」や「葬式」ではなく「マルゼアハ」という飲酒を通して死霊との交わりを行おうとする行為を忌み嫌う警告として与えられたものであると指摘した。つまりこれらの預言書では預言者を通して「マルゼアハ」という制度そのものが、糾弾されていたことになる。 津村氏は「聖書が『死霊』について言及している場合は、否定的な脈略においてです。イスラエルの人々は死者を丁重に葬りはしましたが、『死霊』を礼拝することはしませんでした。聖書の中に『死後の世界』や『死霊』の存在への言及が少ないのは、契約の民がそれらに対して関心がなかったからではなく、カナンやエジプトなど周辺の異教世界で余りにも関心が高かったため、意図的に聖書での記述が制限されたのです」と説明した。 アモス書5章では「主を求めて生きよ。善を求めよ。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、あなたがたとともにおられよう」と書かれてある。津村氏は異教の死者儀礼に見られるように死後の世界に過度に関わりすぎず、「主を求めて生きる」ということが大事であるとし、「生きよ」との御言葉は、単に「死なないで」ということではなく「わたしを求めよ」と言われる方がおられ、この神を求めることが「生きること」であり、「いのちの主にあって生かされて生きること」を意味していることを指摘した。 死者儀礼では、全ての人間に生じる「死」の問題をどう克服するか?ということが永遠の課題であるが、キリスト教ではこの問題がなく、人を生かし、よみに下し、また上げる(Ⅰサムエル記2・6)方が主であり、見える現実がたとえヨブのように絶望的であったとしても、確信を与えるお方が主であること、そして新約の時代においては、「今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました(Ⅰコリント15・20)」と書かれてあるように復活の信仰がキリスト者に与えられており、津村氏は「この復活の信仰こそが私たちの希望である」と強調した。 全三回にわたって開催された「預言者ホセア、アモスのメッセージとカナンの宗教」のセミナーを終えて、津村氏は「カナンのことを知れば知るほど日本とカナンは似ていることに気づくと思います。神の啓示から離れると、人の体験に基づいて偶像崇拝するようになってしまいます。日本と当時のカナンの状況が良く似ているということがわかると、今の私たちも同じような(霊的な)戦いがあることを知ることができます。いつも聖書を学び続けていかなければ、古い価値観や自分の考えで判断してしまう危険性が常にあることを知り、キリスト者が聖書自体に立ち返り、聖書をしっかり学んで行くことが重要です」と述べた。