18日、東京女子大学学長眞田雅子氏の講演会が学士会館(東京都千代田区)で開催された。同講演会は武士道講読会によって主催された。武士道講読会は、北海道大学同窓生有志が集い、新渡戸稲造の人格を学ぶために2001年2月にスタートし、現在まで118回の「武士道講読会」が開催されている。
眞田氏は「この国の若い女性達に―新渡戸先生より受け継いだものー」と題して講演を行った。講演の中で「東京女子大学に込められた新渡戸魂」に触れ、「新渡戸先生が私どもに示してくださったことは、時代を経て現代の社会にも、新しいものを示してくださっています」と述べ、新渡戸稲造が東京女子大学学長就任時に触れた教育に関する言及が今の教育にも当てはまることを指摘した。
眞田氏は東京女子大学初代学長としての新渡戸稲造と、同大学学監となった安井てつの交流について、新渡戸稲造のクエーカー教徒として教室を出る前に数分間黙とうする習慣を見て、安井てつが「教育とは実に祈りをもってなされるべきで、神聖なる仕事であると深く悟った。キリスト教は愛国の精神と相容れぬものであると固く信じていたが、教育を通して祖国に奉仕しようと一大決心したとき、有用なる教育をするには、宗教を基盤とせねばならぬと悟った。教育者は崇高なる人格の持ち主でなければならず、広い愛の持ち主でもなければならない。正義と愛を基調とするクリスチャンの生活は決して愛国の精神と矛盾するものではないことを明らかに悟った」と感じたことについて言及した。
東京女子大学初代学長として、新渡戸稲造は学生たちに「みなさん、勉強するだけでなく、卒業するまでに『キリストの心』になれ。キリストの心とは私を無くして人のためにサービス・アンド・サクリファイスすること、まず人の事を考えることである」と教えていた。眞田氏は東京女子大学に込められた「新渡戸魂」を受け継いで、現代の東京女子大学でも「キリストの心」を持つ学生を育てていきたい旨を伝え、「どこかの教会に行ってクリスチャンになって、ただクリスチャンになったというだけで『キリストの心』とは何であるかということに無頓着になってしまっては逆効果になるかもしれません。本当に『キリストの心』になるというそういう人を育てることがこの大学の目的です。新渡戸先生は東京女子大学創立当時、『この学校はご承知の通り、我が国におけるひとつの新しい試みであります』とおっしゃられました。随分前のことであるにもかかわらず、『これは今でも新しい試み、決して古いことではない』と思いました。新渡戸先生は当時、『従来我が国の教育は、とかく形式に流れやすく、知識の詰め込みに力を注ぎ、人間として、一個人の女性としての教育を軽んじ、個性の発達を重んぜず、婦人を社会しかも狭苦しき社会の一小器官と見なす傾向があるのに対して、本校においてはキリスト教の精神に基づいて個性を重んじ、世のいわゆるいと小さき者をも神の子と見なして、学問よりも人格を尊び、人材よりは人物の養成を主としたのであります』とおっしゃられました。『人材よりは人物』というのは、今どきはやらないかもしれません。人物というのは特別に優れた人を指す、人物の養成はそう簡単にできるはずもない、大げさなことを言い過ぎているのではないかという方もいらっゃいます。『人材よりは人物』に関しては物議を醸すこともあり、優れた人材を育てていくことは大事なことであり、これがだめだと言っているわけではありませんが、本当に人物としてその人に与えられている人格が育成されていくようにすることが大学の本当の目的だと思っています」と述べた。
新渡戸稲造の教育姿勢について「普通の人間のレベル、目線で話して下さったお方です。『上から目線』で何かをするのではなく、『同じ高さ』で人と人として交わってくださったお方でした」と述べ、「私心を無くし、物質的利益を超越し、名誉・地位を乗り越えることができれば、本当の勝利者となり、自分に勝つことができます。そのような精神的に深いものを獲得されていかれたのが新渡戸先生だと思います」と述べた。
眞田氏は、これからの高度教育を受けた女性が果たすべき役割として、「男性が作った世の中が世界中で音を立てて崩れようとしています。今こそ女性の出番であり、現代日本女性の役割とは、命を育む立場として、すべての人間に『人格』が備わっていることを認め、特に弱い立場にある方々に、私たちと同じ人格が備わっており、それを尊び共に活かされ、助け合う社会の作り手となることであり、このことが現代の女性のみならずすべての人間、高等教育を受ける機会に恵まれた人たちに求められていると思います。地球全体の中で見れば、女性で高等教育を受けられている人は、やはり今の時代にあっても少ないです。そういう少ない中にあって、世界全体を見たときに、コミュニティの中でリーダーとなるべき者としての高等教育を受けた人間であることを考えて、世界の中で弱い立場にある人たちの人格を尊敬する者として、ふさわしい社会を導いていける教育、真実を求めて弱い立場にある方々を尊重していける社会作りをして行くのが私たちの仕事だと思っています」と述べた。
また新渡戸稲造の時代にあって、「『世のいと小さき者』という言い方、『社会の中で人から虐げられる』ようなそういう立場に置かれている人たちこそが、イエスがほとんどの生涯を共に過ごされた方たちです。思い返してみますと、あの時代は、女性がまさにそういう存在であったということがあります。新渡戸先生は『いと小さき者』をも神の子と見なしていくということ、これがまさに人格を持つ相手として見なしていくという事に通じていくことを教えられました。女性がそのような存在であった時に、その女性に対して素晴らしい可能性を持った一人の人格として、教育をして行く場として東京女子大学を作って下さいました。今は世界全体が本当に傷ついています。食べる物もなくて亡くなっていく子供たちがたくさんいます。(そのような中にあって)苦しんでいる人たちと共に生き、尊敬し合う社会、そういう弱い人たちと私たちが同じ人格を持っている者として、相手の人格を大切にし、共に生き、皆で工夫をしながら共に助け合って生きる社会を作っていくことが必要なのではないでしょうか」と述べた。
今回の講演会は、北海道大学東京同窓会、東京女子大学同窓会および札幌農学振興会東京支部の後援(協賛:エルム27会東京)で開催された。 北海道大学と東京女子大学のつながりは深く、1967年、北海道大学理学部数学幾何学講座において、旧帝国大学で初の女性教授となった桂田芳枝氏は、東京女子大学を卒業している。また東京女子大学初代学長に就任した新渡戸稲造と、北海道大学初代総長に就任した佐藤昌介は共に盛岡出身で、昌介が札幌農学校(北海道大学の前身)一期生、続いて稲造が同二期生として入学、「イエスを信ずる者の誓約」に署名し受洗、キリスト者となっている。昌介と稲造は共に「キリスト教を基盤とした人格教育」において一致した価値観を共有していた。
新渡戸稲造は「人格論」の中で「人は三位一体の愛の神と交わりを回復してはじめて『人格』が形成されるという考えがキリスト教の考え方です」と述べており、「人格」について「神学論争」の中から引き出すのではなく、創造主との直接的な愛に満ちた関係の中に人格形成の源泉を見出しており、「教育の目的はあくまでも人格形成にあり」との結論を導き出している。佐藤昌介と新渡戸稲造という札幌農学校のクラーク博士の教えで薫陶を受けた二人の教育者は、この点に関する教育観で全く一致しており、共に日本の教育のために支え合いつつ生涯を全うしたといわれている。
東京女子大学開校式式辞において、新渡戸稲造は女子教育の目的について「婦人が偉くなると国が衰えるなどというのは意気地のない男の言うことで、男女を織物に例えれば男子は経糸、女子は緯糸である。経糸が弱くても緯糸が弱くても織物は完全とは言われませぬ」と述べている。また「キリスト教主義大学」の在り方については、「入学する者を悉く基督教信者にするとか、教会に入ることを強制するとかの考えはないけれども、心もちだけは基督の心もちにしたい。己を犠牲にしても国のため、社会のため、人道のために貢献する精神を奨励したい。この精神をもって知識を身につける。知識を得るにもただただ好奇心を養うとか単に学者になるということでなく、高等なる知識を利用して、世の為国の為尽くすごとき人を養成したいのである」と述べている。
武士道講読会世話役の斎藤昇三氏は、新渡戸稲造が日本の女子教育にとりわけ力を入れた理由について、「新渡戸先生は大きな慈愛とその実践をされました。女子教育に至っては、(博学で女子教育者・平和主義者として米国で社会運動に関わっていた)メリー夫人との出会いを通じて、カルチャーショックを受け、『日本の女性の教育を何とかせねば』と思われたのではないでしょうか。また新渡戸先生は10歳で親元を離れ上京して勉強され、ホームシックであったかもしれません。そのような中、母からの手紙を読みながら勉学に励み、札幌農学校を卒業し、札幌から盛岡へ帰郷する数時間前に母親が亡くなられました。母の死とメリー夫人との出会いを通じて、日本での聡明で自立した女性への思いが強くなっていったのではないかと個人的に感じます。この二人の女性が新渡戸先生の人格形成にとても大きな影響を与えたのではないでしょうか」と述べた。