たとえば、あなたにお子様がいらっしゃったとして、自分の子供が自分の言う事にかわいらしく従ってくれたら、その子どもに必要なもの、そしてその子どもが欲しいと思っているものを何でも与えたいと思われることでしょう。しかし子どもがあなたに対して「これをくれ。このようにしてほしい」と命令してきたら、そのような子どもとあまり関わりたくないと思われるのではないでしょうか。
今一度思い出していただきたいことは、神様は無条件にあなたを愛されるお方であり、いつもあなたを赦されるお方です。しかし私たちはこのことの利点を活かそうともせずに生活しているのです。私たちの心の状態を点検して、私たち自身に対し「神様に対してどんな態度をとってきただろうか?」と自問してみてください。
たとえば、あなたはこれまで「神様は他の人々に接するのに比べ、あなたに厳しく接しておられる」と感じられたことはありますか?私自身そのように感じたことがあります。―「ああ神様、これは不公平ではないでしょうか。どうして他の人々はこれこれの事ができているのに、私にはできないのでしょう?」と、自分の考えに捉われてしまうことは簡単です。しかし本当のことを言えば、神様はあなたの人生に対して独特のご計画を持っておられるのです。だからこそ、神様はあなたに他人には要求されないことを要求されておられるのではないでしょうか?私たちは他人と比較するのを止めて、ただ神様が私たちにするようにお願いされることを信じ、実行していくべきです。
そして神様が私たちに願われるすべての事は、私たち自身にとっても益となることであることを理解しなければなりません。そしてもしあなたが神様のご計画をあなたの人生の中に継続的に取り込むなら、あなたはいつも喜んでいるはずです。
神がおられることで、基本的にしたいことは何でもできる
第Ⅰサムエル記10章でサウルはイスラエルの最初の王に抜擢されました。10章6-7節には預言者サムエルがサウルに対し「主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。このしるしが起こったら、手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられるからです」と述べています。サムエルはつまり「神様があなたに王となるために油を注がれました。神様があなたと共におられます。ですからあなたは何でも民たちの前で正しいと思う事を自信を持って行うことができるのです」と言っています。
このことは、私たちにとっては何を意味するでしょうか? 私たちの行動の一挙一動に関して神様の御言葉が必要であるというわけではありません。神様が私たちと共におられるのならば、私たちは心の中で善悪の判断ができ、私たちの行う決断が神によって保障されているということになります。
しかしながら、神様が私たちに成すべき具体的な御言葉を与えて下さったときには、その言葉に忠実に従っていかなければなりません。
サウルにその後生じたことを見てみましょう。
神様のご計画
第Ⅰサムエル記13章では、サウルがギルガルに行き、主のための全焼のいけにえを捧げました。しかしそこには預言者サムエルによる非常に具体的ないけにえを捧げる順序が説明されていました。サムエルは、サウルがいけにえを捧げるまで7日間待つように定めており、その後サウルにいけにえの捧げ方について示すことになっていました(Ⅰサムエル10・8)。
サウルは7日間待ちましたが、サムエルが来なかったこと、人々が自分から離れ去っていこうとしていたことを受け、サムエルが来るのを待たずに全焼のいけにえを捧げてしまいました。そしてちょうど捧げ終わったところにサムエルがやって来ました。
これはサウルに対するひとつの試験でした。そしてサウルはこの試験に合格することができませんでした。預言者サムエルはサウルに「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。あなたが、主の命じたことを守らなかったからだ(Ⅰサムエル13・13-14)」と言いました。
この言葉を聞いて、イスラエルの王として油をそそがれたサウルはどれほど不愉快になったか想像できますか?神様はサウルの生涯に驚くべきご計画を持っておられました。しかしサウルはサムエルが到着するのをあと少し待ち切れなかったがために、神様が彼の家族や子孫が繁栄するために成された驚くべき契約を失ってしまうことになりました。神様のサウルに対する愛は決して変わることはありませんが、サウルの将来は彼の行った選択によって変わってしまうことになりました。
神様は私たちの誰も完全ではないことをご存知です。しかしもし私たちが毎日、最善を尽くして生活していれば、真理の御霊が私たちの上にとどまることで、神様が私たちに考えておられるご計画によるすべての祝福を頂くことができるでしょう。
神様の御心をあなたの生活の中にどのように維持していくか
クリスチャンとしてフルタイムの奉仕に携わる人というのは、精神的に弱い人がするようなものではありません。このようなフルタイムで奉仕する生活は、私たちが全財産全てを投げ打つに値する生活なのです。
「すなわち、ちょうどひとりの人の不従順(聞くことへの失敗、無頓着・不注意)によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人(神に受け入れられる、神と共にいることで義をもたらす)とされるのです(ローマ5・19)」―ひとりの人の選択というのが、この世界全体を変えるほどの影響を与えます。私たちの信仰の先祖についても思い出してみてください。私たちは皆、このような信仰の先祖たちが払った代価がどんなに大きなものであったか図り知ることはできないでしょう。しかし彼ら信仰の先祖たちの従順によって、世界中数百万人もの人々が救われるようになり、ついには全地の救い主イエス・キリストの御言葉をも知ることができるようになりました。今現在においてあなたにも同じような機会が与えられているのです。毎日あなたが正しい決断をすることで、想像もできないような驚くべきことが生じるようになります。「私が今日、神様に従うことができたら何が起こるだろうか?」―あなた自身にこのような問いかけをしてみることで、あなた自身の生き方を励ましてみてください。
(このコラムはジョイス・マイヤー・ミニストリーズから翻訳しています。著作権はジョイス・マイヤー・ミニストリーズに属します)
ジョイス・マイヤー氏:世界的に活躍する実践的な聖書教師の一人として知られている。ニューヨーク・タイムズのベストセラー著者でもあり、彼女の著書は数百万人もの人々がイエスキリストを通して希望を見つけ回復の道を歩む手助けをしている。
ジョイス・マイヤー・ミニストリーズを通して、彼女は数百ものテーマについて講演を行っており、80冊以上の著書を執筆、80カ国語以上の言語に翻訳され出版されてきた。
ジョイス氏は年間15回近くの大会を導き、神様の御言葉による実践的な原則を聴衆に教え、日常生活を神にあって人々が真に楽しめるように導いている。テレビ・ラジオ番組にも出演しており、「Enjoying Everyday Life(毎日を楽しむ)」がオンラインでいつでも視聴可能(英語)となっている。