ジョン・ストットミニストリーズプレジデントのベンジャミン・ホマン氏は「ジョン・ストット博士が人々の間で名を覚えておいてほしいと思っておられるかどうかはわかりません」とストット博士の謙遜なイエス・キリストの栄光のみを表そうとして生きた生涯について語った。
ストット博士を知る周囲の人々は口をそろえて同氏の人格を「謙遜な人物であった」と称賛している。ホマン氏は「ジョン・ストット博士と交流した人々はいつも彼を謙遜な人であり、イエス・キリストと人々との関係性を自身を通してとりなそうとして来られた方であると評価してきました。ジョン・ストットミニストリーズは決して彼の行いや教えを広めようとして開始されたものではありませんでした。教会の焦点を世界中のイエス・キリストの働きに向けるものとして活動が展開され、どのように教会が成長し、また世界中の教会で深く成熟した発展をしていくのに何が必要なのかを模索してきました。私はジョン・ストット博士はひとりのグローバルなクリスチャンとして名を遺す人物であると思っています」と述べた。
英聖公会聖職者としてジョン・ストット氏は生涯をロンドン都心部で過ごした。ストット博士の著書やミニストリーの働きは世界中数百万人もの人々に影響を与えてきた。
著書は50冊以上にも及び、キリスト教の信仰の核心、イエス・キリストの復活と十字架とは何かを明確に力強い方法で説明する神学者であった。
米国内のストット博士の著書の主な出版社であるインターバーサティ・プレス出版者のボブ・フリリング氏はストット博士について「牧師であり教師でもある方として、キリスト教の教えの黄金律を示したのみではなく、彼のクリスチャンとしての人格そのものが真実と神性のモデルとなる姿でした」と述べている。
ホマン氏によると、ストット博士は自身の著書を自分の子どものように見なしていたという。数年前、ストット博士は米国内のある教会で講演を行ったとき、ストット博士を紹介した男性が50冊以上のストット博士の著書を壇上に積み重ねたという。ストット博士は積み重なっている自身の著書を見つめて、「これらは私の子どもたちです」と述べたという。
ストット博士は自身のミニストリーに献身する時間に人生のできる限り多くの時間を費やしたかったことから、生涯独身を貫いた。ストット博士が生涯独身で生きると言う決断について、周囲の人から見ても自身が後悔したような面は見られなかったという。
ロンドンを拠点とする国際ランガム・パートナーシップディレクターのクリス・ライト博士は「ストット博士は神の僕として謙遜な方でした。いつも自身のことをイエスに従う普通の人間に過ぎないと表現されていました。そして私たちは賛辞を言われるのに慣れてしまってはいけないとも言われていました。決して自身が有名になることを喜ばず、ただイエスの使徒のひとりとして見なされることを好まれました」と述べている。
ランガム・パートナーシップを設立したストット博士は世界中の教会において新約聖書を基本とした聖書信仰による福音主義の教えを明白に伝え、実践していくことに重きを置いてきた。ランガム・パートナーシップは米国ではジョン・ストット・ミニストリーズとして知られている。
ライト博士は、ストット博士の最後の著書となった「The Radical Disciple: Some Neglected Aspects of Our Calling(一図な使徒-私達の召命で見過ごされている点)」について、彼の最後となる作品としてふさわしいものであったと言及している。同書では福音主義指導者としてのストット博士が生涯において葛藤した問題について書かれている。
1978年からストット博士と個人的な付き合いのあるライト博士は、「ストット博士はとても規律正しい人でした。独身で妻も家族もありませんでしたが、大変献身された生き方をされておられました。晩年には、毎日5時か6時に起床し、祈りに多くの時間を費やされておられました。祈りの対象となる人の名前が書かれた長いリストを持っていて、それがストット博士が人々の名前を良く覚える秘訣ともなっていました。ストット博士はいつも数百人の人々の名前を挙げて祈っておられました」とストット博士の献身的な生涯について証しした。
ストット博士は規律正しい日常生活以外にも、年間活動においてもさまざまなミニストリーにおいて自身のキリストに捧げる献身的な生の影響を最大限に発揮するための焦点を当てた活動を繰り広げていた。25年にわたって、ストット博士は一年のうち3カ月を海外で過ごし、各国の大会で講演や説教を行ってきた。また残りの9カ月のうち6カ月はミニストリーで奉仕し、3カ月は著作活動に充てていた。
ライト博士はストット博士の生涯について、「非常に規律正しい個人的な日常生活を送っておられました。生活も質素で小さなキッチンのあるワンベッドルームの部屋に住んでおられました。富や裕福な生活には興味を示されず、とてもシンプルで慎ましい生活を送っておられました。私はストット博士は本当に謙遜に生きた人であったと思います。決して彼の謙遜さには偽りがなく、完全なる謙遜という姿勢を見せておられたと思います」と述べた。
ストット博士は1974年の「ローザンヌ誓約」起草委員長を務めたことで最も良く知られている。「ローザンヌ誓約」は福音主義キリスト教徒の信仰および神学のマニフェストとなり、その後の福音主義キリスト教会のあり方に明確な方向性をもたらした。
ジョン・ストット博士の追悼式は英国内複数個所および米国、オーストラリアでの開催が予定されている。
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