内村鑑三など近代日本キリスト教研究者である鈴木範久立教大学名誉教授が22日、明治学院大学キリスト教研究所(東京都港区)で「内村鑑三生誕150年の課題―新版『後世への最大遺物・デンマルク国の話』―」と題して講演会を行った。
今年は内村鑑三が1861年に生誕してからちょうど150年目にあたる。内村が遺した後世と現世をつなげて考える姿勢を踏まえ、東日本大震災を経た日本、そしてキリスト者が後世へどのような価値観・生き方を継承させていくべきか、内村生誕150年を迎え改めて内村鑑三の思想を学ぶ姿勢が注目されている。
内村については一般に「無教会主義者」であると見なされているが、鈴木氏は「内村自身が『無教会』を好んだのではなく、『当時の日本における教会の在り方』に否定的な考えを持っていただけで、内村自身は『無教会主義者』らによって積極的に有教会を形成していくべきであると考えていたことを誤解してはならない」と述べた。
生前の活動のみならず、没後も無教会主義キリスト者、キリスト教研究者および歴史学者によって内村鑑三研究が盛んに行われ、戦後の時代では、内村は平和、非戦、信教・思想・良心の自由をはじめ戦後日本のオピニオンリーダーにあたる存在と見なされた。
1960年以後の高度成長期からは国内においてキリスト教の伸び悩み現象が生じ始め、内村のキリスト教受容の姿勢を学ぼうとして無教会キリスト教信徒に加え、日本のキリスト教史家が内村に関心をもつようになり、内村が「キリスト教土着化のモデル」と見なされるようになった。
1980年代に入って、内村の思想を学問的な批判に耐え得るものとして提供することが意図され、岩波書店から「新内村鑑三全集40巻」が刊行された。その後内村の思想は広く日本の宗教、思想界の産んだ遺産と見なされるようになった。2009年には「内村鑑三全集」全40巻(第二刷)を底本にしたDVD版「内村鑑三全集」も発売された。
鈴木氏は、生誕150年を迎えた現代日本における内村鑑三研究の課題として1.内村の思想を水平的に論じるのではなく、内村の生涯における時期と変化に注目して分けて考えて行くこと、2.内村を厳格にして頑固な人間と見るだけでなく、迷いと矛盾が内村の中で生じていたことへの着目、3.内村が自己の宗教には厳しいが、他者の宗教については寛容な態度を取っていたことへの着目、4.発信者としての内村とともに、内村の思想がどのように受け入れられたかという受信者の側の考察が大切であると述べた。
「後世への最大遺物」では当時まず触れる者がなかった「美しい地球」という概念を内村が掲げたことが注目すべき点のひとつに挙げられるという。当時の価値観から「美しい国」と言う人は存在しても、「美しい地球」という概念は内村以外にはまず見いだせないという。
「デンマルク国の話」においては、デンマークが1864年にドイツおよびオーストリア連合軍との第二次戦争に敗れ、国土の中の良地を奪われ、不毛の荒れ地が残された後、同国がいかにして荒野を農業国に変えたかについて書かれている。同国において荒野を開いて植樹を進め、苦心の結果森林面積が大きく拡大していった出来事以外にも、戦争をはじめ人間の文明がもたらした自然の荒廃に対する批判と回復策についても書かれている。
内村鑑三の著作「後世への最大遺物」と「デンマルク国の話」の共通性について、鈴木氏は「この二つの話は内村鑑三の戦争観、死生観、自然と文明観にも大きな転換を与えた意味で共通している。『現世』中心的な人類とその文明に対し、人類および宇宙の『後世』もしくは未来としての『来世』の直視を訴えている。『現世』無視、脱『現世』ではなく、『後世』、『来世』と深く関わる視野の中の『現世』を捉えている。この声は、東日本大震災が生じた現在において、いっそう切実な課題といえるだろう」と述べた。