ラフェイ博士は大学4年生のときに米アイダホ州から北海道札幌市のキリスト教大学である北星学園大学に留学、1993年から北海道大学で10年間学び、北大の宗教学文学博士第一号となった。現在北海道教育大学旭川校および札幌校の准教授として赴任している。
内村鑑三は北海道大学の前身であった札幌農学校2期生として、クラーク博士から直接キリスト教精神についての教えを受けた1期生らによって半強制的に「イエスを信ずる者の誓約」に署名するに至った。しかしその後次第にクラーク博士に尊敬の念を抱くようになった。水産学を専攻し、日本の水産学の進歩に貢献する労作を成すものの最終的にキリスト教の道を歩むことを選んだ。その後も水産学で養われた科学者としての素養を活かしながら新聞記者として活躍、内村独自の理性的なキリスト教思想の発展の土壌を形成した。
内村は札幌農学校でキリスト教徒となったものの、本当に回心したのはアメリカの大学に留学している中にあってであった。内村はクラーク博士の影響によって宗教者・キリスト者としての方向性が与えられ、そし後アメリカのキリスト教大学アマースト大学学長ジュリアス・シーリー氏のキリスト者としての卓越した人間性が内村に大きな精神的影響を与え贖罪信仰に導かれた。
現代において内村鑑三にとりわけ注目が置かれることはあまりないが、ラフェイ博士は自身の日米双方の文化における生活経験、北海道大学や札幌と米アイダホ州での学びと生活の経験を活かして現代の米国と日本の類似点、明治時代の日本と日本から見た米国について比較しながら、内村のキリスト教思想がいかに現代社会問題に適用できるかをわかりやすくエッセイとして記述している。明治時代の内村が行った文明批判や米国批判が、現代の日本と米国、また自身を取り巻く問題にも当てはまることをうまく関連付けて記述している。日英両方の言語でラフェイ博士自身が執筆しており、現代米国人と日本人の両方に親しめる文体となっている。
「日本とアメリカを同時に生きた内村」という人物像を、自らの日本とアメリカでの経験に結びつけることで現代によみがえらせ、ときに辛辣に、ときにユーモアたっぷりに現代の米国人と日本人の在り方を内村の文明批判を反映させて問いかけている。同書は大学の英語の授業用に書かれており、大学教養程度の英語教材に適した内容となっている。
現代米国人女性の宗教学者の視点から見た内村鑑三という人物像が描かれていることが興味深い。幾度も結婚・離婚を繰り返し、愛する娘ルツ子を17歳で失った内村のキリスト者としての信仰が偽善的なものからより真実なものに変わっていく過程を鋭く指摘している。また世俗化されたキリスト教的社会運動について、キリスト教信仰そのものを強調するよりも、政治・社会の改善を強調した点を「政治的野心の前にキリスト教を犠牲にしている」と内村が批判していること、内村が社会を変えるにはまずキリスト教道徳やキリスト教的価値観をしっかり持ち、それらによって正しい生活をすることによってこそ社会を導くことになると指摘する個所など、現代日本のクリスチャン社会運動を考える際にも改めて十分に参考になる考えが分かりやすく記述されている。