私の主な任務は、EMプロジェクトにおいてのボランティア活動の過程をカメラに捉える事であった。クラッシュジャパンの一員になってまだ一週間が経っていなかったが、私はずっと現地に行ける事を願っていた。現地での実際の撮影、そして人生初の東北と言う事もあ り、支援活動とは分かっていても、やはり何処か浮かれている自分がいた。
一関ベースは、3月11日の悲劇をまるで感じ させない位、ましてやその恐怖を忘れさせてくれる位、平穏な所であった。時がゆっくりと静かに流れ、不思議な気持ちにも かられた。まさか、その翌日、その真逆の光景を見る事になるとは、この時はまだ想像もつかなかった。一関ベースには、ア メリカのカリフォルニア州サンディエゴからホライズンチームも滞在していた。彼らの心は、被災地への奉仕に向けられていた。「被災地の方々の為にやっと何かが出来る。」そう口々に語るメンバーの方々には、 深く感銘した。
翌日、私たちは宮城県気仙沼市にてEMの放射活動を始めた。説明を一つでも聞き逃すまいと、必死に耳を傾けるボランティアの方々の姿。その背景に広がる、3月11日 の悲劇。どちらも「生命(一生懸命)」を感じさせる光景であった。いざ説明も終わり、各グループが各々に担当地域へと向 かった。一歩一歩進んでいく内に、この悲劇の現状が少しずつ顔を見せ始めた。5ヶ月が経った今でさえ、被災地の現状は未 だ絶望的に見える。瓦礫が散乱し、家庭用品、そして家族の思い出の品等が道路に悲しげに横たわる中、細々と八百屋をして いるお宅があった。その八百屋を遠くから、まるでひっそりと見守るかのように眺める椅子…。ある男性が私の方へ一枚 の紙を持って歩み寄って来た。彼は、震災前の当時のこの地の写真をわざわざ印刷し私に見せた。「この地は震災後陥没し、 夜になると満潮のせいで今あなた達が作業している所、全てが水に浸かってしまう。こんな所で作業をしても無意味だから、 もっと救済が必要な地域に行ったらどうかね」-冷たい言葉だった。「私たちはこの地の為に支援活動をしているのだから、 周囲から当然感謝されるであろう」そう思い込んでいた私には、予想外の言葉だった。何とかして彼にこのプロジェクトの意 図、そして効果を説明しようとした。今している事は決して無駄ではないと、自分の分かる限りの知識で説明しようと試みた。このプロジェクトの担当者、足利さんから直に説明をしても差し支えないとも言ってみた。しかし、彼は頑なだった。 「君たちはこの地が夜、どうなるか実際見ていないから分からないんだよ」鼻から私を相手にしようとはしなかった。私は 苛立つ心を抑えていた。神様に私の口に知恵を与えて下さるようにさえ祈った。「何故、この人はこんな事を…」その 時、ふと我に返った。まるで、支援をしている自分達が英雄であるかのような、何処か自分達が被災者の人たちに勝っているような変な錯覚にかられている自分を見たからだ。そんな自分を叩き起こす為に神様が彼を送ってくださったのだと私は感じた。もし私が彼の立場であったら、「この苦しみを経験していないお前達に何が分かる…」きっとそう感じたであろう。
翌日、私たちは船のエンジンを修理していた整 備士の老夫妻に出会った。建物の1階が工場で2階が自宅になっていた。津波の影響で機械は全て被害を受け、ヘドロの臭い で室内は立ち込めていた。毎日が機械を掃除する作業で追われている。政府は数年はここでの事業をまた運営しても良いと許可を出した。しかし、数年後にはこの陥没した地を再復興させる為、地盤を持ち上げる作業をする為、そこから立ち退くよう にと言われたそうだ。何と無謀な要求だと心を痛めた。それでも、必死に機械の部品を少しずつ磨いている夫妻の姿に私達は 逆に勇気と希望を貰った。お祈りを一緒にさせて欲しいと私達はお願いした。最初は、少し戸惑った素振りを見せた。しか し、お祈りの意図を理解し、そして私達を傷つけたくなかったのだろう、一緒に祈る事を了承してくれた。この仏教の文化に 生まれ育った昔の人には、とても勇気と理解の要る行動である事を私はよく承知していた。だからこそ、皆で共に手を取り合 い一つの輪になって神様を感謝出来る事が嬉しくて仕方が無かった。ホライズンチームのマット・ソウアーさんがこう言った。「しばらくは辛い事が多く待ち受けているでしょうが、神様に祈りつつ、信じて歩んで行って下さい。必ず、神様は全てをあなた に良いようにして下さいますから。」それを聞いた旦那さんはこう言った。「人生は辛い事ばかりではないですよ。明るい事 もたくさんあります。でも、良い事がある時は神様に感謝したいと思います。」私は喜びを隠しきれなかった。それを聞いた マットさん、他のメンバーの方々も満面の笑みを見せた。
私達が目にする一つ一つの光景に、私たちには 到底想像のつかない、悲しくも美しい物語が潜んでいる。この経験を通しての、この言葉では言い表せない不思議な感情、そ して現状を写真上で何とか現そうと私は必死にシャッターを押し続けた。何とかしてでも、この現状を一人でも多くの人に最 もありのままに近い形で伝えたかったからだ。正直、それが不可能な事は分かっていた。この苦しみ、悲しみを紙の上で簡単 に再現しようとする自分も嫌に思えてきた。そんな簡単なものではない。でも、私には他に方法が無かった。自分の写真が 人々の心に何らかの影響を及ぼし、「被災地の方々の為に少しでも良いから何かを…」と行動を起こさせる架け橋になれ ば良いと願う。相手を思う事はとても大事である。ただ、行動に移さなければ何にもならない。もし、今、あなたの心で何か が渦めき始めているのなら、是非、クラッシュジャパンに問い合わせて欲しい。教会に相談をしても良い。どんな形でも良い。あなたに出来る、最も素晴らしい支援を是非、被災地の方々へ。私達は皆、一 つの輪で繋がっているのだから。
(このコラムは、クラッシュジャパンの許可を得、クラッシュジャパンHPから転載しています)